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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

なぜ八幡神社が日本で一番多いのか?

2021年9月16日

東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は、神道のミステリーの内の一つである八幡神社の謎に迫っていきます。

八幡神社は全国的に数多くあるのですが、どうしてここまで八幡神社が広まったのか、理由が明らかになっていません。

羽賀ヒカル
ゆりちゃんの家の近くに八幡神社はありますか?

参拝したことがあるでしょうか?


橋本ユリ
あります、あります!

小さいお宮ですが、大好きでよくお参りしていますよー。


羽賀ヒカル
神社のことを良く知った上で参拝することで、得られる功徳も違ってきますよ。

今日は、八幡神社についてお話ししましょう。


謎に包まれた八幡神社


御祭神の名前は、正式名称「ホムタワケノミコト」と言います。

この神様は、実在した人物で「応神天皇」がホムタワケノミコトです。


全国にある神社の数は、およそ8万社と言われており、そのうち約1割にもなる8千社が八幡神社です。

神社には本殿とは別に、摂社・末社・分社があるところもあるので、細かく数えるともっと増えていきます。

さらに、神社には系統があり、広い解釈で数えていくともっと多いのです。

例えば、「五穀豊穣の神様」で、狐の神様とも言われる稲荷系の神社は全国に3万2千社あり、一番多いと言われてます。

その次に多いのが、今回のテーマでもある八幡系で2万5千社あります。

また、天照大神を祀っている伊勢系の神社が1万8千社、学問の神様である菅原道真を祀っている神社が1万社あります。


同じ系統の神社が数多く建てられた背景には、何か理由があったのではないかと考えられます。

例えば、稲荷系はとてもわかりやすく、神社が建てられた当時、日本人の多くは農民でした。

お稲荷さまは五穀豊穣の神様ですので、神様をお祀りして「もっと作物が実りますように」「もっと儲かりますように」といった現世利益信仰が広まったのではないかと考えられます。

伊勢系の神社は、日本の中心の神様である「天照大神」が祀られ、国家権力と結びついて広がったと想像されます。

天神系神社の天満宮は学問の神様で、頭が良くなりたいと願いが広まり、建てられるようになったのだと思います。


それに対して、八幡系は祀られている神様や功徳がよくわかりません。

ご利益もわからないのに、なぜ2万8千社も建てられたのかが謎なのです。

文献を紐解いていっても、全国で一番多い重要な神社にもかかわらず、古事記にも日本書紀にも一切記されておらず、さらに謎が深まります。

しかし、古事記・日本書紀以外の文献では、八幡神の記録は記されています。

八幡神社にまつわる文献と信仰の広まり


一番古い記録は西暦567年にありますが、この「5・6・7」という数字がまた謎めいていて、5・6・7で「コ(5)・ロ(6)・ナ(7)」とも読み解けます。

さらに、5・6・7というのは、精神世界でも最近よく言われるようになった「ミ・ロ・ク」であり、八幡信仰と弥勒信仰に関係ありそうなところも1つのポイントです。


八幡神について記されている文献の記録によると、大神比義(おおがのひぎ)という神主・シャーマンのような方がいて、大神比義の前に八幡神が降りてきて「私を祀りなさい」と言われたのが、八幡神社のきっかけとあります。

最初に建てた社は、鷹居瀬社(たかいせしゃ)と言い、そこから移して始まったのが八幡神社の総本山にあたる「宇佐神宮」です。

ただ、この段階では八幡信仰というのは広がっていませんでした。

八幡信仰が広まるようになったのは、東大寺の大仏殿が建てられた749年のことです。


大仏殿が建立される際、「お金もエネルギーもないのに、どうしたら建てられるだろうか」と困っていたところ、八幡神から「大仏殿を建立するのに何でも協力しよう」というご神託が降りたのです。

当時の人々は、これで大仏が建立できると喜び、その感謝の証として一緒に八幡神も祀られるようになったのです。


また、八幡神は古神道の神様でしたが、そこから仏教思想と融合し八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)になりました。

菩薩は仏教の神様で、八幡大菩薩という御神名とともに八幡大菩薩信仰は全国に広がり、江戸時代まで広がり続けたようです。

時が経って、明治の初めに廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教弾圧がありました。

この時に神道と仏教が分けられ、日本は神道の国としていく方針の下、仏教は弾圧を受けたのです。


廃仏毀釈が行われるまでは、八幡神社の神様の御神名が八幡大菩薩だったのが、そこから八幡神として神道の神様になりました。

神仏習合の頃は、八幡大菩薩としての信仰の方が大きかったのではないかと言われています。

八幡信仰が広まった理由


八幡大菩薩は、どのような神様で、なぜ八幡信仰が広がったのか?

あくまで推察となりますが、2つの理由があると考えています。


・源氏の神様としての信仰
源頼朝が鎌倉幕府を開く際、鶴岡八幡宮の近くに八幡大菩薩を祀りました。

源氏が戦う時には、必ずこの八幡神社で戦争の必勝祈願を行ったと言われています。

ただ、戦争の必勝祈願だけでそこまで広がるとは考えにくいです。

なぜなら、当時の武士は日本人のほんの一部の人たちであり、大半は農民でした。

だから、農民にまで信仰が広まっていないと、日本のあちこちで八幡宮が建てられるとは想像しにくいからです。


何らかの信仰心が広まるのには理由があり、分かりやすいのが稲荷系の現世利益信仰です。

例えば、現代でも信仰心が広まりやすいのが「病気治し」で、広まったのは薬師如来(やくしにょらい)信仰(薬師寺)です。

また、国家権力と結びついた伊勢系や、学問の天神様も分かりやすいです。

しかし八幡信仰が広まった理由が必勝祈願というだけでは、日本人の多くに崇拝されていたとは考えにくいのです。


・末法・終末思想
末法・終末思想で広まったうちの1つが「ノストラダムスの大予言」です。

「1999年7の月、アンゴルモアの大王がやってきて人類は滅亡するだろう」という記述があったということで、ブームになりました。

このノストラダムスの大予言に乗じて、「オウム真理教」や「幸福の科学」は信仰を広げたという背景があります。

実は、この末法・終末思想が、八幡信仰が広まった1つのきっかけになったと言われています。

当時から末法・終末思想はあり、「いつか、この世は終わり、人類は滅亡する」時に、弥勒菩薩を信じている人と信じていない人では救済に差が出るから、弥勒菩薩を信仰しようというものです。

弥勒菩薩信仰と八幡信仰が融合して、一種の末法思想のようなものができたことで、八幡系の神社が広まったのではないかという説です。


八幡信仰が広まるのに一つのきっかけを作ったと言われている一族が秦氏(はたうじ)で、末法・終末思想である、弥勒菩薩信仰を広めました。

秦氏が弥勒菩薩信仰を広め、建立した神社なので八幡(やはた)と言われようになったという説があります。

また、八幡系の神社が広まりだしたのは、秦氏が活躍していた時代の567年以降だという説もあります。

この裏付けについては、文献記録には記されていないので確証ではありません。

だからこそ、謎があって非常に面白いと思います。

記録には残っていないからこそ、あれこれ考えてみるのは楽しいですね。

これは一説に過ぎませんし、他にもいろんな考え方があると思います。

羽賀ヒカル
八幡神社を参拝される時は「心に火を灯す。志を打ち立てる。より良い時代を作って行きます」というような、誓いを立てて参拝してみるということがお勧めです。


橋本ユリ
はい!八幡神社に行ったら、志を誓ってきます!


今回は、なぜ八幡神社は数が多いのかその理由について考えてみました。

あなたの開運をお祈りしております。羽賀ヒカルでした。


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