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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

【倭姫命】天照大御神の御巡幸を引き継ぎ、伊勢神宮の創建に貢献した偉大な皇女

2020年1月14日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

天皇の退位の礼・即位の礼の儀式が執り行われた伊勢神宮には、天照大御神を祀る皇大神宮があります。

伊勢神宮の創建は約二千年前ですが、その経緯は天皇2代に渡る長いものでした。
天照大御神が三輪山麓の崇神天皇の宮殿から離れ、鎮座地を求めて御巡幸の末に見つけた聖域が今の地であり、その創建に貢献したのが倭姫命なのです。

伊勢神宮での一切合切を取り仕切り、天照大御神が鎮まるための環境を全て整え、神社の基礎を築きました。
その偉業は「倭姫命世紀」という神書にも残されているほどです。

橋本ユリ
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)とはどのような方なのか、天照大御神のために捧げた壮絶な人生を紹介していきます。


それでは参りましょう!

目次一覧

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)とは


倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は第11代垂仁天皇の第四皇女として誕生しました。
母は皇后日葉酢姫(ヒバスヒメ)、第二皇太子の兄は後に景行天皇となりました。

日本書記によると、第10代崇神天皇の元に天照大御神の御霊が祀られていた時期、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)の元で、巫女として仕えていました。

天照大御神は崇神天皇の元を離れ、安息の地を求め、豊鍬入姫命に御神託を望みます。
一旦は奈良に落ち着きますが、そこではないという天照大御神の希望を叶えるべく、次の御杖代に選ばれたのが倭姫命でした。

天照大御神の望むまま、各地に鎮座地を求め、御巡幸は21地に渡りました。
そして、辿り着いたのが伊勢の五十鈴川のほとり、ここを鎮座地とすると天照大御神がお決めになったのです。

倭姫命は伊勢に皇大神宮御鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中祭事を定め、神領を選定し、禰宜(ねぎ)・大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌をつくりました。
また斎戒(さいかい)や祓の法を示すなどし、神宮所属の宮社を定められるなどの、伊勢神宮の祭祀と経営の基礎の確立に尽力され、斎宮となりました。

また日本武尊(ヤマトタケル)の叔母として、伊勢神宮に参拝の際、関東遠征の際に草薙の剣と火打石を授け、日本武尊の東征の無事を願いました。

伊勢神宮内宮と外宮の中間に位置する伊勢市倭町の間の山(あいのやま)に倭姫命を埋葬したと伝えられる尾上御陵(おべごりょう)という遺跡があります。

 

別名

  • 古事記 倭比米命(ヤマトヒメ)
  • 日本書紀 倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
 

ご神格

鎌倉時代に度合行忠ら外宮祀官が、伊勢神宮に伝わる古伝を加筆したものに、5つの根本経典で成り立つ『神道五部書』があります。
その中の一つが「倭姫命世紀」で、天孫降臨から始まり、天皇の誕生・天照大御神の御巡幸・伊勢御鎮座と皇大神宮創設などの倭姫命の功績と伊勢神宮の内宮外宮別宮の詳細などが記されています。

「倭姫命世紀」には、倭姫命の御教えが多くあります。
その中で、『倭姫命御杖代奉賛会』に記載された御教えの原文を紹介します。

「人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし、冥は加うるに正直をもって本となせり。
神は祭るの礼は、清浄をもって先となし、真信をもって宗となす。」

訳として「神から命を分け与えられた人は、真心をそこなうことなく、正直と清浄の敬神生活を送らねばならない」とあります。

「黒心なくして、丹心をもちて、清く潔く斎り慎み、左の物を右に移さず、右のものを左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に回ることも、万事違う事なくして、大神に仕え奉る。
元を元とし、本を本とする故なり。」

訳として「自然の秩序さながら神仕えのまことをつくす左々右々、万事を根源に帰しみる元々本々」とあり、神を仕え奉る心得が語られています。

倭姫命は天照大御神が鎮座地と決めた伊勢に神社を創設し、そこに皇大神宮を設えただけでなく、神に仕える者の心得をつくられたのです。

 

