神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
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なぜ弘法大師空海は超能力を使いこなせたのか?

2022年3月7日

日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は「日本人が知るべき空海の秘密」というテーマでお届けをさせて頂きます。

橋本ユリ
羽賀さん

日本の偉人で「天才は誰ですか?」と聞かれたら、誰を挙げますか?


羽賀ヒカル
そうですね。

様々な歴史上の人物がいますが、まずは「弘法大師空海」(以下、空海)と答えます。


私が通っていた大学は大阪府南部にある大阪府立大学です。

この大学の前には「西高野街道」という高野山に繋がる道がありました。


大学の時から空海が好きで、最寄りの南海高野線から、高野山にお参りしたことが何回もあります。

このように、空海は私にとって非常に思い入れがある歴史上の人物なのです。

では、あなたは空海と聞くと、どういったイメージがありますか?



伝説のスーパーマン・弘法大師空海


例えば、誰でも聞いたことがある言葉で言うと「弘法にも筆の誤り」があるでしょう。

これは「空海は本当に字が上手かった、そんな字が上手い空海でも、たまに字を間違うことってありますよ」といった、達人でもたまに過ちを犯すんだという言葉なのです。


また、「弘法筆を選ばず」という言葉もあり、これは「達人は道具を選ばないんだ」といった表現となります。

これは、本当にそうなのでしょうか?


一流のプロ野球選手はバットやグローブをきちんと選びますし、やはり一流の人物は一流の道具を使います。

つまり、空海は字が上手かったのみならず、様々なことが出来るスーパーマンであったのです。

では、なぜ空海は、伝説のスーパーマン・天才となったのでしょうか?

今回は、その歴史を深めていきます。

弘法大師空海の人生


空海という名前を聞いたことがあったとしても、どんな人生を歩んだのかというところまでは知らない方が多いかもしれません。

しかし、空海が残した様々な教えは、実はこの現代にまで影響を与えています。

その一部はまさに「リアル呪術廻戦」なのです。

空海は「呪術」を活用しながら人生を切り開いていき、世の中を変えていった人物と言えます。

また、このお話は今、この混迷する現代社会においても、非常に参考になる話です。


では、空海の人生を見ていきましょう。

西暦774年に空海が誕生しました。

「泣くよウグイス平安京」(西暦794年)なので、平安時代になる20年前の奈良時代に誕生したのです。

当然、この「空海」という名前は本名ではなく、俗名は「佐伯真魚(さえきのまお)」です。


空海の秘密を紐解こうと思うと、この佐伯氏一族をしっかりと理解しないといけません。

この佐伯一族は、修験道の家系なのです。

では、修験道とは一体何でしょうか?


これも非常に深い話になるので簡単に言うと、古神道、山岳信仰、そして自然を神様として祈り奉るのが修験道に当たります。

修験道と聞くと、「何かよく分からない」と思う方もいらっしゃると思います。

さらにイメージしやすくすると「忍者・忍(しのび)」です。


彼らは、実は修験道の家系の末裔なんですね。

この忍者・忍たちは、全国に情報ネットワークがあったり、摩訶不可思議な術を使うことができました。

実際に空海も呪術を使いこなすことができたのは、佐伯家が忍者・忍の家系であったことも大きいと思います。


この佐伯氏に生まれた空海は、幼少期から天才と言われていました。

一説では、「三蔵法師の生まれ変わり」といった話もあったようです。


空海は、15歳で都にやってきて、この時に「仏道を志す」ことになります。

今だと「仏道を志す=出家する」というイメージになると思います。

世俗を離れて山に籠るといった印象ですね。

しかし、当時の仏道はむしろ逆で、大学へ行ってエリートコースを歩むということになり、当時のお坊さんたちは、政治と密接に結び付いた、いわば官僚なのです。


空海は10代後半の時に仏道を志し、エリートの道を歩みますが、結局、途中でドロップアウトしてしまいます。

なぜドロップアウトすることになったのでしょうか?

一説によると、その背景には、宗教と政治が絡むと、本来の宗教で伝えたい精神や悟りが失われていくという面があります。

そこで空海は、当時の仏教・仏道の世界に対して、「本当に悟りを開きたい人たちの為のものなのか?」「これは本当の学問の道なのか?」と疑問に思ったのです。

つまり「ここにいたのでは、自分は悟ることができない」「何かこの世界はおかしい」と感じて、結局ドロップアウトすることになりました。

そして、一人で悟るために修行の道に入ります。

空海が体得した瞑想法


空海はその後、20代前半はひたすら、四国の山々を練り歩いて、祈って修行していたと言われています。

この時に修行した瞑想法・祈り方があり、これを「虚空蔵求聞持聡明法(こくうぞうぐもんじそうめいほう)」と言います。

虚空蔵求聞持聡明法は、「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」という仏様と一体化することによって頭が良くなったり、もしくは霊的に目覚めるのです。


では、虚空蔵とは一体何でしょうか?

