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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

古代日本の宗教と八幡信仰

2021年9月25日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は「古代日本の宗教と八幡信仰」についてお伝えをさせていただきます。

橋本ユリ
羽賀さん、私の友達、占い好きな人が多いのですが、神道にも占いってあるのですか?


羽賀ヒカル
神道と占いはとても深い関係があります。

今日は占いとその源流であるシャーマニズムについてお話しましょう。


神道と占いの関係性


私は神道研究家と名乗っていますが、実はこの「神道」という言葉は、中国の古典の易経から来た言葉という説があります。

つまり、日本の言葉ではないということです。

しかし、神道という言葉が使われる以前から存在していて、神道という言葉が入ってくる以前のことを「古神道」と言います。


古神道とは「自然崇拝・アニミズム・祖霊崇拝やご先祖様を神様として祈り拝み祀る」といった思想です。

私がなぜ神道研究家というものを名乗るようになったのかというと、15歳の時に出会った師匠・北極老人が占い師・神道研究家だったところから、私も神道を教わるようになっていったのです。


神道と占いは非常に深い関係があります。

例えば、「人生どうすれば幸せになりますか?」「開運しますか?」「こんな悩みがあります」といった、お悩み相談を受けることがあります。

その中で「こうすると幸せになりますよ」「こうすると開運しますよ」というアドバイスをさせていただく背景には、基本となる思想・哲学があるのです。

このような思想・哲学がなく、単なる生年月日だけを見てアドバイスをしても人生は良くならないのです。


そこで私の場合、占いという術の背後で、神道という思想を基にアドバイスをさせていただいています。

また、神道の中にも占いがあり、神道の中にある占いを太占(ふとまに)と言って、亀の甲羅や鹿の骨を焼き、その割れ方を見て占うということを、当時の朝廷や王たちは行なっていました。

それを見て政治的決定をしていた時代があったのです。


政(まつりごと)というのは、政治の「政」でもあります。

だから、政治と祈り、シャーマニズム(※注1)というのは太古の昔においてはセットだったのです。

※注1:シャーマニズム
シャーマン(巫師・祈祷師)を中心とする宗教形態で、精霊や冥界の存在が信じられている。
シャーマニズムの考えでは、霊の世界は物質界よりも上位にあり、物質界に影響を与えているとされる。


八幡信仰の由来


日本全国各地に様々な神社があり、その中で最も多いのが稲荷信仰・八幡信仰です。

皆さんの近所にも八幡神社があると思いますが、実は「八幡(はちまん)」という呼び名は、昔は八幡(やはた)の方が正しく、八幡(やはた)信仰が八幡(はちまん)信仰になったといわれています。


八幡(やはた)という言葉は、
・秦氏の秦(はた)という説
・八幡(やはた)「8本の旗」という説
八つの国(※注2)をまとめるから八幡(やはた)という説
 
というように様々な説があります。

※注2:八つの国
日本は、太古は八洲(やしま)といい、八つの国から出来ていたと言われている。



また、音読みは大陸から入ってきた言葉で、訓読みはもともと日本に存在した言葉が多いのです。

この点からみると八幡(はちまん)信仰も、元を辿ると八幡(やはた)信仰であったということになります。


全国各地にある八幡(はちまん)神社がどのように変化してきたのかというと、もともと九州北部の人たちのうち、ウサツヒコ・ウサツヒメという一族が、グループのリーダーであったと日本の文献に記されています。

このウサツヒコ・ウサツヒメの一族が宇佐氏という一族になり、当時宇佐氏と組んで九州北部を治めていた辛島氏という一族は、朝鮮半島や大陸の影響を受けていたり、中国から伝わってきた道教の影響を受けていたという説があります。

