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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

日本橋日枝神社【参拝レポート】

2019年12月15日 2019年12月11日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

橋本ユリ
今回は、東京都中央区にあります「日本橋日枝神社」についての記事をI.Jさんに投稿していただきました。


  • 日本橋日枝神社のご利益、御祭神、御由緒

  • I.Jさんの参拝レポート


などについてお伝えします!

それでは参りましょう!

ご利益



  • 万物の成長発展

  • 産業万般の生成化育

  • 学業、詩文・和歌、書道上達

  • 子授け・子宝、安産

  • 災害除け


御祭神


日枝大神

  • 大山咋神(おおやまくいのかみ)

  • 国常立神(くにのとこたちのかみ)

  • 伊弉冉神(いざなみのかみ)

  • 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)


相殿

  • 菅原大神(菅原道真公)

  • 稲荷大神(宇氣母智神(うけもちのかみ

  • 浅間大神(木花佐久夜比売命(このはなのさくやひめのみこと


御由緒


日本橋日枝神社HPより引用

日本橋日枝神社は天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事に始まります。

寛政十二年(1800)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年六月十五日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。

境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の本地とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。

明治元年神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治十年に山王宮は無格社日枝神社に、大正四年には本社の官幣大社昇格に伴い日本橋日枝神社と改称されました。現在の社殿は大正十二年九月の関東大震災後、昭和三年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和二十年三月の東京大空襲により罹災しましたが、直ちに補修を行い、昭和四十一年に御屋根葺替と大修理を加えました。平成二十二年には再び、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。なお正面の石鳥居は、万治年間に本社石階段下に設けられましたが、昭和三十六年に現在地に移設されました。

アクセス


〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町1丁目6−16

参拝レポート


写真付きで送って下さったので、ご紹介いたします。

次に向かったのは 日本橋日枝神社 です。

兜神社から茅場町駅に戻る途中に このようなカフェがあります。
そして、このカフェの隣にあるのが!! 日本橋日枝神社です。 私、一度通り過ぎました(汗)

御祭神は 大山咋神、国常立神、伊弉冉神、足仲彦尊 相殿 菅原大神、稲荷大神、浅間大神 です。 こちらもとっても整然としたさっぱりとした神社でした。 今日は、御朱印もいただくことができました。何も言わなかったので、日枝神社だけでし たが、言えば、兜神社の御朱印もいただけるようです。そして、御朱印と一緒に神社グッ ズもいただきました(参拝記念ストラップと栞のセット!)。 おみくじも3種類ありました。私は一番一般的なものをひきました。和歌が載っている王 道のものでしたが、裏が英訳されたものでした!!英訳、興味深かったです。

グッズはとても充実していました。 七五三のお人形!!カワイイですね!!! 神社名が入ってるところが粋だと思いまし た。
このグッズ売り場では色々と 勉強になりました!!!

社殿の写真を撮り忘れましたが(汗)、上向きの狛犬!!などなど見所のある神社でし た。

まとめ


橋本ユリ
上向きの狛犬が奉献されているのは珍しいですね。

お守り・御朱印授所でも、他の神社とは違う空気を感じられそうですね。

この記事をまとめた人

橋本ユリ
橋本ユリ
神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)

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