これには諸説があり、まさに「頭・心・感情が虚空になる」といった「虚空」の状態を作ることで、「光」「情報」「知識」「エネルギー」を自らの内に取り込んで覚醒することです。

それが「虚空蔵求聞持聡明法」になります。


私たちの会社では大学受験塾をやっていますが、大学受験も勉強する時に、頭の中で「恋愛が…」「人間関係が…」「親子関係が…」などといった様々な悩みがあると、なかなか成績が伸びませんよね。

頭や心の中の雑念を空っぽにすることで、頭が良くなって成績向上しますし、さらには、これが悟りのルートとなるのです。

空海が悟った20代



空海は、高知県の室戸岬で悟り、光明体験をしたと言われています。

その時のことは、次のように書き記されています。

「谷響きを惜しまず 明星来影す(たにひびきをおしまず みょうじょうらいえいす)」

これはどういう意味でしょうか?

この谷底に響き渡った・・・そして明星がやってきた・・・。

明星とは、金星のことです。

金星のエネルギーがやってきて、空海は悟りを開いたということです。

実は、あのお釈迦様も金星の導きによって悟ったという伝説があり、その影響もあるのでしょう。

いずれにせよ、空海は20代前半で悟りを開き、その境地を持って「三教指帰(さんごうしいき)」という本を書きます。

この本は「仏教」「儒教」「道教」の三つの思想を比較したという書物で、今も残っています。


20代前半でそのような書物を書くとはまさに天才ですよね。

その後、空海はどのようになったのかは、実は分かっていません。

この間のことを「空白の七年間」と言われています。

空海はやはり佐伯氏一族で修験道の家系ですから、この時に全国の山々や聖地を練り歩いていたのではないかといった話があります。

唐へ渡った空海


空海は再び時代の中心に躍り出ます。

31歳の時に「遣唐使」として唐へ留学することになります。


今でこそ留学するというと気軽なイメージがありますが、当時の留学は全く違います。

まず、船を作らないといけませんし、日本と外国を往復するので、莫大な国家予算がかかるのです。

数人を唐に送り込んで日本に帰ってくるだけでも、本当に大変なことだったのです。

現代に置き換えて分かりやすくイメージすると、「宇宙へ行って帰ってくる」みたいなもので、莫大なお金がかかります。

だから、誰が唐に留学するのかは、国の問題なんですね。


この唐に留学するメンバーとして選ばれたのが、「伝教大師最澄」(以下、最澄)でした。

最澄は当時の仏教の中では、エリート中のエリートで、いわゆる大学教授のような存在でした。

だから、最澄が選ばれるのは分かります。

しかし、空海はこの時、全く無名の存在だったにもかかわらず、なぜ唐に留学することができたのでしょうか?

ここに、空海の秘密の一つがあります。


一説では、佐伯氏は朝廷にかなり影響力があったそうです。

また、もう一つの説は、空海のプレゼンテーション能力がすごかったので、国も説得することができたことです。

さらに別の説では、佐伯氏が莫大な資金源を持っていたことです。

このように諸説あるのですが、いずれにせよ、空海は唐に留学しました。


最澄とは同時期に出発して、別々のところに到着するという流れとなります。

当時の中国は、長安に都があり、中国全土・全世界から人々が集まってくるような時代の中心地で、ものすごく華やかな都でした。

それこそ中国人だけではなく、ユダヤ教・キリスト教などの文化的影響も受けていたと言われています。

つまり、空海はこの時に世界を見たのです。

その中で、ある一人の僧侶と運命的な出会いを果たします。

それが、真言密教の大家「恵果阿闍梨(けいかあじゃり)」です。

なぜ空海は真言密教をマスターできたのか?


当時、中国に青龍寺というお寺があり、そこになんと恵果阿闍梨の門弟が3,000人いました。

この3,000人の門弟の中に空海が入ります。

そこから、なんとたった1年ほどの修行で、空海は恵果阿闍梨から認められて、「伝法灌頂(でんぽうかんちょう)」という秘法を授かります。


この時、恵果阿闍梨は空海と出会った時に、「あなたが来るのを待ってました!」と言ったと記録されています。

なぜ空海はそこまで恵果阿闍梨に認められたのでしょうか?

