【神功皇后の軌跡】聖母と武芸の神格を持つ女傑!
こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。
神功皇后(じんぐうこうごう)は、『古事記』や『日本書紀』などの歴史書に登場し、日本の第十四代天皇である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后です。
橋本ユリ
一般的には神話・伝説上の人物とされていますが、実在したのではないか?という説が一部では提唱されています。
また、邪馬台国の女王・卑弥呼と共通する点もあり、同一人物なのではないか?という説まで上がっているのです。
また、邪馬台国の女王・卑弥呼と共通する点もあり、同一人物なのではないか?という説まで上がっているのです。
数々の伝説や伝承を残した女傑・神功皇后について詳しくご紹介をさせて頂きたいと思います。
それでは参りましょう!
目次一覧
神功皇后(息長帯比売命)とは
神功皇后は、皇族の血を引く父と新羅王家の血を引く母との間に生まれました。
生まれだけでも非常に高潔であることが窺えますが、彼女は日本の第十四代天皇・仲哀天皇の皇后として、その後数々の伝説を残すことになるのです。
現代ではあまり広くは知られていない神功皇后ですが、明治時代には日本初の肖像画紙幣としてお札に肖像画が載せられています。
まだ男尊女卑の思想が強かった明治の時代に、女性の肖像画が紙幣に載せられていたというのは驚きですよね。
それに日本初の肖像画紙幣というのですから、当時の日本において神功皇后が篤い信仰を集めていたのが分かります。
お札だけでなく切手にも肖像画が載せられ、また教科書には神功皇后の逸話が掲載され当時は実在の人物として教えられるなど、日本人の間では非常に有名な存在だったのです。
また、奈良には神功皇后陵と呼ばれる古墳があります。この古墳の正式名称は「五社神古墳(ごさしこふん)」といい、実際の被葬者は明らかになっていないのですが、神功皇后の陵(墓)に治定されています。
別名
神功皇后には様々な別名があります。
『古事記』
- 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
- 大帯比売命(おおたらしひめのみこと)
『日本書紀』
- 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
『続日本後記』
- 大足姫命皇后(おおたらしひめのみこと)
『日本三代実録』
- 大帯日姫(おおたらしひめ)
など、書物によってそれぞれ違う名前で呼ばれていました。
神功皇后を御祭神として祀っている神社では、神功皇后の名前で祀っている神社が多いのですが、上記の別名で祀られていることもあります。
ご神格
神功皇后は身重でありながら朝鮮へ出兵し、新羅・百済・高麗を服属させ、その後に出産しました。
このエピソードから神功皇后には
- 聖母神
- 武芸の神
という二つのご神格があります。
「聖母」と「武芸」という一見真逆のような印象を受けるご神格ですが、この二つが合わさることで神功皇后が非常に強かな女性であったことが分かります。
ご利益
聖母というご神格から神功皇后には、出産、子供、家族に関するご利益がたくさんあります。
- 子授け
- 安産
- 子育て
- 家内安全
- 学業成就
また、新羅・百済・高麗を服属させた三韓征伐の伝説から、
- 勝運
- 外交
- 芸道上達
- 厄除け
- 開運招福
- 土木治水
などといったご利益があるともされています。
神功皇后(息長帯比売命)の神話
さて、聖母であり武芸の神格を併せ持つ神功皇后は一体どのような伝説を残しているのでしょうか?