この宇佐氏と辛島氏は、呪術・まじないを使っていたシャーマニズムです。


5世紀の末に雄略天皇が病に侵されていた際、宇佐氏・辛島氏に病気が治るお祈りを依頼し、派遣された人物を豊国奇巫(とよくにのあやしきかんなぎ)といいます。

豊国というのは九州北部の地域で、奇(あやしき)というのは、摩訶不思議な霊力を持った巫(かんなぎ)のことで、神様にお仕えする人物が派遣されたのです。

豊国奇巫が祈ると見事に雄略天皇の病気が完治したと伝承されています。


その後も朝廷は困ったことがあると病気が治るお祈りを依頼し、九州北部から派遣されたのですが、その人のことを豊国法師(とよくにほうし)と言いました。

このような原始八幡(げんしやはた)信仰が九州北部に存在していたということです。


ただし、ここで神様として祀られていた宇佐一族の神は、現在全国各地の八幡(はちまん)神社に行くと、主祭神は応神天皇になっています。

もともとの八幡(やはた)信仰は異なっており、途中で応神天皇が習合され、応神天皇信仰に切り替わったのです。

奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)のシャーマンである大神比義(おおがみひぎ)が、500年代の後半に宇佐に派遣されて応神天皇を習合したと伝承されています。

応神天皇は、母である神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島出兵の際に産んだと言われていて、朝鮮半島と非常に縁が深い方と言えます。

宇佐一族や辛島氏が朝鮮半島と交流があったところから、応神天皇という朝鮮半島に縁が深い方と習合することによって、話がまとまったということです。


そこから今の八幡(はちまん)という言葉に切り替わるきっかけとなったのが、奈良時代に疫病が流行し、民の心の平安、天下国家の平安を願って東大寺の大仏殿が建立された時でした。


この頃、菩薩というのは仏教の仏様で、この仏教信仰と八幡(やはた)信仰、そして応神天皇信仰が合わさって八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)信仰として全国に八幡(はちまん)神社が建てられるようになっていったのです。

また、源氏と平氏の戦いで有名な源氏の中で、人徳やリーダーシップがあったのは源義経なのですが、他にも源義家(みなもとのよしいえ)という人物がおり、自らを八幡(はちまん)大神の申し子として、八幡(はちまん)太郎義家と名乗ったのです。


源義家はそこから源氏の神様・戦の神様として八幡(はちまん)信仰を形作っていき、それが当時の権力と結びついたのが鎌倉幕府となります。

また、鎌倉幕府の近くに鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)があり、当時の政権と鶴岡八幡宮が習合して、現在の八幡(はちまん)信仰の形になっていきました。

日本人の源流にあるもの


このように日本の神社は、様々な変化を経て現在の形になっていき、その源流となるのはシャーマニズムです。

日本人は祈りとともに政治を行ってきたのみならず、祈りとともに日常生活が存在していたのだと私は思います。

誰かの幸せを願って祈り、そして人生の決断に迷う時にも神様にお祈りします。

もしくは、一年間の始まりに「今年一年無事に過ごすことができますように」とお祈りを行うのもシャーマニズムが今に伝わっている形なのです。


これは宗教ではなく、思想や精神であり日本人の源流なのです。

そして、信仰心があることが幸せというものにも繋がっていると思います。


「信じる・信じない」は人それぞれですが、目に見える物質主義や結果主義に偏ると、人生うまく行かない時もあります。

それは心に拠り所がないという状態でもあり、私は良い状態ではないと思います。

橋本ユリ
神道の源流って、シャーマニズムだったのですね。

それは、特別なことでなく、誰かの幸せを祈ったり、神様に問いかけたりすることなのですね。


羽賀ヒカル
日本のシャーマニズムを見直してみるのは大事なことです。

そして、日本のシャーマニズムの源流となっているのが八幡(はちまん)神社・八幡(やはた)信仰なのです。

家の近所の八幡(はちまん)神社に是非参拝してみてください。


橋本ユリ
はい、さっそく近所の八幡神社に行ってきまーす!


今回は「古代日本の宗教と八幡信仰」について、お伝えさせていただきました。

あなたの開運をお祈りしております、羽賀ヒカルでした。


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