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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

仙台 塩釜神社の駐車場 御朱印 お守り【あの大震災を予言したご利益】

2017年9月29日 2022年11月27日

こんにちは、北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

塩釜シオガマ神社は、東日本大震災を予言した神社だというのをご存知でしょうか。


なんと大震災当日の朝に、異変に気付きその7時間後に震災が来て、その後津波が押し寄せましたが塩釜神社は間一髪免れたそうです。


先の流れを読むことを「潮流を読む」と言ったりしますが、まさに塩釜神社はそうしたご利益があります。

そのご利益を受け取った人を一人挙げるとするならば、「徳川家康公」でしょう。
彼がなぜ天下統一を果たし、江戸幕府を260年も続けることができたのか・・・?
それは、塩釜神社のご利益と言えるでしょう。

今回の記事では、家康公が信仰した塩釜神社の神様がどんな結果をもたらしたのかを解説するのと、駐車場、御朱印、お守りの情報、ご利益を受け取る方法をお伝えします。

ご利益を受け取る方法の第一歩は、神様を知ることです。
1万2000文字と長いので興味ある方はブックマークすることをオススメします。

それでは参りましょう!

シオツチの神のご利益を受け取った徳川家康


私の思う徳川家康とは、その流れが来るまでグッと待つことのできる人だと思っています。
人生にわずかしかないチャンスを見極め、ここだ!と思った時に一気に行動に移す能力、それはシオツチの神の影響が非常に大きいと考えます。

人生を変える局面は、多かれ少なかれ誰でも感じたことはあると思います。
そうした重要な局面を待ち大胆に行動する。この能力に長けていたのが徳川家康でした。

ただ、家康公が最初からその能力を持っていたとは考えにくいです。
どちらかといえば、シオツチの功徳によって、こうした能力が開花する、修行とも言える出来事がありました。

徳川家康は、愛知県岡崎市の岡崎城城主の松平広忠の長男として生まれました。
家康公の産土神社・産土神は六所神社で、シオツチの神が祀られています。

6歳までこの地で過ごしますが、松平家の力はそれほど強くはなかったために、織田氏から今川氏と13年間の人質生活を送ります。

「いつか独立して自分の成すべきことをする・・・」
家康本人もそうですが、その家臣も将来を信じてじっと耐え忍んできました。
それからほどなくして、力をつけていった家康ですが、ついに戦国最強と言われる武田信玄との戦う局面を迎えます。

攻める武田信玄に対して、重要拠点の城を守る形で迎え撃つ家康公でしたが、そこで事件が起こります。

なんと、城で待ち構えた家康の目の前を素通りする武田信玄・・・。
それはまるで家康の城など落とす価値もないと言っているようなものです。

当時の戦の定石は敵地の領土に入った時には、近くの城から攻め入るのが普通であり、これは信玄の明らかな侮辱と挑発でした。

これには、家康も大激怒!なんとそのまま怒りに任せて過ぎ去った武田信玄の後ろから攻めることを選択しました。(戦略的に敢えてそうした、という意見もありますが、今回は怒りに任せた、という前提で話を進めます。)

そうして自身のプライドを傷つけられたと、じっくりと作戦を練ることもなく城から出て攻め入ります。
ところが・・・!それを見透かしたかのように大量の兵を隠していた武田信玄は、あっという間に徳川軍を包囲し制圧しました。
家康はもう撤退するしか選択肢はなく、命からがら逃げることになります。

その時の恐怖の記憶は本当に凄まじかったようで、家康はその後、度々この戦の敗走で殺される夢を見たそうです。

それほど武田軍の追撃は凄まじく、逃げきれないと悟った家康は、一旦浜松八幡宮に身を隠すことにします。
源頼朝がご神気を下ろしたとされる、楠の木の洞穴に身を隠しました。

あわや見つかる・・・という寸前で村人に助けられ生き延びた家康は、この時より八幡宮をあつく信仰するようになります。

なんとか自軍の城に逃げ帰った家康ですが、そこで家臣に言われます。

家臣「殿・・・その馬の尻の上についているのは何ですかな・・・?」
家康「これは・・・(汗)・・・味噌じゃ!」

なんと、恐怖のあまりウ◯コを漏らしてしまったようです・・・。
その恥ずかしさ、情けなさ、感情で動いてしまった自分への自戒の念を込めてこの時の自分の自画像を書かせています。


