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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

生田神社【参拝レポート】

2019年5月16日 2019年06月17日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

橋本ユリ
神戸三宮の近くにあります「生田神社」についての記事をN.Fさんの投稿していただきました。


  • 生田神社の御祭神、ご利益パワースポット


についてお伝えします!

それでは参りましょう!

ご利益



  • 健康長寿

  • 子宝安産

  • 雨乞い


などのご利益があるとされています。

ご祭神


主祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)

 

「稚(わか)くて、みずみずしい、太陽の神様」という意味です。天照大神の和魂(にぎみたま)とも、妹神と伝えられています。

物を生み育て万物の成長をご加護する神様です。

 

神代の昔、機殿(はたどの)で神服を織っておられました。(スサノオが織殿に馬の死骸を投げ込んだときに亡くなった方とも)

ホツマツタエでは、ワカヒメと申される方です。日女~ヒルメで、西宮の蛭子様でもあると、専門家に教えてもらいました。

男性のアマテル神の実際は姉で、体に障りがあり、一度捨て子にされて、住吉大神(大臣カナサキ)に拾われ、廣田神社で育てられた女神です。後に聡明な女性として育ち、宮中に戻られました。カナサキは、言霊の霊力ある和歌と、四季の変化、炊飯を教えたと描かれています。(北老の炊飯護符には、ワカヒメの回文になっている和歌が書かれています。)

神社由緒


神社の由緒は、日本書記に書かれています。

神功皇后元年(西暦201年)三韓外征の帰途、今の神戸港にて船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は活田長峡国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅(うながみのいさち)という方を神主として祀られたそうです。

大同元年(西暦806年)朝廷より神様にお供えする家、世話をし守る家である神戸(かんべ)44戸を頂いたとあり、この神戸(かんべ)が神戸市の由来になっています。昔は神戸市中央区一体が、敷地でした。


幾度も蘇ってきた歴史


1800年の歴史の間、災害で何度も社殿が無くなり、ご神名の通り、何度もみずみずしく蘇ってきました。
もともと砂山(いさごやま)という山奥に祀られていた生田神社は、西暦799年、大雨で社殿が大きく傾きました。そこで今の場所に遷ってこられました。

その時、社殿を壊したのが倒れてきた松だったので、生田神社に松を入れてはならないことになりました。
お正月も松飾をせず、杉盛りをします。

江戸時代に建立され、安政元年の大地震で倒れた「折れ鳥居と礎石」も残っています。

第二次世界大戦のときは、工場がある神戸の街は集中空襲を受けました。

生田神社の境内だけで600発もの焼夷弾が落ちてきたそうです。
私の父も、水を求めた人たちが、水路に折り重なるように亡くなっているのを見ています。

当時の宮司は、弾が降り注ぐ中命がけでご神体を保護。
拝殿横にある弁天社の中にご神体を隠し、自分はそばの生田池に潜って身を守ったそうです。

ご神体と神職たちは皆無事でしたが、境内の社殿はすべて焼け落ちました。
空襲からご神体と神主を守った弁天様と池です。

空襲で焼けた後、蘇った樹齢500年の神木

阪神淡路大震災のときも、この状態だった。拝殿も楼門も戦災を生き延びた石の鳥居も・・・。

しかし、全国からの支援を受け、1年半で復活を遂げました。
伊勢神宮から復興を願い、大鳥居が届けられました。(今は2代目)

摂社・末社


住吉神社


社殿内向かって右

  • 表筒男命(うわつつのお)

  • 中筒男命(なかつつのお)

  • 底筒男命(そこつつのお)


八幡神社


社殿内向かって右

  • 応神天皇


諏訪神社


社殿内向かって左

  • 武御名方命(たけみなかた)


日吉神社


社殿内向かって左

  • 大山咋命(おおやまくい)


市杵島神社


生田池

  • 市杵島姫命(いちきしまひめ)


稲荷神社



  • 穂倉魂命(うがのみたま)


塞神社


社殿東

  • 道返大神(ちがえしおおかみ)

  • 八衢比古(やちまたひこ)

  • 八衢比売(やちまたひめ)


雷大臣神社


社殿東

  • 中臣烏賊津連(なかとみのいかつおみのむらじ)

  • 生田神社元宮司家

  • 後上家の始祖神


人丸神社


社殿東

  • 柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)


蛭子神社


社殿より西参道正面

  • 蛭子命(ひるこのみこと)



大海神社


2ノ鳥居入って左

  • 猿田彦命(さるたひこ)



松尾神社


2ノ鳥居入って右

  • 大山咋命(おおやまくい)


戸隠神社


西の参道正面

  • 手力男命(たじからおみこと)



生田森坐社(いくたのもりいますしゃ)


生田の森内

  • 神功皇后



パワースポット


生田の森


枕草子に、「森は糺の森、信太の森、生田の森・・・」と詠まれました。
源平合戦の折、一の谷から生田の森へかけて一帯が戦場となるなど、歴史的に由緒のある森です。
戦火を免れた樹齢500年の神木が4本あります。

森の中の川で、曲水の歌の宴が開かれます。


生田の池


拾遺和歌集を始め名高い名勝として歌に詠まれています。

箙の梅


矢を入れる筒に、梅の枝も刺してあった平家の風流

梶原の井


「かがみの井」とも云われ、源平生田の森の合戦の折、
梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられます。

敦盛の萩(あつもりのはぎ)


一の谷の合戦で熊谷直実に討たれた平敦盛が愛でたとされる萩。
敦盛の息子がこの萩の木陰に休み、夢で亡父敦盛に出会いました。

弁慶の竹


武蔵坊弁慶が源義経の代わりに平家打倒と源氏繁栄を祈念して竹を奉納しました。

八丁梅


信州飯田の城主、堀親義が領地より寄進しました。
香り高い梅で、遠く八丁まで薫ることから名付けられています。

生田神社は、歴史も古く、地元の繁栄を守って下さった神社なので、今も地元では「いくたさん」と親しまれています。
特に、源平合戦の戦場になったことから、このころの史跡が多く残っています。

私事ですが、最近知ったのですが、私がご縁の深い土地には、生田神社の摂社末社の神社がある地域が多かったです。
自分で自由に生きてきたはずなのに、結局、神様の手のひらの上だったような気がして笑ってしまいました。
それだけ、お守り下さっていたのでしょうね。有難いです。

アクセス


〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2−1



生田神社は、駅前の繁華街のど真ん中にあります。

鮮やかな楼門は女神の社らしい華やかさです。拝殿も美しい朱赤です。

まとめ


生田神社にはいくつもの摂社、末社があります。

橋本ユリ
深い歴史に思いを馳せながらじっくりと周られてみてはいかがでしょうか?

この記事をまとめた人

橋本ユリ
橋本ユリ
神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)

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