ご利益

倭姫命は天照大御神の御杖代として、忍耐強く長きに渡り鎮座地を見つける御巡幸をされました。
夢や目標を持つものに、成し遂げる力を与えてくださいます。
  • 心願成就
  • 大願成就
  • 諸願成就
  • 業務成就
  • 勝運向上
 

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の神話


倭姫命が天照大御神の御杖代となって伊勢にたどり着き、皇大神宮を創建した経緯を、ここでは日本書記と倭姫命世紀に基づいた神話で紹介していきます。

 

崇神天皇と宮殿に祀られた二神

天孫降臨以降、天皇の宮殿には天皇の皇祖神の天照大御神と、国造りに貢献した倭大国魂神の二神が「同床共殿」として祀られていました。

崇神天皇6年、人々は疫病で苦しみ、不作による飢餓で国内はひっ迫し、最大の危機に陥っていました。
その原因がこの二神の神威なのではないか、そう思った崇神天皇は二神を宮中から出し、安息の地となる鎮座地を探すべく、自分の娘(皇女)に御杖代(みつえしろ)を任命しました。

天照大御神には豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)、倭大国魂神には淳名城入姫命(ヌナキイリビメノミコト)
を仕えさせ、三輪山麓の宮殿を後にします。

天照大御神と豊鍬入姫命は御巡幸が叶いましたが、倭大国魂神と淳名城入姫命は、姫命の髪が抜け、体が痩せ細ってしまうほど衰弱したため、祀ることが叶いませんでした。
のちに大田田根子命(おおたたねこ)が祀る祭主となり、倭国造(やまとのくにのみやつこ)の市磯(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主にし、大和神社を創健しました。

 

天照大御神と豊鍬入姫命の御巡幸

天照大御神はすぐに、三輪山麓の笠縫邑(かさぬいのむら)に「磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろぎ)」を築き、神域にしました。
笠縫邑の大神神社の摂社・檜原神社を33年鎮座地とした後、さらなる安息地を求め旅立ちます。
福井の吉佐宮(よさぐう)に4年、戻って笠縫邑の伊豆加志本宮(いつかしもとのみや)に8年、和歌山の奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)に3年、岡山の名方浜宮(なかたのはまのみや)に4年、三輪山麓に戻って弥和乃御室嶺上宮(みわのみむろのみねのうえのみや)に2年と御巡幸を行いました。

それでも天照大御神はその地に満足せず、さらなる御巡幸を望みますが、これまでに費やした年月は52年にも及び、豊鍬入姫命はもう御杖代としてお仕えすることができなくなっていました。

 

倭姫命に託された御巡幸

三輪山の麓にある大神神社の御室嶺上宮に鎮座していた天照大御神は、それでも御巡幸を求めます。
その頃は第11代垂仁天皇の時代になっており、そのお役目が皇女である倭姫命に引き継がれます。

