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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

【平将門】平安時代の革命児とゆかりの神社

2019年10月23日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

平将門は平安時代中期にかけて活躍した武士です。皆さんも歴史の中で一度は聞いたことのある名前ですよね。

平将門公は言わずと知れた武士の先駆者であり、天皇の子孫でもあります。関東で「平将門の乱」を起こし、討ち死にした後、さらし首にされたことで有名です。さらに、さらされた首が飛んだという伝説も聞いたことがあるのではないでしょうか。

平将門の乱では裏切り者などと呼ばれた事もありますが、先駆けて改革をしようとしたことから関東では英雄と呼ばれていた事も。首塚をはじめ関東近郊には将門公を祀った神社が幾つもあります。近年ではパワースポットとして縁のある各社を巡る方もいるとか。

橋本ユリ
ここでは各社のご利益や、いわれなどをご紹介していきます。

それでは参りましょう!

平将門を祀る神社【神田明神】

東京で将門公を祀った神社で一番有名なのはまず神田明神です。

徳川家康が関ヶ原への出陣の際、平将門を祀る神田明神で戦勝祈願を行ったのを皮切りに、徳川幕府は、積極的に平将門を祀った神社を保護しました。このため関東地方に住む人たちを中心に、平将門を祀った神社に積極的に詣でるブームが起こったそうです。

平将門は、戦では連戦連勝だったとされ、徳川家康も戦勝祈願をし、関ヶ原の戦いで勝利したことから、勝負の神様として有名になりました。そのため現在では、受験の時期になると合格祈願をする受験生が多く訪れています。

平将門は【平将門の乱】と呼ばれる戦で命を落としました。首は京都から関東へ飛んだと言われ、各地で伝承が残っています。神田明神の近くにも祀られ、現在その場所は【将門の首塚】として呼ばれています。

神田明神では平将門の命(たいらのまさかどのみこと)除災厄徐の神様として祀られています。武士の先駆け「兵(つわもの)」として関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆を守ったことからも、勝負運のご利益があるとされています。


 
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早朝散歩。 #神田明神 #神田 #参拝 #狛犬

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アクセス
〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2
公式:https://www.kandamyoujin.or.jp/sp/

 

御首神社

橋本ユリ
岐阜県大垣市荒尾町にある神社です。なぜ東京から遠く離れた岐阜県に将門公を祀る神社があるのでしょうか。気になりますよね。


伝承によれば、平将門は討たれた後、その首は京都に送られさらし首となったが、故郷恋しさのあまり獄門を抜け出し関東へ戻ろうと飛び立った。
この異変を知り、美濃国南宮大社では、平将門の首が関東に戻ることにより再び乱の起こることを恐れ祈願したところ、神社に座す隼人神が矢をつがえ東に飛び行く平の将門の首を射落とした。

この首が落ちた荒尾の地に平将門を神として崇め祀ることによって再び首が関東に戻らぬようその怒りを鎮め、霊を慰めるために創建されたと言われています。

 

御首神社のご利益

平将門の首を祀ったことから、首から上の病気平癒にご利益があるとされ、学業成就・合格祈願などにもご利益があるとされています。首上のご神徳から、近年ではボケ防止などの目的で帽子やスカーフなどの装飾品の奉納が数多くあるようです。境内には絵馬のように並んだ沢山の帽子が見られます。

〒503-0034 岐阜県大垣市荒尾町1283−1

公式:http://www.mikubi.or.jp/

参拝者用無料駐車場有
公式ホームページ
http://www.mikubi.or.jp/profile.html

御朱印

お参りをしたら記録として御朱印を頂くのもいいですね。御首神社の御朱印はシンプルなものですが、味があって素敵な御朱印です。

東京にある平将門ゆかりの神社

東京都内には平将門にゆかりのある神社が他にもいくつかあります。

都内にある平将門にゆかりのある神社を線で結んでいくと、なんと北斗七星の形になるんです。これは徳川家康が江戸を守るために平将門のパワーを利用しようと、将門公が信仰していたとされる妙見菩薩が北方の守護神であったことから、将門公にゆかりのある場所を北斗七星になるように結界を作ったといわれていますが、都市伝説なのか否か…。

