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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

柿本人麻呂が作った万葉集は暗号文?~生涯と縁ふかい神社~

2019年11月9日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

橋本ユリ
古文の時間に習いましたよね。
柿本人麻呂が詠んだとされる、秀逸な和歌として有名です。リズムがいいですよね。


しかし、この句は柿本人麻呂の作ではないかもしれないのです。さらに、生涯について文献にあまり記述がなく、謎に包まれています。

一時期、「人麻呂の暗号」という書籍が、話題になりましたよね。
謎に包まれている柿本人麻呂ですが、その優れた才能から歌聖と呼ばれ、多くの神社で祀られています。

それでは参りましょう!

柿本人麻呂が祀られている神社

人丸神社、柿本神社などの名称がありますが、柿本人麻呂をご祭神とする神社は北は北海道、南は九州まで200社以上あるようです。

その中でも特に、
  • 高津柿本神社
  • 戸田柿本神社
  • 柿本神社(明石市にある神社)
この3社が有名です。

 

高津柿本神社

島根県益田市高津町にあるこの神社は、柿本人麻呂がお亡くなりになった地、とされています。
高津の沖合に、鴨島という島があったそうです。

ただ、1026年に起った万寿地震により津波が発生し、島が水没してしまったそうです。
当時、鴨島に柿本人麻呂のご神体があり社もあったのですが、津波によって流されてしまい、ご神体は高津の松崎の地に漂着したようです。
そのため、この地に高津柿本神社が創設されました。

ご祭神はもちろん柿本人麻呂です。(正一位柿本大明神の神位とされています)
また、周辺は万葉公園となっており、清々しい雰囲気が、醸し出されています。

 

ご利益・御朱印

柿本人麻呂は人丸(ヒトマル)とも呼ばれていましたので、「火止まる」となり、火防のご利益があるとされています。
また、歌聖でもあったので学業成就もあり、他には疫病防除・開運・農業・安産・眼疾治癒などのご利益があるそうです。


高津柿本神社の御朱印。和歌の印がおしゃれですね。

 

アクセス情報

・車でのアクセス
JR山陰本線益田駅より車で7~8分くらいです。また、石見空港からでも10分未満で着けるでしょう。
約20台止められる駐車場もあります。
ただし、行事があるときなど、まれに満車の場合もあるので、事前にお問い合わせください。(団体客のバスが多いケースもあるそうです)

・バスのアクセス
バスは、JR益田駅から1番乗り場です。
二条線「人丸下」下車してすぐ。蟠竜湖線(ばんりゅうこせん)「高津」下車して徒歩5分です。
二条線はバスの本数が1日に4~5本くらいですので、蟠竜湖線がおすすめです。(1時間に2~3本くらい)

 

所在地・連絡先

島根県益田市高津町上市イ26121
電話番号:0856-22-0756(社務所は9時から16時まで)
もしも、お電話が繋がらない場合は、益田市観光協会に連絡されるのがいいでしょう。
(電話番号 0856-22-7120)

 

戸田柿本神社

もともと、柿本人麻呂の生誕の地として、語部である綾部家によって、奈良時代から守護されてきました。1710年に、津和野藩主亀井茲親が創建したと言われています。ご祭神は柿本人麻呂です。

戸田柿本神社の近くには、「人麿遺髪塚」があります。柿本人麻呂の遺髪が、埋葬されているそうです。
この地に、柿本人麻呂が生誕した際の逸話があるのですが、後程述べたいと思います。

 

ご利益・御朱印

先程述べました通り、柿本人麻呂にちなんで、火防のご利益があります。
また、安産・学業成就・技芸上達など、才能あふれる柿本人麻呂ならではのご利益も、挙げられています。


戸田柿本神社の御朱印です。(御朱印が欲しい場合は事前に連絡が必要とのことです)

 

アクセス情報

近くに駐車場がありませんので、車では厳しいかもしれません。
また、バスの本数も少ないので、JR山陰本線戸田小浜駅から徒歩(約15分)が無難かもしれません。

 

所在地・連絡先

島根県益田市戸田町イ856
0856―28―0307(9時~17時)

もしも、繋がりにくい場合は、先程の益田市観光協会に、連絡するといいでしょう。

なかなか行くには大変な場所ではありますが、人麿遺髪塚や人麻呂七体像(要事前連絡)もありますので、ぜひ訪れたい神社です。

 

柿本神社(明石市)