天照大御神と倭姫命の、長い長い御巡幸が始まります。

1.大和国 宇多秋宮(うたのあきのみや) 阿紀神社 4年 奈良県宇陀市
2.大和国 佐左波多宮(ささはたのみや) 篠畑神社 4年 奈良県宇陀市
3.伊賀国 市守宮(いちもりのみや) 宇流富志禰神社 2年 三重県名張市
4伊賀国 .穴穂宮(あなほのみや) 神戸神社 4年 三重県伊賀市
5.伊賀国 敢都美恵神宮(あえとあえのみや) 都美恵神社 2年 三重県伊賀市
6.近江国 甲可日雲宮(こうかひぐものみや) 垂水頓神社 2年 滋賀県甲賀市
7.近江国 坂田宮(さかたのみや) 坂田神明神 2年 滋賀県米原市
8.美濃国 伊久良河宮(いくらがわのみや) 天神神社 2年 岐阜県瑞穂市
9.尾張国 中島宮(なかじまのみや) 酒見神社 愛知県一宮市
10.伊勢国 桑名野代宮(くわなののしろのみや) 野志里神社 4年 三重県桑名市
11.伊勢国 奈其波志忍山宮(なごわしのおしのやまのみや) 布気皇館太神社 三重県亀山市
12.伊勢国 阿佐加藤方片樋宮(あさかふじかたのかたひのみや) 加良比乃神社 4年 三重県津市
13.伊勢国 飯野高宮(いいのたかのみや) 神山神社 4年 三重県松阪市
14.伊勢国 佐佐牟江宮(ささむえのみや) 竹佐々夫江神社 三重県多気郡
15.伊勢国 伊蘓宮(いそのみや) 磯神社 三重県伊勢市
16.伊勢国 瀧原宮(たきのはらみや) 三重県度会郡
17.伊勢国 矢田宮(やたのみや) 三重県伊勢市
18.伊勢国 家田田上宮(やたのたのうえのみや) 神宮神田 三重県伊勢市
19.伊勢国 奈尾之根宮(なおしねのみや) 那自売神社(内宮末社) 三重県伊勢市
20..伊勢国 五十鈴宮(いすずのみや) 皇大神宮 三重県伊勢市

豊鍬入姫命が御杖代として御巡幸された地と、以上の地を元伊勢と呼び、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)が、現在地に還る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社や場所とされています。

 

辿り着いた聖地・伊勢

天照大御神の御杖代として、鎮座地の御巡幸のお供をしてきた倭姫命。

倭姫命世紀によると、伊勢国に入った後、五十鈴川の後江で、倭姫命は大田命に吉き宮処があるか問います。
「さこくしろ宇遅の五十鈴の河上は、大日本の国の中に殊勝なる霊地あるなり。その中に、翁三十八万歳の間にも、未だ視知らざる霊物あり。照輝くこと日月のごとくなり。おもうに小縁の物に存らじ。定めて主の出現御坐さむとする時に、『献るべし』と思ひてここに敬ひ祭り申す」
その地を見ると、昔大神が誓願されて、豊蘆原瑞穂国の中の伊勢の風早の国に美しい宮処があり、天上から投げ降ろされた天の逆太刀・逆桙・金鈴などがそのにあったため、ここと見定めました。

そして垂仁天皇26年、天照大御神を奉還し五十鈴の河上に留まります。
この年に倭姫命は、大幡主命や物部八十友諸人たちを招き、天照大御神並びに荒魂宮和魂宮が鎮まる場所を創っていきます。
水の神によって還幸し、多くの祭事を取りまとめた倭姫命に、天照大御神は夢の中でこう諭されます。
「我、高天原に坐して、甕戸に押し張り、むかし見て求めし国の宮処は是処なり。鎮まり定り給へ」と。

その後も倭姫命のしきりにより、伊勢神宮が創設され、天照大御神は皇大神宮に無事鎮まりました。

日本書記による天照大御神から倭姫命への神託はこのようになっています。
「是神風伊勢国 即常世之波重波歸國也 傍國可怜國也 欲居是國」
(伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう)

三重県志摩郡にある伊雑宮(いざわのみや)は、倭姫命が御膳御贄処と定め創設とし、内宮・別宮とされました。

天照大御神の御巡幸に御杖代として同行し、奉仕されその生涯を費やした豊鍬入姫命と倭姫命の偉業は評価されながらも、皇女という立場もあって祀られることはありませんでした。
それが近年、二人の皇女を祀る社が漸く創立されました。
  • 豊鍬入姫命 大神神社摂社・檜原神社末社 豊鍬入姫宮 昭和61年11月5日 御鎮齊
  • 倭姫命 伊勢神宮内宮・別宮 倭姫宮 大正12年11月5日 御鎮齊
 

