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ヤバ過ぎる日本古代史の秘密【みたましずめ一】

2023年8月13日 2023年08月14日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は、みたましずめ企画第1弾といたしまして「もう一つの日本。隠された古代史の謎」ということでお届けをしていきます。

 

去年、ゆにわ塾でも神社チャンネルでもテーマとして取り上げたのが、日本仏教のある意味における始まり、最澄さんと空海さんでした。

このお二方から日本仏教が広がっていったのですが、最澄さんと空海さん以前に日本思想の根幹を作り上げた人物がいました。

それが誰かといいますと、聖徳太子です。


今年は、聖徳太子をメインテーマとしながら内容を掘り下げていきます。

今、聖徳太子の時代からそれ以前の歴史について色々調べていますが、むちゃくちゃ面白いです。

例えば、「魏志倭人伝」とか「宋書倭国伝」

これらは、海外外国が当時の日本のことを書いた文献です。

そして海外の文献と日本の文献を比較すると、書かれている内容がどう一致しているのか、よくわからないところがあります。

いったいこれは何なのか?

また、古代史が面白いのは、史跡が残っているということです。

それは、古墳だったり、神社だったり。

「ここには一体誰が祀られているのか」

「なぜこういう構造になったのか」

日本の場合かなりの史跡が残っているので、面白い。

そこを今回の企画で掘り下げていきたいと思います。

なぜ、「みたましずめ」なのかということは、この記事のラストの方でお伝えしましょう。

 

古事記や日本書紀はなぜ作られた?


まず日本の歴史書ですが、最古の文献と言われているのが古事記と日本書紀で、完成したのが700年代と言われています。

それ以前にも、歴史をまとめていた書物はあったが、この二つの文献に統合したのです。

それ以前には、「先代旧事本紀 (せんだいくじほんき)」や「宮下文書 (みやしたもんじょ)」、偽書という話もある歴史書「ホツマツタエ」、あとは各地方に伝わっている風土記(ふどき)がありました。

正当な歴史書はこの二つになりますが、それぞれ書いてあることが若干食い違っています




竹内文書(たけうちもんじょ)の継承者であり、口伝によって真の歴史を伝えられてきた第73代武内宿祢、むっちゃん先生から、「古事記・日本書紀は暗号化されている」と聞いています。

 

なぜ暗号化したのか?


まず、古事記ができたその当時の権力者は、藤原不比等(ふひと)さんといいます。


権力者である藤原氏にとって、都合の良い歴史を作っていく必要がありました。

実は海外から来たという話もありますが、やはり藤原氏は日本に長くいる「日本人」なので、古墳や神社を潰さず残します。

色々な地方に様々な神様がいて、その伝承や伝説を神話の中にちりばめて残して暗号化したのです。

完全に抹殺・抹消しないところに日本人の良さがあるといえますね。

藤原氏にとって都合が良いように書かれており、当時の権力者である朝廷や皇室が権力を握り日本国の象徴となるための正当性を示しているのが、古事記や日本書紀なんです。

なぜ正当な日本国の象徴と言えるのかというと、天照大御神からの直系の一族が皇室だからです。

 

天照大神から神武天皇の流れ


初代天皇は神武天皇ですが、神武天皇と天照大神の間にも何柱か神様がいらっしゃいます。

天照大神の子供が、オシホミミノミコト。


五男神(ごなんしん)と言い、他にも五柱の男神様が生まれています。

その子供がニニギノミコトで、正式名称は「アメニギシクニニギシアマツヒコホノニニギノミコト」と言います。


なぜ正式名称をお伝えしたのかについては、後ほど理由は説明します。

その子が「ホオリノミコト」で「山幸彦(ヤマサチヒコ)」といいます。


その後、ウガヤフキアエズノミコト、ヒコホホデミノミコトと続くのですが、少しポイントをお伝えしましょう。

「オシミミノミコト」「ヒコノニニギノミコト」「オリノミコト」「ヒコホホデミノミコト」
全ての御神名に「ホ」の文字が入っているんですね。

天照大神からの直系の「炎 (ホノオ)」を授かっているというところから、オシホミミノミコト、ヒコホノニニギノミコト、ホオリノミコト、ヒコホホデミノミコトの中に「ホ」の文字が入っています。

「あれ、ウガヤフキアエズノミコトを飛ばしたんじゃないの?」ということなのですが、この神様は非常に謎や秘密が多いわけなんですね。

ウガヤフキアエズノミコトは、一体何をした神様なのかというところの神話が残っておらず、天照大神から神武天皇にかけての謎の時期であるということなんですね。

重要な神様の神話はしっかりと残っているけど、中には残っていない神様もいるということが、神話ではよくあります。

今回でいうと、神武天皇とおじいちゃんの山幸彦の神話は残っていますが、お父さんであるウガヤフキアエズノミコトの神話はよくわかっていません。

ニニギノミコト神話はガッツリ残っていて、おじいちゃんおばあちゃんの代にあたる天照大神の神話は残っている。

対してお父さんであるオシホミミノミコトの神話はあまり残っておらず謎が多い。

おじいちゃんおばあちゃんははっきりしているけど、お父さんお母さんのことはよくわか(ん)らないということがあります。

天照大御神からホのエネルギー、火のエネルギー、光のエネルギーを授かっている直系の人物が、神武天皇ということです。


神武天皇が九州の辺りにいて、そこから西日本を旅していき近畿にたどり着き、橿原神宮で即位しました。

それが、古事記や日本書紀に載っています。

 

古代史のキーパーソンは◯◯天皇!