恐怖のあまりに漏らしてしまって恥ずかしい顔をした自画像です。
これを戦では必ず持ち歩き、感情に任せて戦をしてはならない、と自分を律するようになりました。

こうした出来事を、シオツチの神の功徳と考えるのなら、戦の流れを見たり、流れが来るまでじっと待つという力を身につけるために、ここで失敗して痛い目を見て学ぶ必要があった、と捉えることもできます。

こうした出来事は他にもあります。

小牧・長久手の戦いにおいては、豊臣秀吉軍10万人に対して徳川家康の軍3万人の戦いでした。
豊臣軍は3倍の兵力だったため、通常なら勝てる見込みは非常に少ないものでした。
しかし、これまでの失敗を生かし、情報戦で挑むようになります。

独自の情報網によって相手の動きを全て把握し相手の虚をついて勝利を収めました。
(しかし、その後秀吉の交渉により、総大将の徳川信雄は条件を飲むしかなくて結局天下は秀吉のものとなりましたが・・・)

他にも天正壬午の乱では、1万人の兵をもつ北条氏に対してたったの2000人で勝利を収めています。
その理由は、略奪行為を続けていた北条氏に対して、周辺住民の心をつかむことにより、独自の地理的な情報を得て、戦闘を有利に進めました。

関ヶ原の戦いでは戦力が非常に拮抗していたにもか変わらず、1日で決着が着きました。
これは、石田三成を総大将とする西軍から、家康率いる東軍に寝返った武将が非常に多かったためです。

このように聞くと単に運が良かった、と捉えられがちですが、実際には、寝返るであろう武将にコンタクトをとって、寝返った場合の報酬など、綿密に計画を立て、段取りをしていたと思われます。

また、その後に難攻不落と言われた大阪城を攻めた大坂冬の陣・夏の陣でも、圧倒的に不利な状況を打開し、勝利を収めています。

その手段は3段階あり、1つ目は敵の秀吉の妻、淀殿の恐怖を煽るような戦いを行い、和平交渉に持ち込みます。そして大阪城の外堀を埋める条約を取り決めます。

2つ目は、相手の条約破りの理由と、条約内容の不明確な部分を利用して、城の内堀まで埋めてしまいます。(最近の研究結果では、もともと内堀を埋めるというのは合意の上だった、という意見もあります)

3つ目は、夏の陣で堀がなくなり丸裸になった大阪城を一気に攻めて勝利しました。
いずれも戦闘が始まる前から情報を得て、戦局を見極め流れが来た時に行動しています。

シオツチの神の功徳は、人生レベルの潮目を見ることです。
つまり、情報の把握と、潮の変わり目に行動する能力を授けます。


家康公は戦争に関する情報に強かったのはもちろん、その後の江戸は情報伝達の力が優れていました。
例えば「旗振り通信」というものが江戸時代では情報伝達の主だったもので、なんと1時間に720km先に情報を伝えることができたそうです。

現在でもあらゆる情報が集まる東京は、江戸幕府から続く家康公とシオツチの影響と考えることもできます。さらに、家康を示す言葉として、

・鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
・織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 すわりしままに 食うは徳川

などがあります。
晩年はタヌキ親父とも呼ばれ、ちゃっかりと美味しいところを持っていく、というネガティブな印象が与えられていますが、ここぞ!という潮目を見極めるためにじっくりと待ち、時に大胆に行動する、そんな能力をシオツチの神から授かっていました。

どうしてこれほどまでに、家康が功徳を授かることができたのか?というと、信仰心があったからでしょう。

今回事例としてあげたのはごく一部ですが、9歳?19歳までを今川氏の元で過ごした静岡においては、静岡浅間神社の功徳を得ていました。

この神社で家康は元服という成人の儀式を行いました。
のちにこの地が武田氏のものになり、これを攻め落とすには、静岡浅間神社の守護を断ち切る必要がある、と先に静岡浅間神社を焼き払いました。

その際、必ず再興すると約束した上で焼き払いました。



浜松八幡宮の経験から、八幡神に信仰心を持ち大きな戦の際には必ず戦勝祈願していたそうです。
そして何より家康は高い理想を持っていたことで知られています。

豊臣秀吉は、百姓出身という説もあり、その反動なのか豪華絢爛に魅せられていました。
秀吉は自身で茶室を持つほどお茶が好きで茶室を黄金にするなど豪華さを求めました。

それを正したい千利休と対立しました。
千利休はお茶の精神の後世に残すために自分の命と引き換えに秀吉に伝えますが、結局切腹言い渡されてしまいます。

そんな秀吉に対して家康は、黄色いふんどしを履くほど質素な生活を求めました。
長く履いて黄ばんでも目立たないように最初から黄色を選んだそうです。

その他にも節約、倹約を家臣にも求め、とにかくお金を使わなかったそうです。
それは、自身の我欲にお金を使うのではなく、世の中をよくするためにお金を使いたい、と考えていたからでした。