一つは先述しました神田明神ですが、結ぶと北斗七星となるその他の6つの神社をご紹介します。

 

1.平将門の鎧が眠るという【鎧神社】

将門公の鎧が眠るという伝説のあるその名も鎧神社。江戸時代までは鎧大明神と呼ばれ、人々から尊崇されていたと言います。

天慶三年、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天歴元年、将門公の鎧をこの地に埋めたと言われています。

しかしこの社が鎧神社と名づけられたのは、ヤマトタケルが東征の際、甲冑六具をこの地に奉納したことに由来すると言われています。

〒169-0074 東京都新宿区北新宿3丁目16−18
公式:http://yoroi.or.jp/

 

2.平将門の足が祀られたという伝説が残る【筑土神社】

平将門を祀る為に創建された神社ですが、将門公は死後、関東においては英雄として祀り上げられるも、明治になると「皇国史観」の影響もあり、将門公を天皇に反抗した逆族のように表する風潮も一部に見受けられました。

そのため筑土神社では便宜上,将門公は相殿神とされることとなったそうです。
一部には将門公の足を祀ったという噂もありますが、正式な文献には残っていませんので定かではありません。

〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目14−21
公式:http://www.tsukudo.jp/

 

3.オフィス街の真ん中にある【将門の首塚】

文字通り、将門公の首が祀られているとされる場所で、言い伝えによると、討たれた将門の首は平安京まで運ばれ、都大路で晒し首となったものの、それから3日を経た頃に首が飛びあがり、故郷に向かって空を飛んだと言います。

伝説では将門公の首は数箇所に落ちたとされており、そのすべてが首塚として残っています。

東京都千代田区大手町1-2-1

 

4.【鳥越神社】

かつて東征にでたヤマトタケルを祭神として祀る鳥越神社ですが、こちらは将門公の首が飛んだ際、この地を飛び越して行ったため、飛び越え➡鳥越という地名がついたと言われています。
なんとこちらの神社の宮司さんは祖先を辿ると平将門の叔父にあたる平良文に行きつくとも言われています。

東京都台東区鳥越2-4-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/200116/

 

5.【水稲荷神社】

こちらの神社は平将門に纏わる北斗七星の神社のなかでは唯一、平将門を祀っていない異質な神社でもあります。さらに、こちらの神社を創建したのは平将門を討ち取った藤原秀郷なのです。

水稲荷神社は早稲田大学合格祈願で有名ですが、将門公の縁の神社巡りをする際に、そういった関係から参拝を避ける方も多いそうです。その代わりに将門公の幼名といわれている鬼王丸から、鬼王稲荷神社に参拝されるとか。

なぜこちらの水稲荷神社が北斗七星の結界に組み込まれたのかは謎ですが、一説によると藤原秀郷への怒りのパワーを組み込む為に取り入れたのではないかと言われています。

〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3丁目5 水稲荷神社
公式:https://mizuinari.net/

 

6.将門公の兜が埋まっているとされる【兜神社】

平将門を討った藤原秀郷が首を京都へ運ぶ際に兜を埋めて供養したと言われています。

しかしその裏付けとなるものは何も残っていないため詳しいことは分からないそうです。江戸時代に鎧稲荷と兜塚が合併され、兜神社が設立されました。
東京証券取引所の前に鎮座し、現在は証券界の守り神・商業の神様として信仰を集めています。日本橋兜町の名前もこちらからとったとか。

〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町1−12

 

京都にある平将門ゆかりの神社

実は京都にも平将門に縁のある神社が存在します。

東京にある将門塚は首が飛んできた場所で、首が晒された場所といわれている、いわゆるスタート地点の首塚が京都にも存在します。
膏薬の逗子という地にあり、こちらは高僧である空也が道場を開いた場所であり、空也は平将門の首が晒された場所に供養の為にこの地に道場を開いたのではないかとされています。

さらに膏薬の辻子には、東京にある平将門を祀った神社「神田明神」の名を持つ小さな祠があります。

京都市下京区綾小路通西洞院東入新釜座町728


 

平将門とはどんな人物?