ここからずっと皇室の歴史が始まるのですが、こんなふうになってます。

  • 第2代:綏靖(すいぜい)天皇

  • 第3代:安寧(あんねい)天皇

  • 第4代:懿徳(いとく)天皇

  • 第5代;孝昭(こうしょう)天皇

  • 第6代:孝安(こうあん)天皇

  • 第7代:孝霊(こうれい)天皇

  • 第8代:孝元(こうげん)天皇

  • 第9代:開化(かいか)天皇


この第2代から第9代までを欠史(けっし)8代といいます。

「欠けていないのでは」と感じるかもしれませんが、なぜ欠史八代かというと、本当にいたかどうかも定かではないし謎が多くてよくわからないからです。

そして欠史八代の天皇の中には「四国に史跡がある」という人物もいるので、当時の神話には登場しませんが、四国にも関係しているのではないか。

とはいえ、初代天皇である神武天皇にあたる人物はいたのでしょう。

欠史8代はいたかどうかすらよくわかりませんし、年齢も100歳を超えている天皇が何人もおり、「本当なのか?」という部分があります。

ですが「この人物は重要なキーパーソンだ」という方がいて、それが第10代崇神天皇です。

 


天皇の名前は、その当時から言われていたわけではなく、だいぶ時代が過ぎてからついています。

どういう役割を果たしたのかというところが、名前で残っています。

崇神天皇や神武天皇のように「神」と名前がつく天皇は特別な役割を果たしていると言え、日本国の統一において非常に重要な役割をになったということが神話にも載っています。

そして神武天皇の時代は、統一国家ではないわけなんですね。

九州からやってきて関西圏にたどり着き、倭の国を・大和の国を作るぞと立ち上がった、創業者的人物が神武天皇です。

その後日本を統一していくにあたって重要な役割を担った人物が崇神天皇であり、「神」という名前がついています。

日本の統一に向けた歴史


その後の天皇の歴史を、重要なポイントを押さえつつ、ざっくり見ていきます。

第12代天皇が景行天皇といいます。

この景行天皇の時代に重要な役割を果たしたのが、子息、日本武尊(ヤマトタケル)です。


日本武尊は、九州にいた熊襲(クマソ)という当時の朝廷に従わない人たちを平定して帰ってきます。

「お父さん、平定してきたよ!」

「そっか、じゃあ次は東日本ね」

「九州平定するのも大変だったのに!