そういった高い理想を持ち、普段からどうやったら世界の平和が維持されるのかを考え続け、アイディアを練っていたからこそ、江戸幕府が260年もの長い間繁栄したのではないでしょうか。

神様の目的は、世界を良くすること、良い世界を長く続けることです。
神様の目的と家康の目的が一致していたからこそ、多くの功徳を得ることができたのではないでしょうか。

ご利益は「塩」の厄払い


塩釜神社のご祭神は、

・塩椎神(シオツチ)
・建御雷神(タケミカヅチ)
・経津主神(フツヌシ)

です。

シオツチの神話の登場シーンは、山幸彦、海幸彦の登場シーンです。
弟の山幸彦は、山の神として狩が得意、兄の海幸彦は、海の神として釣りが得意でした。

山幸彦
兄さん、ひとつお互いの弓と釣り竿を交換してみてはどうだろう


隣の芝生が青く映ったのか、山幸彦は、海幸彦の仕事の釣りがしてみたくなりました。

海幸彦
嫌だ、貸すもんか


山幸彦
いいじゃん、ちょっとだけ、ね!


そうして無理やり交換し、山幸彦は海に釣りに出かけました。
しかし、海幸彦のように簡単には魚を釣ることができません。
さらに困ったことに、竿の糸が切れて、釣り糸ごと無くなってしまいました。
しっかり謝れば大丈夫だろう・・・。そう思っていた山幸彦でしたが、

海幸彦
あの大事な針を無くした!?ふざけるなぁ!!返せ!!


海幸彦は、烈火のごとく怒り狂います。しかしどんなに海を探しても見つけることはできません。

山幸彦
仕方ない、大事な十握剣を溶かして500本の針を作ろう


海幸彦
そんな針いるもんか、ふざけるなぁ!!


山幸彦
ならば・・・もう1000本作ったらどうだろうか。


海幸彦
あの針じゃないとダメなんだ!見つけるまで帰ってくるな!!


海で途方に暮れていた、山幸彦。もうどうすることもできません。

山幸彦
もうどうすることもできない・・・。


浜辺で、なすすべなくただ泣き悲しんでいました。そこで現れたのがシオツチ(爺)です。

シオツチ(爺)
どうされましたかな、どうして泣き悲しんでいるのでしょうか?


シオツチ神は別名、塩筒老爺神(シオツツオジ)です。人生を知り尽くした、長老のような姿で山幸彦の悩みを聞きました。

シオツチ(爺)
ならばこの船に乗り、海の宮殿に向かいなさい。きっと良いことが起こりますよ


山幸彦
え?いや、息は続くの?大丈夫!?


そう言って、半ば強引にその船に押し込み、山幸彦を海の宮殿に連れて行きました。
いわば竜宮城のような場所で、過ごした山幸彦は、帰りに二つの玉を持ち帰り、陸で待ち受けていた海幸彦を懲らしめます。

山幸彦
それ、塩満玉!


海幸彦
ゴボボボ、(助けて??)


山幸彦
それ、塩乾玉!


海幸彦
はぁ、はぁ・・・お前、ふざけんなよっ!!!


山幸彦
それ、塩満玉!


海幸彦
ゴボボボ、(助けて??)


・・・ということを繰り返しました。これを永遠と(何十年?)繰り返すうちに、

海幸彦
私は昼夜おかず、あなたの宮殿を護り、お仕えしますから


山幸彦の孫が、初代天皇の神武天皇となり、海幸彦はその溺れる姿があまりにも面白かったらしく、子孫はその仕草を踊りとして、朝廷に仕えたそうです。

シオツチ神の別名、塩筒老爺神の意味は、「塩筒」とは塩の路を示す神です。
シオツチは「塩」の「霊(ち)」を意味し、海の神、海の路を表しています。


困り果てた山幸彦に道を示してやりました。
このように困った時に道を指し示す神様としてのご利益があります。

それは予言とも言え、パワースポットの章でお伝えした、東日本大震災を当てた、ということからもわかります。

また、塩釜神社との由来については、オオクニヌシの国譲り神話の際、タケミカヅチとフツヌシをこの地に導いたとされています。

タケミカヅチ、フツヌシは、鹿島神宮、香取神宮に戻りましたが、シオツチはこの地に住むようになったということです。

塩の示す意味合いは、安産祈願の章でお伝えしました。黄泉の国からイザナギが海で禊祓えしたように、「厄払い」。

そして、地球誕生から40億年の海の記憶を留めています。
進化論で有名なダーウィンですが、その説とは、動物学者リチャード・ドーキンスの言う、自然淘汰と突然変異による弱肉強食、競争進化です。