ご祭神はもちろん柿本人麻呂です。柿本大明神とも呼ばれています。
この神社は、柿本人麻呂の御霊が、創建のきっかけとなった、と言われています。

明石の赤松山に、月照寺というお寺がありました。(当時の名称は楊柳寺)887年に覚証という僧侶が、夢の中で柿本人麻呂とお会いしたのです。夢のなかで、覚証は人麻呂に語り掛けますが、人麻呂は黙ったままでした。
覚証は酒を持ってきて、人麻呂と盃を交わします。しばらくたった後、人麻呂は言ったそうです。

「無念な想いは消えぬ。どうか、寺の裏の塚を、清めてほしい」

そう言うと、人麻呂は寂しそうに微笑んで消えたそうです。
目が覚めた覚証は、寺の裏手を調べてみると、古い塚がひっそりとあったのです。
この塚には人麻呂が眠っている、そう確信した覚証は、その場所に祠を建て、柿本人麻呂の霊を祀ったそうです。

これが、柿本神社の由来とされています。

 

ご利益・御朱印

柿本神社のご利益には火防・学業成就・安産・夫婦和合があります。柿本人麻呂の和歌には、妻を慈しむ歌が多くあり、そのため夫婦和合もご利益に入っているのでしょう。


柿本神社の御朱印です。

 

アクセス情報

・車でのアクセス
第二神明高速道路、大蔵谷ICより約5分
神社の駐車場は約40台止められますが、アクセスも良く、人気の神社ですので、事前に確認したほうがいいでしょう。

・電車でのアクセス
山陽電鉄の人丸前駅から徒歩5分程度

 

所在地・連絡先

兵庫県明石市人丸町1-26
電話番号 078-911-3930

アクセスが良く、盲杖桜や八房梅(一つの花に八つの実が生る由緒ある梅の木)などの見所がありますので、ぜひ足を運んでみてください。
ちなみに、柿本神社に奉納された後桜町天皇の直筆の短冊は、京都国立博物館に保管されています。

 

柿本人麻呂の生涯と謎

実は、柿本人麻呂については、文献にほとんど記述がなく、万葉集からその生涯をまとめているのです。

一説によると、万葉集を編纂したのが、柿本人麻呂だとも言われています。(大伴家持が編纂した、という説が一番有力です)
多くの歌が万葉集に取り上げられており、小倉百人一首にもその歌が入っている、半ば伝説化した歌人とも言えます。

実は、柿本人麻呂の歌とされるものの多くが、作者不明の歌であるとも言われています。それほどネームバリューがあり、作風や技法を踏襲されたのかもしれませんね。

そんな人麻呂ですが、生没年は解っておらず、およそ西暦660年ころから720年ころに活躍していたのではないか、と言われています。

このことから、その生涯について、様々な説が出されてきました。
有名なものとしては、梅原猛氏による、水死刑説です。

これは著書「水底の歌-柿本人麻呂論」で述べられています。
鴨島で、水責めによる刑罰で死んだというのです。高津柿本神社の近く、水没した鴨島です。

柿本人麻呂は才能にあふれ、和歌も高く評価されていましたので、嫉妬する人も多かったのかもしれません。
讒言によって身分を堕とされ、流刑されたというこの説ですが、まだ諸説のうちの一つに留まっています。また、有名な歌人、猿丸太夫と同一人物と唱えたのも、梅原猛です。

確かに、いろは歌を作ったのが柿本人麻呂であり、そこに「とかなくてしす」との暗号が隠されているとの説もあります。(いろは歌を七文字で区切り、それぞれの行の最後の一字を拾うと「咎なくて死す」と読めるのです)

また、「人麻呂の暗号」という書籍が一時、話題となりました。これは、万葉集を古代朝鮮語によって解読する、という試みから生まれたものですが、物的証拠も少なく、なかなか決め手には、なっていないようです。

そんな柿本人麻呂ですが、謎に包まれているからこそ、様々な逸話が残されています。

 

・柿の木から生まれた人麻呂

現在の戸田柿本神社の近くに、古い柿の木がありました。近くに住んでいた人(綾部家と言われています)がある日、木の前を通りかかると、利発で凛々しい男の子がニコニコ立っていました。歳のころは、7歳くらいです。
近所では見かけない子供だったので迷子になったのかと思い、綾部家の人は訊ねます。
「お前は、どこから来たのだ?お父さん、お母さんはどこに住んでいるのだ?」
男の子は答えました。
「私は、柿の木の間から生まれました。だから、父も母もいないのです。ただ、私の頭の中には、歌があふれていて、それを考えていると楽しくなってしまい、ついニコニコしていました。」
綾部家の人は、不審に思いつつも、その高貴ないで立ちと、放っておけない慈悲心が出てきて、自分のうちに連れて帰ったのです。
これが、後の柿本人麻呂でした。

柿の木の間から生まれたから「柿本」なんでしょうか?

