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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

菅生神社(愛知県岡崎市)【参拝レポート】

2019年8月30日

こんにちは、北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

橋本ユリ
今回は、愛知県岡崎市にあります「菅生すごう神社」についての記事をNさんより投稿していただきました。

  • 菅生神社のご利益、御由緒
  • Nさんの参拝レポート
    などについてお伝えします。
それでは参りましょう!

ご利益

  • 開運
  • 縁結び
  • 道の成就

御祭神

  • 天照大神あまてらすおおみかみ
  • 豊受姫命とようけひめのみこと
  • 須左之男命すさのおのみこと
  • 菅原道真公すがわらのみちざねこう
  • 徳川家康公とくがわいえやすこう

御由緒

社記によれば、第十二代景行天皇の御代(西暦110年10月)、日本武尊(第二の皇子)が、東国平定のため、当地を御通過になり、高岩(今の菅生河畔の満性寺あたり)で、賊を討つために矢を作らせたとき、神風が吹いて、そのうちの一矢を小川に吹き流された。(その川を吹矢川と名づける。)
そこで尊は、その矢を「御霊代(みたましろ)」と仰ぎ、伊勢の大神を祀り、この地に神社を建てられた。

「吹矢大明神(ふきやだいみょうじん)」と申し上げる。
当神社はこの時創建された岡崎市最古の神社です。
その後、延喜年中(西暦901年~922年)、「吹矢大明神」を「稲前神社惣社神明宮(いなさきじんじゃそうしゃしんめいぐう)」と申し上げ、日本武尊・宮簀姫命(みやずひめのみこと)・乙見皇子(おとみのおうじ)も合わせ祀り、三河国二十六社の内に定められた。
むかしから「吹矢大明神」は武門の神として尊ばれ、松平初代親氏公の祈願を初め、松平一族の崇敬が篤く、社殿の造営・修復等も行われた。
また、三代信光公の息、松平七郎左衛門光義の子孫代々神主として奉仕された。
聖武天皇神亀2年(西暦724年)御神託により、京都伏見より「稲荷大明神をお迎えし、「吹矢大明神」の同殿に合祀する。
松平清康公(家康公の祖父)岡崎城入城のとき、岡崎城内に「菅生稲荷大明神」の分霊を祀られ、これを称して「開運稲荷大明神」という。
けれども、天正19年岡崎城代田中兵部大輔吉政が城地を拡張のため神殿を取壊されたので、菅生神社の本殿にお迎えした。
400年の後昭和57年11月菅生神社境内に社が建てられ、「開運稲荷大明神」は新しい柱に祀られている。
永正14年(西暦1517年)7月洪水の時、額田群宮崎郷より「天王宮」御流着あり。合祀して、「菅生天王宮」と改める。
岡崎城主松平弾正左衛門信貞公、十二末社を「菅生天王宮」にお迎えして祀る。
大神君家康公25才の時、厄除け・開運の祈願、造営せられる等、崇敬が篤く、岡崎場内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となっていた。
明治元年(西暦1868年)「菅生神社」と名を改め、現在に至る。

≪菅生神社御由緒参照≫

アクセス

愛知県岡崎市康生町630-1

Nさんの参拝レポート

写真メインのレポートになります。

「菅生神社」すごうじんしゃ、と読みます。
由緒はこちら
ふりがな付き(見にくくてすみません)

高層ビルの狭間にあります。 正面
手水舎
手水舎は鳥居をくぐった右手にあります。
左手にはお稲荷さん。
御朱印
限定御朱印の日は、全国各地から参拝される方がいらっしゃるそうで2時間待ちだそうです。注意書きが詳細に書かれています。
(感想)
高層ビルに挟まれた小さな境内でしたが、そこだけ空気感が違う気がしました。

稲荷社の存在感がすごかったです。気分的に撮影は遠慮しました。

日本武尊の神話があるようです。

(おまけ)
徳川家康公情報
イベント情報
境内正面からの景色。目の前に大きな乙川という川が流れています。8月3日の花火大会の観覧席の準備がはじまっていました。
昨年の花火大会の来場者数は47万人。愛知県で(名古屋も含め)一番の規模です。

菅生神社(すごうじんじゃ)
〒444-0052
愛知県岡崎市康生町630-1
Tel 0564-23-2506

まとめ

橋本ユリ
高層ビルの狭間にある岡崎最古の神社です。人々に敬われていきている背景に思いを馳せて参拝されてみてはいかがでしょうか。


これらの記事も合わせて読むと、開運の秘訣がわかります。

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