これに異を唱えたのが細胞生物学者リン・マーギュリンス。
人には、60兆個の細胞があり、その細胞の中には、300個のミトコンドリアという微生物が住んでいます。体内の微生物は10?20%と言われています。

それぞれが作用しあって、進化を続けてきたとのこと。
私たちは、40億年前からの微生物を取り込み、共に進化してきました。

ミトコンドリアのDNAは変わりません。
すなわち、私たちの身体には、海の40億年の記憶が入っている、ということになりますね。

そうした、「大いなるキオク」を思い出すのが、シオツチ神の本当のご利益ではないでしょうか。
続いて、塩釜神社のご利益を受け取るのに特に良いと言われる4箇所のパワースポットをお伝えします。

 

 

パワースポット4選


塩釜神社の神釜の予言(スポット①)


塩釜神社で行われる有名な神事があります。それが、「藻塩焼神事」です。


摂社の御釜神社にて祀られている、4つのお釜(神釜)にはご祭神のシオツチ神の象徴とされる海水が入っています。

シオツチ神は潮の流れを読む、吉凶の知らせを行う神様でした。
日本の一大事には、この神釜の海水の色が変わる、ということで、江戸時代においては、この釜の確認をする仕事があったくらいです。

2011年3月11日の午前8時ごろに、なんと普段赤褐色に濁っているこの水が、4つのうち2つが綺麗に透き通った色に変わっていたそうです。
この日は、東日本大震災が起こった日です。

スポット② 塩釜神社の鹽竈桜



天然記念物に指定されている「鹽竈桜」。例年5月上旬に満開になります。
平安時代の書物にも記されており、江戸時代には井原西鶴の小説や近松門左衛門の戯曲にも登場するほど。

短い花軸に薄紅色の大輪で咲き誇る風景は、ふつうの桜風景とは少し違った趣を感じますね。

スポット③ 流鏑馬ヤブサメ神事



毎年7月第2日曜日には、流鏑馬神事が執り行われます。
その歴史は室町時代まで遡り、留守職・伊沢家景が流鏑馬を行って部下の士気を高めたのが始まりと伝えられています。

矢が的に的中することは除災招福の瑞祥とされ、観光客や地元の人々が大勢集まります。
私は乗馬をするのですが、手綱なしで両手を離して馬に乗るのは相当難しいと思います。
乗馬だけでも難しいのに、さらに揺れる馬の上で矢を放つなんて・・・カッコよすぎる!!

スポット④ 塩釜神社の高台


 


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参拝のあとにぜひ立ち寄ってみてください。
高台から見える絶景と歴史ある神社の厳かな雰囲気が相まって、きっと素敵なパワーを分けてもらえると思います。

 

お守り


うまくいくお守り


 


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その年の干支のチャームがついた「うまくいくお守り」。
縁結びや合格祈願など、目標にしたことがうまくいくようにと祈願されています。
確かに少々ざっくりした感じがしますが、何事も前向きに頑張れそうですね。

塩釜神社の御神塩


 


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塩釜神社にはその名のとおり、塩づくりの神「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」が祀られています。その御神塩は最強という噂があり、人気となっています。

御神塩(大)には容器がついていて、料理に使う人もいるようです。御神塩(小)にはお祓いで使われる切麻が入っています。


御朱印の時間と場所


 


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「一之宮」の文字、「奥州一ノ宮」「鹽竈神社」印
初穂料  500円
受付時間 9時~17時
受取場所 社頭

見開きで志波彦神社シハヒコの御朱印をいただくこともできます。
さらに、塩釜神社の御朱印帳についてです。

塩釜神社は、オリジナルの御朱印帳を用意しています。
藤色の生地に、国の重要文化財である御社殿と鹽竈ザクラの刺繍が施された上品なデザインです。

 


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初穂料 1500円(別途朱印料)