甥日本武尊に持たせたお守り

伊勢神宮の斎宮になった倭姫命のもとに日本武尊が参拝に訪れます。
兄・景行天皇の第二子の日本武尊は甥にあたります。
父・景行天皇は自分に各地征伐に任命し、休む間もなく、今度は東伐を命じられ、失意のまま叔母のいる伊勢神宮に立ち寄ったのです。

今度の遠征には部下もいないので勝ち目がない、行きたくないと倭姫命に思いを吐露します。
倭姫命は草薙の剣と火打石の入った袋を渡し、こう言います「慎みなさい、怠ってはいけません」と。

それにより、数々の危機を乗り越え、東伐を果たした日本武尊でしたが、帰途につく途中、尾張国で宮簀媛(ミヤヅヒメ)と結ばれ、その時草薙の剣を身から離したために荒神に呪いをかけられて死んでしまいます。
その後、草薙の剣は熱田神宮に奉納されました。

 

卑弥呼説

倭姫命は「三国志」魏志倭人伝にある邪馬台国の女王・卑弥呼ではないか、という説があります。
識者によって論議されている卑弥呼と邪馬台国の場所ですが、倭姫命が神を祀る役割を負っていたことから、その説が浮上したと思われます。

 

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を祀る神社

倭姫宮(やまとひめのみや)-伊勢神宮内宮・別宮

倭姫宮は、内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中間地点にある倉田山に鎮座しています。
倉田山の西側には、神宮徴古館・農業館・美術館・神宮文庫などがあり、「倭姫文化の森」と呼ばれています。
御朱印や授与品は、宿衛屋でいただいてください。

御祭神:倭姫命

住所:三重県伊勢市楠部町5
アクセス:近鉄五十鈴川駅より徒歩7分

 

阿紀神社-宇多秋宮(うたのあきのみや)

神武天皇が東征のために熊野から宇陀まで進軍した際、この地で大和に向かって天照大御神を祀ると、その勢いにより、賊軍に勝利できたといわれています。
毎年6月中旬に「あきの蛍能」が催され、蛍が闇に放たれます。

住所:奈良県宇陀市大字陀迫間252
アクセス:近鉄大阪線棒原駅から奈良交通バス→大宇陀下車徒歩15分

御祭神:天照大御神・秋田比米神・邇邇杵命・八意思兼神
ご利益:病気平癒・健康回復・疾病退散・諸病平癒

 

篠畑神社-宇多佐左波多宮(うたのささはたのみや)

日本書記に「倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、莬田の筱幡(めんだのささはた)に詣る」と具体的な地名が載っていました。
摂社には、御祭神が佐佐波多姫の佐々幡波多神社があります。

住所:奈良県宇陀市棒原町山辺三2235
アクセス:近鉄大阪線・室生口大野駅からバス→山辺東徒歩1分

御祭神:天照大御神
ご利益:歯痛緩和

 

宇流富志禰神社-市守宮(いちもりのみや)

主祭神の宇奈根命は、水・穀物の神であり、名の由来は元々の御神体が置かれている場所が、名張川のうねり側にあることから、うねるがうなねになったと云われています。
神宝は、御神刀が三振と文化財として能面が四十五あり、伊賀の藤堂邸より譲り受けたもので、見学可能。

住所:三重県名張市平尾3319
アクセス:近鉄名張駅より徒歩15分

御祭神:宇奈根命(ウナネノミコト)
ご利益:水の恵み・五穀豊穣・火難除け

 

神戸神社-穴穂宮(あなほのみや)

切妻造りの拝殿と、伊勢神宮と同じ種類の剣花菱の紋が使われている神戸神社は、今も伊勢神宮とは関係が深く、式年遷宮の「お白石持」神事や、御田植祭にもその都度、この地の婦人会が奉仕しており、式年遷宮の翌年には旧ご用材を下賜されていて、20年毎に社殿の造営が行われています。