東日本にも行かなきゃダメって、なんでやねん!」

その時に日本武尊を励まして勇気づけたのが、叔母の「倭姫命様(ヤマトヒメノミコトさま)」です。

「このアメノムラクモノツルギを授けるから。この剣の霊力を持って平定しなさい!」


「わかりました。行ってきます!」

そして、東北も見事に平定して帰ってきましたという記述があります。

九州と東北の2ヶ所を平定する上で、重要な役割を果たしたのが、日本武尊です。

とはいえ、当時はまだ統一国家ではありませんでした。

その2代後に仲哀天皇の時代になります。

仲哀天皇が大きな役割を果たしたというより、その奥様の神功皇后がかなりの女帝で「神功天皇(じんぐうてんのう)」と呼ばれた時代があったほどの方でした。


三韓征伐といって、言うことを聞かない朝鮮半島に出兵して見事平定して帰ってきます。

その子がまた「神」という名前の付く「応神(おうじん)天皇」です。


この応神天皇も、日本国の統一において重要な役割を果たしました。

混乱する中でも継がれていく天皇の歴史


その後も天皇の歴史が続いていくのですが、まだまだ当時の政権、朝廷の力は盤石(ばんじゃく)なものではありませんでした。

第25代に武烈(ぶれつ)天皇がいたのですが、「烈」という漢字が入っているぐらい激しい天皇だったんですね。


武烈天皇の影響によって、当時の朝廷は混乱します。

「誰が跡継ぎになる?」

後継者がなかなか見当たらないという状況になりました。

このとき、北陸にいた遠い親戚、継体(けいたい)天皇を招いて、即位してもらったという歴史があります。


継体天皇が即位した場所が、交野天(かたのてん)神社といって、私達の会社のグレイトティーチャー株式会社がある大阪の枚方樟葉(くずは)にある神社です。

今でもありますが、非常に良い神社です。

継体天皇が皇位について、ようやく収まったのですが、その後も日本国は混乱します。

第32代の崇峻(すしゅん)天皇は、歴史にも載っている、暗殺された天皇です。


「次は一体誰が継ぐ?」

「いやいや、自分はちょっと・・・」

先代が暗殺されているので、誰も継ぎたくない。

「もうやるしかない」

三度断り、最終的に引き受けたのが、女性天皇である推古天皇でした。


当時、なぜ天皇が命を狙われる状況だったのかというと、権力や力を持っている豪族(ごうぞく)たちがいたからです。

  • 和ニ(わに)氏

  • 物部(もののべ)氏

  • 大伴(おおとも)氏

  • 蘇我(そが)氏

  • 羽田(はだ)氏

  • 巨勢(こせ)氏

  • 葛城(かつらぎ)氏

  • 平群(へぐり)氏


近畿圏だけでも様々な部族が乱立しており、部族によって信じている神様や宗教性も違います。

渡来人もいたので、奈良で使っている言語ですらバラバラだったのです。

 

バラバラなものをまとめたのがあの人物!


全国見渡しても、色々な国があるという状況でした。

今回タイトルで「もう一つの日本」と書きましたが、当時の日本はまだまだ色々な国があり、色々な王がいたのです。

海外の文献に「宋書倭国伝」というものがありますが、「和の五王」という記述があります。

つまり倭国の5人の王様ということなのですが、誰か不明で、天皇かどうかすら定かではありません。

黒岩重吾さんの「古代史の真相」という本にも書かれていますが、色々な国があったからです。

5世紀古墳時代というのは、謎が多い時代でした。

そんな時代に即位した推古天皇は、権力争いをする豪族たちにいつ命を狙われてもおかしくない状況だったのです。

そして、推古天皇を補佐するために摂政となって、政治的な権力を握ったのが、聖徳太子という人物でした。


当時のバラバラな日本を、どう一つにしていくのか?

まずは、「日本の国はこうやって政治をしていく」という方向性を決めたものが、十七条憲法でした。

そして当時の支配者には、「血統によって相続する」血族支配があったのですが、「能力によって登用されるべき」と、冠位十二階を定めました。


そして、十七条憲法の第一条で「和をもって貴しとなす」と書いたのです。

「和をもって貴しとなす」とは、色々な価値観、宗教性があり、色々な神様がいるけれど、一つにまとめてやっていこう、と解釈できます。

海外からの脅威もあるし、隋の国(当時の中華国)も強くなっている。

対抗するためには、日本国を一つにまとめていかなければと、「和をもって貴しとなす」としたのです。

そして聖徳太子の時代には、儒教、道教、仏教、ユダヤ教と様々な宗教がありました。


当時神道という名前では無かったと思いますが、日本古来からある「かんながらの道」も含めて、バラバラの思想をまとめていこうとしたわけです。

この思想はこうやって活かせる、この思想はこうしていったらいいと、様々な思想を現実的にまとめたのが聖徳太子です。

太子の時代から天皇は日本国の象徴となり、現実的なことは豪族、聖徳太子が担当するというように、現実のまつりごとと霊的なまつりごとを分けていきました。

その流れは今もずっと続いています。

ここまでがざっくり古代史です。

 

聖徳太子のおこなっていた◯◯の法とは?


聖徳太子の偉業が、なんとなく理解していただけましたでしょうか。

「日本」という国名は、聖徳太子の時代にはまだありません。

日本という名前が出てくるのは西暦700年以降で、この時代は、倭国(わこく)でした。

ですがまだ日本人全員が「私は倭国(わこく)の人だ」という意識ではなく、出雲の国や、越(こし)の国、筑紫の国など、それぞれの国の人という意識でバラバラでした。

そんな中、聖徳太子が「日本とは日に出づる国」だと、まとめようとしていったのです。

しかし、いろんな国を平定して豪族達をまとめる時に反感をかってはいけません。

そこで日本人は、統一国家を作るときに、当時からみたましずめをしてきました。
つまり恨みの念を鎮めたり、戦った人たちの霊を弔ってきたのです。

このみたましずめは、音読みすると「鎮魂(ちんこん)」となります。

これが神道においても非常に重要な概念で、魂を鎮めてしっかりと自分の魂を目覚めさせることが、鎮魂(ちんこん)という儀式になるわけです。

現代社会は色々な情報に触れると不安にもなるし、自分や他人を責めてしまったり、過去を後悔してしまうこともありますね。

色々な神社や神道のお祈りがありますが、そういった諸々のネガティブな想念を鎮めるのが「御霊鎮め(みたましずめ)の法」ということになります。

これをおこなっていたのも、聖徳太子です。

当時は、法隆寺や四天王寺といった、様々なお寺でみたましずめをしてきました。




この聖徳太子が行ってきたみたましずめの祈りやみたましずめの法を、今年は師匠北極老人から教わり、伝授していきます。

ということで今回は古代日本史の秘密「みたましずめシリーズ第1弾」をお届けさせていただきました。

まだまだシリーズ続きますので、今後とも楽しみにしておいてください。

あなたの開運をお祈りします、羽賀ヒカルでした。

 

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この記事をまとめた人

ゆうすけ
ゆうすけ
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