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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

百済王神社(枚方市)参拝レポート

2020年1月8日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

橋本ユリ
今回は大阪府枚方市にあります「百済王神社」についての記事をNONさんに投稿していただきました。


  • 百済王神社のご利益、御祭神、御由緒

  • Nさんの参拝レポート


についてお伝えいたします。

それでは参りましょう!

御利益



  • 必勝成就

  • 旅行安全


御祭神


百濟國王(くだらこくおう)

牛頭天王(ごずてんのう) / 進雄命(すさのおのみこと)

【摂末社】

相殿社

天照皇大神 – 大神社より合祀
天児屋根命 – 春日神社より合祀
大山咋命 – 日吉神社より合祀
市杵島姫命 – 厳島神社より合祀
奥津比古命、奥津比賣命、火産霊命 – 竃神社より合祀
瘡神(くさかみ) – 瘡神社より合祀

これらの末社は、中宮町にあったお社が経年により失われていったことから、祠に祀られていたおみたまを百済王神社に合祀されたと言われています。

稲荷神社
白鷹稲荷大神
高倉稲荷大神

毎年春には稲荷祭が行われます。

若宮八幡神社
品陀和気命(ほむだわけのみこと)

竜王山 浮島神社
高龗神(たかおかみのかみ)

(高龗神は、元は他の地域の鎮守として祀られていましたが、明治時代に合祀されたそうです。)

毎年七月に浮島神社祭が執り行われます。

【年中行事日程】

1月1日 元旦祭
1月15日 とんど祭
2月節分 節分祭
3月午日 稲荷祭
6月30日 夏越の大祓
7月18日 浮島神社祭
10月吉日 例大祭宵宮
10月吉日 例大祭本宮
12月8日 鎮火祭
毎月1日・15日 月次祭
毎日 日供祭

御由緒


当社は奈良時代(8世紀後半)百済王氏の祖霊を祀る祠廟として、東隣にその跡を残す百済寺とともに創建されたと考えられています。
朝鮮半島の古代国家の一つ百済(くだら)は、斉明天皇6年(660)に唐・新羅の連合軍に滅ぼされました。

その後、百済再興の戦が続きましたが、天智天皇2年(663)に白村江において敗れ、百済復興の夢は潰えました。

資料によれば、その翌年には数千もの人々が我が国に逃れました。

百濟國王第31代義慈王の子、善光(禅広)は当時日本にいましたが、百済を逃れて来朝した百済遺民らとともに朝廷に仕えました。

朝廷は善光とその一族を重んじ、持統天皇7年(693)には「百済王(くだらのこにきし)」という氏族名を与えました。

その後、聖武天皇の御代、東大寺大仏造立に際し、陸奥守であった百済王敬福(善光のひ孫)は大仏塗金のための黄金900両を献上し、天平21年(749)、敬福は従三位に叙せられ、宮内卿・河内守に任ぜられました。

これを機に百済王氏一族は摂津国百済郡の居住地を離れ、ここ河内国交野郡中宮の地に住まいを移し、氏寺百済寺と神社(祠廟)を建立したと考えられています。

百済王氏一族は桓武天皇・嵯峨天皇らの時代、天皇家の外戚ともなり、隆盛を誇りますが、9世紀後半からは勢力を失ってゆき、9世紀末には史書から姿が消えます。

そのため、その後の百済王氏の動向は詳らかではありませんが、長くこの地で禁野司として命脈を保ち続けます。

しかし、大永元年(1521)の百済王遠倫の叙爵を最後に記録から消え去ります。

また、当時の記録として、天文24年(1555)、牧郷の一宮(現 片埜神社)の御神田帳に百済寺の記載があります。

百済王氏の祠廟が百濟王神社となった経緯は詳らかではありませんが、資料上では、延宝7年(1679)の河内鑑名所記交野郡の項に「百済王の宮あり・・・伽藍の旧跡有」との記述があり、延宝9年(1681)の寺社改帳には「百濟國王牛頭天王相殿一社」と記され、さらに「廟の無年貢地を持ち、宮座4、人数114人」の具体的記述があります。

また、享保18年(1733)日本興地通史河内誌に「百済廃寺は中宮村に在り。百済王祠廟の域内に礎石なお存す」とあり、享和元年(1801)の河内名所圖會(第六巻)に「百済王霊社、中宮村にあり、此所の産土神となす。ここに昔、百済寺というあり、今、廃して古礎存す」と記されています。

これら資料から江戸時代前期からは旧中宮村の氏神となっていたと考えられます。
対して百濟王神社の成立について氏子による見解としては、

「百済王氏が衰退した後、この地は森林に覆われてしまったと思われる。古びた祠が痕跡を残し、ここにまつられていた”百済王”がこの地の土地神様の様相を示していくようになったのではないだろうか。現在の氏子の祖先が土地神様を奉ろうとした時、そこに祠があり、その場所でご加護を願い社を建てたのが、当社の創建であろう。」

としています。
現在の神社を形成する建造物、石造物はすべて江戸時代中期以後のものです。

最も古いものは正徳3年(1713)の南端石造鳥居で、「百濟國王牛頭天王 廣前」の銘が彫られています。その他、手水舎石造水盤には享保5年(1720)、山車一基他には天保7年(1836)とあり、江戸時代後期の石造狛犬・多数の石灯籠も現存します。
本殿については、高欄の凝宝珠銘に「文政十丁亥年 百濟國王牛頭天王 河州交野郡中宮村」とあること、正統な春日造りであること等によって、文政5年(1822)の春日大社の造替に際し、その一棟を下賜されたものと考えられています。

保存状態は極めて良好で、建築当初の形式を伝える貴重な遺構です。
次に拝殿について、旧拝殿の創建は現時点で明確な資料はなく不明ですが、最も古い修繕記録から天保7年(1836)には存し、昭和五十年の修繕事業に携った建築士によれば形式手法よりみて本殿脇の狛犬の建立と同時期、すなわち明和3年(1766)頃と考えられるようです。

平成14年(2002)には建物自体を一新し、現在の拝殿が竣工しました。これに際し旧拝殿は現拝殿の南東側へ移され、現在もその姿を見る事が出来ます。
当社の御祭神は百濟國王神と進雄命です。進雄命(牛頭天王)がいつ頃、いかなる経緯により合祀されたかは定かではありませんが、百濟國王神とともにその霊験はあらたかです。


百済王神社HPより引用

【アクセス】


大阪府枚方市中宮西之町1-68

TEL 072-840-2624


【Nさんの参拝レポート】


【駐車場写真】

【通路写真】

【鳥居写真】

【御由緒案内】

【手水舎写真】

【本殿写真】


【周辺写真】

初詣などで賑わう地域の神社で、身近な感じがしました。

地元の方からは、百済さんと親しみを込めて呼ばれています。

以前からこの地域では大きな神社なので知っていましたが、調べてみると地域の小さな神社が合祀されていると知り、これもこれからの神社の残っていく姿なのかな?と感じました。

でも、その場所や方位とか神社がそこに在ることが結界となり、守られている部分があると思うので、その部分が気になりました。

まとめ


橋本ユリ
特別史跡として百済寺跡もあり、歴史がある場所です。近くに来られた際はぜひ一度参拝してみてくださいね


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