 

・小さな頃に歌を詠み、それを岩に刻んだ

人麻呂がまだ元服もしない頃、家の手伝いのため鎌を持って、山の中に入りました。薪を拾ったり、山菜を取るためです。
山の中を歩いていると、とても美しい風景が広がってきました。山の中腹から村落が見えて、日の光に照らされて、キラキラと輝いていたのです。
綾部家の人もその風景を眺めていると、突然、人麻呂が大きな岩に鎌を突き立てて、岩を削り始めたのです。
文字のようなものを刻み、手を止めたとき綾部家の人が見ると、それは和歌でした。
「あまりに美しい風景だったので、頭の中だけで留めておくことができず、何かに残しておきたかったのです。それで岩に刻みました。」
その岩は聖なる岩として、今なお戸田柿本神社の近くに残されている、とのことです。

その他にも盲杖桜の伝説(明石の柿本神社)や、鬼を退治したという話などがあり、その才能とともに、人麻呂の生涯に彩りをそえています。

それでは、歌聖と呼ばれた人麻呂は、どのような和歌を詠んだのでしょうか?

 

万葉集・百人一首における柿本人麻呂の代表作

柿本人麻呂が詠んだとされる和歌は、スケールの大きい、抒情に満ちたものが多くあります。
学術的にみると「柿本人麻呂の和歌ではない」とされているものもありますが、純粋にその和歌を楽しむ意味から、それらも含めて、代表作を挙げてみました。

 

「もののふの 八十宇治川の 網代木に いざよふ波の 行くへ知らずも」

人生のゆくえは、網代に漂う小さな木のように、行き着く先もわからないものだ、という意味です。宇治川の雄大さと網代の木の儚さの対比がすばらしいですね。

 

「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

天がまるで海のように広がり、雲が波立ち、その先を行く月の船が、星の林の間をぬって進んでいるよ、という意味です。とてもロマンチックな歌ですよね。

 

「黄葉の 散りぬるなへに 玉梓の 使を見れば 逢ひし日思ほゆ」

黄色くなって葉が散っていく。(妻の)死を知らせる使いの者が来たのは、そんなときだ。ああ、妻と過ごした日々が(胸がいたむほど)思い出されるなあ、という意味です。柿本人麻呂はとても愛妻家だったのですね。

 

小倉百人一首では、有名な一首があります。

「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

山鳥の尾が長く長く垂れさがっているように、秋の夜を(愛しいあなたとも会えずに)一人寂しく寝ることになるのだろうか、という意味です。
「の」という言葉が連続で使われることによって、リズム感と、長々しいイメージが見事に表現されていますよね。

そんな人麻呂の辞世の句は、どのような歌だったのでしょうか?

 

柿本人麻呂 辞世の句

「鴨山の 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」

鴨山にいる私は、岩を枕にして今亡くなろうとしている。愛しいわが妻は、それも知らずに、ひたすら待ち続けているのだろう。

辞世の句が石見の国で詠まれたと前置きがあるので、人麻呂が亡くなった地として、益田市の高津が、有力候補の一つとなっています。

それにしても、柿本人麻呂の和歌は、ダイナミックな風景の中に、繊細な心情を綴ったものが多く、歌聖の名にふさわしいと思います。

 

柿本人麻呂の墓がある場所は?

これも諸説あるのですが、遺髪が埋葬されている「人麿遺髪塚」は戸田柿本神社の近くにあります。
生誕の地の石碑もあるので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?


人麿遺髪塚です。

 

まとめ

柿本人麻呂の生涯を調べていくと、謎解きのような感覚が、生まれるかもしれません。
知れば知るほど面白さが増すのは、まだまだ諸説があって、その生涯に想いを馳せることができる、ロマンがあるからでしょう。

和歌を学ぶならば、必ず知っておくべき人物、となります。ダイナミックで情熱的な句が多いだけでなく、繊細な心境の移りゆくさまを描き出す、技巧も見事です。
才能あふれる人物であるが故の苦境に負けず、身を置いた場所で、歌を詠み続けた強さにも惹かれます。

橋本ユリ
どのような境遇の中でもベストをつくすこと、ひたむきで一途な人生。困難な現代の世の中で、生きる術を教えてくれているのかもしれません。
ぜひ、神社を訪れて、柿本人麻呂の心に触れてみてほしいです。

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