住所:三重県伊賀市上神戸317
アクセス:伊賀線上林駅より徒歩13分

御祭神:大日窶貴命(オオヒルメノムチノミコト) 配祀:倭姫命ほか
ご利益:心願成就

 

都美恵神社-敢都美恵神宮(あえとあえのみや)

都美恵神社はこの地の伊勢神宮遙拝所とされています。神宮遥拝所とは伊勢神宮に向かって遥かに拝む神聖な場所であるという意味があります。
切妻・平入・流れ造りの3つの社殿があり、多数の神社が合祀されているので祭神の数も多いようです。

住所:三重県伊賀市柘植町2280
アクセス:青山行政バス高尾線→種生支所前徒歩1分

御祭神:幡千々比賣命(タクハタチハタヒメノミコト) 経津主命(フツヌシノカミ) 布都御魂命(フツノミタマノカミ) 大日窶貴命 倭姫命ほか
ご利益:運気上昇・福徳招来・心願成就

 

垂水頓宮址-甲可日雲宮(こうかひぐものみや)

この地は平安時代の初期から鎌倉時代の中期頃までの約380年間、31人の斎王が伊勢参行の途上に宿泊された頓宮が建立されていました。
京都から伊勢の斎宮まで、5泊6日の行程、その間の5か所で宿泊された仮の宿で、明確に検証されている頓宮はここだけです。

住所:滋賀県甲賀市土山町頓宮
アクセス:JR草津線貴生川駅からバス→白川橋下車

 

坂田明神宮-坂田宮(さかたのみや)

坂田宮は元伊勢の伝承地でもありますが、伊勢神宮創建後には御厨であった坂田御厨が置かれた地でもありました。その起源は倭姫命が来た時に献上された神田(しんでん)にあるといいます。
毎年4月29日の春の祭礼には「蹴り奴振り」が行われます。

住所:滋賀県米原市宇賀野835-2
アクセス:JR坂田駅から徒歩2分

御祭神:天照大御神
ご利益:五穀豊穣

 

天神神社-伊久良河宮(いくらがわのみや)

社伝によると、社殿建立以前は一帯が禁足地とされ、御船代石を憑代(よりしろ)に祭祀が行われていました。
御船代石の周囲からは神獣文鏡6面と硬玉製をはじめとする30個余りの勾玉が出土しており、古代祭祀の遺跡であると見られています。
御船代石周辺に二社の境内社があり、それぞれ天照大御神と倭姫命を祀っています。

住所:岐阜県瑞穂市居倉
アクセス:JR東海道本線穂積駅より穂積市コミュニティバスみずほバス→居倉公民館下車徒歩1分

御祭神:高皇産霊神(タカミムスビ)・神皇産霊神(カミムスビ)
ご利益:縁結び・開運・厄除け

 

酒見神社-中島宮(なかじまのみや)

斎衡3年(856年)、文徳天皇の勅命により、伊勢神宮から大邑刃自・小邑刃自の2名の酒造師がこの地に派遣されて、伊勢神宮にお供えする御神酒を製造したと伝えられています。
清酒の醸造が最初に行われたところともいわれ、「酒見」に社名もこれにちなんで付けられました。
社殿は北向き、本殿の裏には倭姫社は壁が無い吹き抜け構造になっています。

住所:愛知県一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476
アクセス:JR尾張一宮駅iバス→酒見神社下車すぐ

御祭神:天照大御神・酒弥豆男神・酒弥豆女神 倭姫命
ご利益:開運・厄除け・酒造・医薬

 

野志里神社-桑名野代宮(くわなののしろのみや)

白川信仰とも関りの深い大日ケ岳に源を発している野志里神社は、下野代地区の氏神として鎮座しています。
石碑の背後にはしめ縄が掛けられた幹周5.47m、樹高22mの見事な巨樹くすの木があります。
お祀りして4年、宇治の土公の祖・太田命の占いで、今の伊勢神宮の地が見えると告げたそうです。