神功皇后の神話・伝承を紐解いていきましょう。
「神懸かり」
仲哀天皇の皇后となった神功皇后は、天皇の熊襲征伐(くまそせいばつ)に同伴します。
天皇と共に筑紫橿日宮(つくしのかしひのみや)へ移動した神功皇后は、そこで神寄せを行い神懸かります。(神懸かりとは、神霊が人の身体に乗り移ることを言います。)
天皇が御琴を弾き、大臣の建内宿禰(たけしうちのすくね)が神託(しんたく-神のお告げ)を求めました。
神功皇后を通して伝えられた神のお告げの内容は「熊襲の国を征伐しても意味はない。西の海の先に金銀財宝で溢れる新羅という国がある。その国を征伐するべきである」というものでした。
それを聞いた仲哀天皇は「西の方には大海が広がるだけで、国など見えないではないか」と言い、神功皇后の神託を信じず、御琴を弾くのをやめてしまうのです。
すると神功皇后に神託を授けた神は激怒し「この天下はお前がおさめるべき国ではない。黄泉の国へと向かえ!」と告げます。
慌てた大臣に諫められた天皇は、渋々ながら再び御琴を弾き始めるのですが、やがてその音は途切れてしまいます。
異変に気付いた大臣が火を点して様子を見てみると、既に天皇は崩御(ほうぎょ-天皇が死ぬこと)されていたのです。
その場にいた誰もが、天皇が神の怒りによって呪い殺されてしまったことに恐れおののきました。
大臣は天皇のご遺体を殯宮(もがりのみや)へ移すと、穢れを祓うためのお供え物を国中から取り寄せ、立派な大祓の儀式を行いました。
そして改めて神寄せを行い神託を求めたのですが、神の答えは前回と同様に「西の海の先にある国を征伐しろ。そして皇后の腹の中にいる子におさめさせるべきだ」というものだったのです。
大臣が「神の腹の中にいる子は男の子でしょうか、それとも女の子でしょうか」と尋ねると、神は「男子である」と答えます。
次に大臣が「今我々にお告げを下さっている大神の名をお伺いしてもよろしいでしょうか」と尋ねると、神は「天照大神の御心によるものだ。我々は住吉の三神である」と答えたのです。
更に「真に新羅を征伐することを求めるのであれば、天津神、国津神、山の神、海の神、河の神に供え物を奉り、船に我らの御霊を祀るのだ」と告げ、神託は終わりました。
「新羅遠征」
さて、神功皇后は神託の通りに供え物を奉り、そして軍を整え、多くの船で新羅へと向かいます。
しばらく海原を進んでいると、大小問わず海中の魚たちがどこからともなく現れ船を背負って渡り始めました。
更に追い風が吹いたことで船はますます進んでいき、ついに新羅の国へと押し上がったのです。その勢いは国の半分にも及ぶほどでした。
それを見た新羅の王は恐れおののき、「今後は天皇の御心のまま、馬飼いとして毎年船の腹を乾かすことなく、天地の続く限りお仕えいたします」と言いました。
こうして神功皇后は新羅を馬飼いとして、百済を航海の役所として定めました。
最後に神功皇后は住吉三神である底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)を朝鮮を守る神として祀った後、帰路につきます。
さて、これらの出来事の間にも神功皇后のお腹の中にいる子は今にも生まれようとしていました。
神功皇后は、筑紫国(つくしのくに-九州)にて無事にその子を出産し、品陀和氣命(ほむだわけのみこと)と名付けました。
神功皇后が生んだ品陀和氣命こそ、後の第十五代天皇である応神天皇なのです。
「天皇後継争い」
神功皇后は、筑紫国から大和へ帰る際、何者かが息子を暗殺しようとするのではないかと一計を案じ「御子は既に亡くなりました」と嘘を言い広めながら帰途につきます。
大和にいた品陀和氣命の異母兄弟・忍熊王(おしくまにみこ)は、神功皇后らが帰ってくるのを待ち伏せし、殺害する計画を企てていました。
御子が既に亡くなったという噂を鵜呑みにした彼は、神功皇后を殺害することに狙いを定め策略を立てていたのです。
そして、海の向こうから喪船がやってきたのですが、忍熊王はそれをやり過ごし、後からやってきたうつほ舟(空の舟)に神功皇后らが乗っていると考え攻撃を始めます。
すると忍熊王がやり過ごした喪船から次々に兵が現れ、忍熊王の軍は背後をつかれます。これはうつほ舟を囮にした神功皇后の策略でした。
皇后の策に見事に嵌った忍熊王でしたが、負けじと激しい攻防を繰り広げ戦局は膠着状態に陥ります。
そこで皇后側の将軍・建振熊命(たけふるくまのみこと)は「皇后は崩御された。我々にこれ以上戦う理由はない」と伝え、持っていた弓の弦を切りました。
忍熊王の軍が相手の降伏を信じ、兵と弓をおさめたその時、建振熊命は予備の弦をすぐさま弓に張り、追撃を開始したのです。
この攻撃で一気に形成を逆転された忍熊王の軍はとうとう壊滅状態になり、忍熊王は将軍と共に小舟で逃げ出し水底へと身を投げてしまうのです。
こうして神功皇后は天皇後継争いにおいて勝利をおさめ、品陀和氣命を皇太子とし、皇太后摂政となりました。
卑弥呼との関係
ここまで『古事記』をベースに神功皇后の伝説を紹介させてもらいましたが、実は『日本書紀』においては「神功皇后=卑弥呼」ということを暗に示唆するような場面があるのです。
