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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

新宿十二社熊野神社【参拝レポート】

2019年8月3日 2019年08月03日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

橋本ユリ
今回は、東京都新宿区にあります「新宿十二社熊野神社」についての記事をJ.Iさんに投稿していただきました。


  • 新宿十二社熊野神社のご利益、御由緒

  • J.Iさんの参拝レポート


などについてお伝えします!

それでは参りましょう!

ご利益



  • 商売繁盛

  • 厄払い


御祭神



  • 櫛御気野大神くしみけぬのおおかみ

  • 伊耶那美大神いざなみのおおかみ


御由緒


十二社じゅうにそうと熊野神社の歴史

十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・ 永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます。)
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従っ たため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上か ら西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自信の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ば れる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も 何回か行われました。
また、享保年間(1716~35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の橋御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と 改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。


引用元:新宿十二社熊野神社パンフレット

J.Iさんの参拝レポート


本日、出雲参りの準備として、都内の 熊野神社にご挨拶に行ってきました。

こちらは、新宿の都庁の裏にある公園内にあるからか、

外国の方も含め、いろいろな方が参拝されていましたが、まばらでした。

【境内案内板】

【入口写真】


【拝殿前写真】


【八咫烏の説明文】


【お守りなど】

【アクセスマップ】


最近アップされた、神社蘇り計画のyou tube の動画を拝見したというのもあり、
カミ(お札)でお参りさせていただきました。

橋本ユリ
お賽銭については、こちらの記事をご参考にしてください!!


5円10円入れてない?正しいお賽銭の作法とマナー


アクセス


熊野神社への詳しいアクセス方法はこちらから

東京都新宿区西新宿2-11-2

まとめ


橋本ユリ
何か現実的に物事を進めたい時に、一度参拝してみるといいかもしれませんね。

この記事をまとめた人

橋本ユリ
橋本ユリ
神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)

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