住所:三重県桑名市多度町下野代3073
アクセス:養老鉄道養老線下野代駅徒歩4分

御祭神:天照大御神
ご利益:開運・心願成就

 

布気皇館太神社-奈其波志忍山宮(なごわしのおしのやまのみや)

社名の由来は旧野村字に布気林というところがあり、そこに奉斎してあったため布気神社と称えました。
後に兵乱によって焼失したため、皇館の森へ奉還したと伝えられています。

住所:三重県亀山市布気町1663
アクセス:関西本線亀山駅徒歩30分

御祭神:天照大御神・豊受大神・伊吹戸主神
ご利益:開運・厄除け・五穀豊穣・財運

 

加良比乃神社-阿佐加乃藤方片樋宮(あさかのふじかたのかたひのみや)

阿佐加乃藤方片樋宮の場所は、三重県津市の藤方で、かつての伊勢国一志郡阿坂に存在し、その筆頭が加良比乃神社で、その「片樋」に「加良比乃」の文字が充てられ、加良比乃宮を呼ばれるようになりました。
御巡幸の途中、阿佐加の山にて荒振神が出現し、交通を妨げ旅人を殺すという事態に遭遇したため、この地で4年間滞在しました。

住所:三重県津市藤方森目335
アクセス:近鉄津駅から小森上野経由警察学校行きバス→藤方下車徒歩4分

御祭神:御倉板擧神・天照大御神
ご利益:開運・厄払い・宝飾関係

 

神山神社-飯野高宮(いいのかたみや)

次の御巡幸先に行くため、阿佐加乃藤方片樋宮を出発し、船に乘って伊勢湾沿いを南下し、櫛田川の河口に達し、そこから川を上って飯野高宮に入りました。
この時点で五十鈴川河上の宮に入ることをお決めになり、その準備を待って4年滞在したようです。

住所:三重県松阪市山添町4
アクセス:JR紀勢線多気駅から櫛田川を渡りJR紀伊本線踏切向こう側

御祭神:猿田彦命・天鈿女命(あめのうずめ)
ご利益:開運・厄除け・方位除け・交通安全・芸能

 

竹佐々夫江神社-佐左牟江宮(ささむえのみや)

社名の竹佐々夫江の竹は多気郡の意味で、佐々夫江は地名に由来します。
一行が御巡幸の際、飯野高宮より佐佐牟江に船を留め、その地に佐佐牟江宮を造営し、五十鈴川に入る準備をしました。

住所:三重県多気郡明和町大字山淀3004
アクセス:近鉄明野駅三交バス山大淀線→山大淀徒歩1分

御祭神:建速須佐之男命・大歳神・栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)
ご利益:繊維の神・安産・子宝

 

磯神社-伊蘓宮(いそのみや)

磯神社は、磯町の宮川の最下流域左岸の河岸段丘上にあり、一行の御巡幸の宮の跡地に建てられました。
ただ、旧地は宮川の洪水で崩壊したため、現在地に遷座しました。
特殊神事として、須佐之男命の八岐大蛇退治神話の所作「七起こしの舞」と称し、祭行されています。

住所:三重県伊勢市磯町1069
アクセス:三重交通バス 今一色・土路線→磯口徒歩5分

御祭神:天照坐皇大御神・豊受比賣大神
ご利益:開運・厄除け・五穀豊穣・安産・家内安全・無病息災

 

瀧原宮(たきはらのみや)

一行が御巡幸の際、宮川下流から上流に進むと、「大河の瀧原の国」という美しい土地があり、この地に二宇の宮殿を造率されたのが起源です。
瀧原宮は「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十九里」と記されているほど、歴史深いものがあります。

住所:三重県度会郡大紀町872
アクセス:JR滝原駅より徒歩20分

御祭神:天照大御神
ご利益:開運・心願成就・家内安全・五穀豊穣

 

矢田宮(やだのみや)