次に徳川家康と塩釜神社の神様の関係についてお伝えします。
塩釜神社で祀られているのは、シオツチの神。
シオツチのご利益を最も受けた人物として最初に上がるのは、徳川家康公でしょう。

 

 

最寄り駅からのアクセス


塩釜神社へのアクセスは、徒歩、バス、自家用車があります。
レンタサイクルは周辺にありませんでしたので、今回は載せていません。

アクセス(徒歩)


JR仙石線本塩釜駅から約15分です。

大通り沿いに歩いていくと、木々に囲まれた塩釜神社が見えてきます。
のんびり歩いていくのも良いかもしれません。

塩竈神社へのアクセス(バス)


JR仙石線本塩釜駅を出てすぐの「本塩釜駅前バス停」から、「しおナビ100円バス(北西部コース)」乗車すればokです。

名前通り、運賃100円で巡回しているバスで非常に便利です。ただ、平日のみの運行で運行数も少ないため、注意してくださいね。

しおナビ100円バス時刻表
そして、土日祝日も運行しているバスをご案内します。

「本塩釜駅前バス停」から「南回り経由/塩釜営業所行き」、「利府駅前経由/しらかし台行き」、「舘公民館/湯場経由・しらかし台行き」のいずれかに乗車してください。

「南回り経由」だと20分、「利府駅前経由」「「舘公民館/湯場経由」だと7分乗車し、運賃はともに150円です。
こちらも運行数が少ないため、往復路を計画しての利用をおすすめします。

時刻表
念のためタクシー情報も載せておきます。
松島公園タクシー
022-354-2186
JR本塩釜駅から塩釜神社まで約680円(約10分で到着)

アクセス(自動車)


三陸自動車道「利府中インターチェンジ」より約10分。
参拝者専用駐車場は、以下のストリートビューになります。
専用駐車場①

専用駐車場②

専用駐車場③

案内看板が立てられているのでわかりやすいかと思います。

 


周辺観光


塩釜神社博物館


塩釜神社博物館
宮城県塩竈市一森山1-1 鹽竈神社内
022-362-1049
4月1日~9月末日:午前8時30分~午後5時
12月1日~1月末日:午前8時30分~午後4時
10月・11月・2月・3月:午前8時30分~午後4時30分
一般・大学生200円、中高校生150円、小学生80円
駐車場 塩釜神社専用駐車場利用可

塩釜神社に隣接する博物館。国指定重要文化財「来国光」「雲生」をはじめ伝来の宝物を中心に、塩竈神社に関わる歴史資料等を展示しています。

伊達家歴代藩主が奉納した刀剣類も展示され、歴史を感じる施設です。

塩釜水産物仲卸市場


塩釜水産物仲卸市場
宮城県塩竈市新浜町1-20-74
JR仙石線東塩釜駅より徒歩15分
022-362-5518
月~金 3:00~13:00 土 3:00~14:00 日・祝 6:00~14:00
休場日 週水曜日、正月4日間の他、臨時休業日有
駐車場 約1000台

日本有数の生マグロ水揚げ高を誇る塩釜市。
そんな塩釜市だからこそ、三陸の海の幸をお得に購入できる施設がこちらです。

約140店舗が並び、場内で購入した海産物をつかった「マイ海鮮丼」も作れます(ごはんセット300円)。

菅野美術館


菅野美術館
宮城県塩竈市玉川3-4-15
JR塩釜駅より徒歩10分
0852-20-7000
10:00~17:00 (16:30まで入館受付)
閉館日 毎週月曜・火曜日(祝日の場合は翌日)
企画展期間:大人500円/大学・高校生300円/中学生以下無料
常設展期間:大人300円/大学・高校生200円/中学生以下無料

歴史と海の幸を堪能したあとは、芸術にも触れてみてはいかがでしょうか。
菅野美術館には、西洋の近代彫刻を中心としたコレクションが展示されています。

個人の美術館とは思えないそ展示数と展示物にきっと驚くと思います。
戦後すぐに建てられた建物自体もアートのひとつとなっています。

駐車場


塩釜神社の駐車場情報を以下にお伝えしますね。

 