徳川家康をも魅了するカリスマ性をもった、平将門とは一体どのような人物だったのでしょう。

平将門は平安中期にかけて活躍した武士で、正確な誕生年はわかっていません。しかし合戦中に、飛んできた矢によって討ち取られたのが38歳頃であると推測され、そこから誕生年は903年頃または884年頃とされています。

鎮守府将軍である平良将を父にもち、自身は桓武天皇の子孫でもありましたが、平安京ではあまり官位が高くはありませんでした。父が亡くなってからは遺領を巡って親族同士の争いを繰り返し、ついには叔父たちとの親族争いにまで発展しました。妻を巡っての源家との争いもあったと言われています。これらの戦いは一族間の争いとして朝廷から咎められることはありませんでした。

後に「平将門の乱」と呼ばれる戦いは、天慶2年に朝廷に対する反逆行為とみなされる出来事が始まりでおこります。常陸国で横暴をはたらいていた藤原玄明を擁護したことから合戦が始まりました。今までの親族間の争いとは違い、この戦いでは不本意にも朝廷に対し反旗を翻す争いになってしまったのです。

この合戦は将門の勝利に終わり、将門は常磐国を支配するにまで至ります。その後、関東を支配するために関東八か国の国府を次々に攻撃し、国司を追放し、自らを関東での新皇と称するまでに至ったのです。この一連の行動は謀反として朝廷に報告されたのです。

天慶3年、朝廷はこの謀反を行った平将門の追討令を発し、遂には藤原秀郷、平貞盛によって討たれ、平将門は人生の幕を閉じました。わずか2ヶ月間の即位だったと言われています。

藤原秀郷らによって討ち取られた将門の首は京都の七条河原町に晒されました。その際、何ヶ月も目を見開き、歯ぎしりをしていたと恐れられていました。

ある夜、晒されていた将門の首が突然、宙を舞い自らの胴体を求めて関東方面へと飛び立ったというなんとも恐ろしい逸話が残されています。

そのような話から、平将門は日本三大怨霊の1人として現在でも恐れられているのです。

 

平将門と平清盛

平将門の乱とよばれる「承平の乱」をおこした平将門と、平家物語のキーマンの平清盛。ともに平安時代を代表する武将ですが、同じ『平』という苗字を名乗っていますよね。親族なのでしょうか。二人の関係を調べてみました。

平氏の発祥は、平安京に都を移した桓武天皇の第三皇子、葛原親王の孫高望王が寛平元年に宇多天皇の勅命により平の性を与えられたことにより始まりました。平安時代の天皇は安定した皇位継承のために多くの皇子をもうけたことにより、天皇になれなかった皇子が多く、財政を圧迫する原因になっていました。
そのため多くの皇族を臣籍降下させたと言われています。彼らは同じ高望王の子孫にあたります。承平の乱で闘った将門の従兄弟にあたる平貞盛の子孫が平清盛です。

貞盛の血筋である清盛によって平氏は最も繁栄を迎えたのです。しかしその繁栄も、清盛一代で途絶えてしまいました。

二人の共通点は、朝廷の敵として歴史の一部には悪人扱いされてはいますが二人とも困っている人を助け、頼られれば協力を惜しまない人望のある人物であったと言われています。そして平安時代を戦い抜き、『平氏』という名を歴史に刻んだのもこの二人ではないのでしょうか。

 

最後に

平将門は、朝廷との対立を起こした「平将門の乱」では関東で英雄扱いを受けますが、その反面に呪いや三大怨霊などと恐れられており、関東各地には逸話がたくさん残っています。

現在、首塚などがパワースポットとして注目されているのは、昭和の終わりに、東京の霊的守護をテーマに盛り込んだ荒俣宏の小説『帝都物語』で採り上げられるなどとして広く知れ渡り、東京の守護神としてオカルトファンに注目を集めるようになったことから始まったのではないでしょうか。

橋本ユリ
また、連戦連勝したことから勝負運の御利益があるといわれています。
受験や、ここぞという勝負事がある際は、縁のある神社を訪れてパワーをいただいてみてはいかがでしょうか。


これらの記事も合わせて読むと、開運の秘訣がわかります。

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