また、神功皇后と卑弥呼は生きていた時代がほぼ同じであると推測されることも、「神功皇后=卑弥呼である」という説を提唱する根拠となっているようです。
そして神功皇后と卑弥呼は、神懸かりによって神のお告げを伝える巫女のような存在でした。
このような共通点から、「神功皇后=卑弥呼」とする説は古来よりあるのですが、真相は謎のままです。
真相は解明されていないながらも、「神功皇后は卑弥呼と同一人物かもしれない」と思いながら物語を読んでみることで、また違った見方ができるかもしれませんね。
神功皇后(息長帯比売命)を祀る神社
橋本ユリ
神功皇后をお祀りする神社は、調べたところ全国に5社あります。
住吉大社
住吉大社では、神功皇后と先ほど神話の中でも出てきた底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神を主祭神として祀っています。底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神は住吉三神とも呼ばれます。
住吉大社の本殿である第一本宮から第四本宮でそれぞれ神様が一柱ずつ祀られていますので、参拝された際は必ず全ての宮にお参りに行ってくださいね。
また、住吉大社の摂社・若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)では誉田別尊 (ほんだわけのみこと)と武内宿禰 (たけしうちのすくね)を祀っていますので、時間があればこちらもお参りに行ってみてください。
住所:〒558-0045 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89
アクセス:南海本線「住吉大社駅」から東へ徒歩3分
御祭神:神功皇后、底筒之男神、中筒之男神、上筒之男神
御利益:子宝、安産、子授け、家内安全、厄除け、商売繁盛
宮地嶽神社
神功皇后は三韓征伐の際、宮地嶽の山頂に祭壇を設け天神地祇(てんしんちぎ)を祀り、祈願をしました。それから新羅へと船出をし、無事に勝利をおさめたとされています。
その後、神功皇后の功績をたたえ主祭神として祀りました。宮地嶽神社は神功皇后の神話と密接な関係のある神社なので、歴史を感じたい人におすすめです。
住所:〒811-3309 福岡県福津市宮司元町7-1
アクセス:福岡市方面から九州自動車道古賀IC下車
御祭神:息長足比売命、勝村大神、勝頼大神
御利益:開運招福、商売繁盛、厄除け
宇佐神宮
宇佐神宮は全国に約44,000ある八幡宮の総本社です。一之御殿において八幡大神(応神天皇)を主祭神として祀っています。
神功皇后が祀られている三之御殿は、神託により823年に建立されました。聖母神として安産や子育ての守護をしています。
住所:〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859
アクセス:「宇佐IC」から国道10号線へ約6キロ(約15分)
御祭神:神功皇后、八幡大神、比売大神
御利益:厄除開運、家内安全、交通安全、病気平癒、心願成就、安産、学業成就
風浪宮
神功皇后が新羅遠征から帰る際、船を筑後葦原の津に寄せ、海の神であるワタツミノミコトを祀ったのが始まりとされています。
1800年にも上る由緒があり、地元では「おふろうさん」と呼ばれ親しまれている神社です。
住所:〒831-0016 福岡県大川市大字酒見726-1
アクセス:八女ICより約30分
御祭神:少童命、表津少童命、中津少童命、底津少童命、息長垂姫命(神功皇后)、表筒男命、中筒男命、底筒男命、高良玉垂命
御利益:安産、子育て、勝運守護、交通安全、海難守護、海産豊漁、厄除け
御香宮神社
京都にある御香宮神社では神功皇后を主祭神とし、他に夫の仲哀天皇、子の応神天皇などを祀っています。
この神社は、神功皇后が身重でありながら三韓征伐を見事に成功させたという伝説から、安全祈願の社として信仰を集めてきました。
本殿や表門は国の重要文化財にも指定されており、歴史のある立派な神社です。
住所:〒612-8039 京都府京都市伏見区御香宮門前町174
アクセス:京阪電車「伏見桃山駅」下車徒歩5分
御祭神:神功皇后、仲哀天皇、応神天皇
御利益:安産、子育て、子授け、開運招福、厄除け
まとめ
橋本ユリ
神功皇后についての紹介をさせてもらいましたが、いかがでしたでしょうか?
神のお告げをする巫女のような存在でありながら、三韓征伐や天皇後継争いでは圧倒的な武芸の才を出し、その一方で応神天皇を立派に育て上げた母でもある神功皇后の物語は、どこを取っても興味深く面白いものであると思います。
実在した人物なのかどうかという議論や、卑弥呼との関係性など謎の多い部分もありますので、その辺りのことを考察しながら読んでみるともっと面白いかもしれませんね。
この記事をまとめた人
- 神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)
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