塩釜神社専用駐車場
宮城県塩竈市一森山1-1(塩釜神社境内東側から北側)
022-367-1611
参拝者無料
300台(4ヶ所(うち1ヶ所バス専用)にわかれています)
システムパーク塩釜本町
宮城県塩釜市本町2-1
0120-162-088
17台
24時間
■時間料金
(全日)7:00-20:00 ¥200 60分
20:00-7:00 ¥100 60分
■最大料金
7:00-20:00 ¥600
20:00-7:00 ¥300
タイムズ塩竈本町
宮城県塩竈市本町5
電話番号不明
19台
24時間
■時間料金
08:00-20:00 30分¥100
20:00-08:00 60分¥100
■最大料金
駐車後24時間 最大料金¥500
タイムズ本塩釜駅前第2
宮城県塩竈市海岸通2
電話番号不明
10台
24時間
■時間料金
07:00-19:00 60分¥200
19:00-07:00 60分¥100
■最大料金
駐車後24時間 最大料金¥500


 


塩釜神社周辺の駐車場の地図を上記に示しました。
塩釜神社北側に、参拝者専用の無料駐車場があります。300台分の広い駐車場なので、こちらに駐車するのが良さそうです。

ただ、初詣時期など、混雑が予想される場合は、有料駐車場に停めるのも手だと思います。
検索ニーズの多そうな順にお伝えしますね。次は御朱印です。
御朱印は参拝の証、とされていますが、そうではなくて、神様とのキズナを表す糸のようなものです。

安産祈願と戌の日が良い理由


塩釜神社のご祭神のシオツチ神は、海と塩の象徴です。

海 = 産み
という言霊に由来するところがあり、また、人の生死は塩の満ち引き、月の影響からも、海を母と表現したりすることもあります。(うちの子も満月の塩の満ちた日に生まれました)

この塩釜神社がいつに創建されたのか、実は明らかになていません。
2000年以上前?少なくとも平安時代の書物には記載があったとのことです。

いずれにせよ、非常に昔から何十万人、何百万人もの人々が、この神社に思いを馳せて、来たんですね。

さらにシオツチの神という視点で考えると、海は人間が生まれる前から存在していました。
海の始まりは諸説ありますが、40億年前に存在していたとされています。

そのような昔から存在する海の象徴のシオツチ神が微生物から進化を辿り、そして人間、我が子になって来た、という長い歴史に思いを馳せると、とても神秘的だと思いませんか?

塩釜神社では妊娠5ヶ月目の戌の日に安産祈願すると良いとされています。
理由は、犬の出産が比較的安産であること、また犬が子に愛情深く、また多産であると言われています。

戌の日にお祓いをされた腹帯を巻くことで、生まれて来た子が岩のように丈夫になりますように、と願いを込めます。
安産祈願のご祈祷は、戌の日に合わせる必要はありません。

腹帯を巻くのが戌の日、ということですね。
戌の日は混雑する場合もありますのでご注意ください。

塩釜神社の階段に注意


塩釜神社の階段は急なことで有名です。

202段の結構急な階段があります。
ご心配な方は、参道を通らず、駐車場がわから行けば、急な階段を登らずに参拝することができます。

どんな感じか、ストリートビューで確認できるように、表示させておきますね。
ストリートビュー

 

お宮参りの意味


塩釜神社のお宮参りの意味については、お宮参りは、産後の母体と子供の穢れ(けがれ)を落とす意味合いがあります。

もちろんどの神社でも行うことはできますが、塩釜神社の場合は、海と塩の象徴シオツチ神です。特に祓う力が強いと考えて良いです。

盛り塩は清め、祓う意味もありますし、日本神話においても、イザナギが黄泉の国(死者の国)から帰った際に穢れを祓う際に、海で禊を行いました。

塩には禊祓いの力と、太古のキオクを思い出させる働きがあります。
40億年変わることなく浄化させて来た、地球の循環システムと考えたら、ものすごい効果だと思いませんか?最後に塩釜神社のまとめです。

まとめ


 

 


・塩釜神社の駐車場
→整備された300台駐車可能な専用駐車場が用意されています。
・塩釜神社の御朱印
→500円、9時~17時の受付、御朱印帳は1種類。
・塩釜神社のパワースポット
→「神釜」「鹽竈桜」「流鏑馬神事」「塩釜神社の高台」
・お守り
→「うまくいくお守り」「塩釜神社の御神塩」
・塩釜神社へのアクセス
→徒歩もしくはバス。平日なら100円バスが巡回していて便利です。
・塩釜神社の周辺観光スポット
→塩釜神社博物館、塩釜水産物仲卸市場 、菅野美術館


 

塩釜神社は、人生の潮の流れを思い切って変え、導きが欲しい時に参拝する神社と言えます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事をまとめた人

橋本ユリ
橋本ユリ
神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)

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