一行は五十鈴河後の江まで移動し、到達したのが矢田川沿いの口矢田の森で、そこに宮を建てました。

住所:三重県伊勢市楠部町字口矢田
ご利益:食の安全・食育・五穀豊穣

 

神宮神田-家田田上宮(やたのたのうえのみや)

一行がさらに1㎞離れた場所に家田田上宮があり、これらの宮に隣接する神宮神田は、朝御饌・夕御饌処の御田を定め奉るために特別に選ばれた土地です。
神宮に奉る御料米を収穫する皇太神の御田として、今も御料米は作られ、神宮の御園では季節に応じた野菜果物を栽培しています。

住所:三重県伊勢市楠部町

ご利益:食の安全・食育・五穀豊穣

 

那自売神社-奈尾之根宮(なおしねのみや)

いよいよ鎮座地が近いと思った倭姫命は大田命にどこがいいか尋ねると、高天原から降り立ったときの景色によく似た丘があると話し、水の神二神によって還幸し、留まる宮をこの地に建てました。

住所:三重県伊勢市中村町字西垣外918 内宮末社
アクセス:近鉄鳥羽線五十鈴川駅徒歩10分

御祭神:大水上御祖命(おおみなかみのミオヤノミコト)・御裳乃須蘇比賣命(ミモノスソヒメノミコト)
ご利益:水の守護・五穀豊穣・水難除け

 

伊雑宮(いざわのみや)-内宮・別宮

伊雑宮は、天照大御神の御魂をお祀りし、「いぞうぐう」とも呼ばれ、地元の人々からは「遙宮(とおのみや)として崇敬され、海の幸・山の幸の豊饒が祈られてきました。
毎年6月24日(6月月次祭当日)に執り行われる御田植式は「磯部の御神田」の名で、国の重要無形民俗文化財に登録されています。

住所:三重県志摩市磯部町上之郷374
アクセス:近鉄上之郷駅より徒歩3分

御祭神:天照大御神
ご利益:海の守り神・大漁・五穀豊穣

 

西院野々宮神社-西四条斎宮(にししじょうさいぐう)

平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が、伊勢に赴かれるまでの間、心身を清めるための潔斎所である「野々宮」が築かれた聖地で、各地にある野々宮の名称はこの地が発祥とされています。

住所:京都市右京区西院日照町47
アクセス:阪急電鉄 西院駅徒歩10分

御祭神:倭姫命 布勢内親王
ご利益:女人守護・心願成就・家内安全

 

東京大神宮

江戸時代に伊勢神宮への参拝を願った人々のために、明治天皇の御裁断を仰ぎ、伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創設されました。
「東京のお伊勢さま」と呼ばれ、縁結びを願う参拝者が多く訪れる神社です。

住所:東京都千代田区富士見2-4-1
アクセス:総武線飯田駅より徒歩5分

御祭神:天照大御神・豊受大神・倭姫命
ご利益:国家の平和・農業・産業の発展・衣食住の安定

 

まとめ


伊勢神宮の創設の中心となった倭姫命は、天照大御神の御杖代となり、長い年月をかけて鎮座地の御巡幸を行い、無事に安息の地を見つけ、皇大神宮を御造りになりました。

その規模と環境、しきたりから人事まで、すべてを取り仕切ったまさに名プロデューサー。
今でもなお、その儀式は引き継がれ、天皇の退位・即位は古式形式そのままです。
それは、「倭姫命世紀」にある、神事を司ることは不変でゆるぎないことが大事と言う意味に繋がります。

皇女であるがゆえ、偉業をなしていながら表立って祀られていませんでしたが、近年になって内宮と外宮の中間に倭姫宮が創られたことは意味深いです。

何と、「倭姫命世紀」は、アマゾンで現代語訳本が販売されていますし、英語スクールでは英語表現・フレーズで検索することもできます。

橋本ユリ
三輪山から伊勢神宮までの元伊勢の道のりを巡って、天照大御神に生涯を捧げた倭姫命の思いを辿ってみてください。


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