それはもともと悟っていたという理由もあるのかもしれません。


でも、ここからは少し面白い裏話です。

恵果阿闍梨は当時、病気をしていたという記録が残っています。

それに対して、空海は佐伯氏として、病気を治す特別な薬を持っていたので、認められたという話もあります。

もう一つは、空海が留学した時期は、占いの世界の中での伝承として伝わっていることで、天中殺・大殺界に当たる時なんですね。

通常、この天中殺・大殺界とは「運が悪い時期」というイメージがありますが、実は違います。

これは、勉強や学びには、かなり良い時期なんです。

だから、12年間のうち2年間ある天中殺期間中は勉強したり、転職して新しいことを習得するのが良いですよと私もお伝えさせて頂いています。

空海は天中殺期間に留学したことで、通常であれば数十年かかるような修行を、たった2年で成し遂げたんですね。

特に、空海がマスターしたとされている、サンスクリット語(梵語)は通常、数十年かかるもので、1~2年で習得することが出来ないものでもあります。


それらを空海は見事マスターし、恵果阿闍梨から「あなたの国でこの真言密教の教えを完成させて広めなさい」という使命を受けて、唐から日本に帰ってきます。

しかし、日本へ帰ってすぐに、空海は時代の中心で活躍したのではありませんでした。

歴史の表舞台に出る空海


空海にとって、不遇な時期が数年間あったのですが、そこから、時代が空海を求めます。

空海が活躍した当時の天皇は、「桓武天皇(第50代)」・「嵯峨天皇(第52代)」です。


この時代は、朝廷・皇室の歴史を調べれば分かることですが、ドロドロの親子・兄弟喧嘩など様々な争いごとが繰り広げられていて、まさに「リアル呪術廻戦」です。

現代でも皇室の様々な問題がニュースになっていますが、この当時の争いごとに比べれば小さすぎる騒動に感じるほどです。

本当に呪われているのではないのかという現象・出来事が次々と起こりました。

今でこそ、熱が出て倒れると「ウィルスに罹った」といった認識を持つと思います。

当時はウィルスという認識がなかったので、病気で倒れると「これは呪いなのではないのか」と思うのです。


一方で実際に、そのような呪術の力もあったと思います。

天変地異が起こったり、もしくは病気で人々が倒れていく中で、活躍したのは「お坊さん」でした。

お坊さんたちが加持祈禱を行いますので、最澄もそういった朝廷のゴタゴタした政権争いがある中で、祈りを捧げていきます。

そして、「どのお坊さんが良いのか?」ということで、最澄が空海を推薦したという話もあるのです。

いずれにせよ、空海は37歳の時に、朝廷に呼ばれて祈祷を行うようになりました。

それは、当時の政権における怨念・リアル呪術廻戦騒動に巻き込まれる形で、どんどん有名になっていったのです。

そして、空海が実際に祈ると、ずっと日照が続いて雨が降らない状況から雨が降るようになったり、もしくは病気が治ったりなど、不可思議な超能力を使って活躍をしていきます。

時代の中心となった空海と最澄


この時にまさに時代の中心にいたお坊さんが、最澄と空海なのです。

この二人がそれぞれ、比叡山と高野山を開き、後の時代に現れるお坊さんたちは比叡山、もしくは高野山出身ばかりとなったのです。

ではなぜ、空海と最澄が並んで語られるかと言うと、性格が真逆だからです。


最澄は性格が純粋・ストイック・真面目で、そして教育者でした。

一方で、空海は欲望を肯定し、オープンに様々な活動をして、真言密教を多くの人に広めていきました。

つまり、教育者としての最澄と、何でもやってパフォーマンスが得意な空海は、性格も対照的なのです。


そして、どこまでも悟りを求める最澄はある時、空海の元に弟子入りをします。

この時、お経のやり取りなども行われました。

その中で、最澄の弟子である「泰範(たいはん)」が空海に弟子入りするのですが、泰範は空海のところに行って帰ってきませんでした。

そういったところから、最終的に二人が絶縁して分かれていく流れになりました。


しかし、この二人には共通する想いがあったと思います。

それは、当時の仏教界に対する不満や、今の社会や権力者は違うといった、共鳴する同じような想いをきっと抱えていたことでしょう。

実際に記録に残っていることで、最澄はどこまでも悟りを求めて、空海の元に弟子入りした時に、空海に聞いたエピソードがあります。

最澄「私は、この思想・教えをマスターしたいと思っていますが、どのぐらいかかりますか?」

空海「優秀な僧侶ならば1年です。最澄さん、あなたは3年かかると思います。」

こういったやり取りがありました。


これを言葉通りに受け取ると、「バカにしてるのか!」という話ですが、実は違うんです。

最澄のことを認めているが故に生まれた言葉なのです。

つまり、空海は次のように言っているんですね。

「私はある山を登り切りました。

一つの悟りを得ている最澄さんは、これとは違う山に登っているのです。

だから、一回その山を下りてきて、この山に登っていかないといけません。

だから、通常の人より時間がかかります。」

私はこのやり取りを、最澄のことを認めているが故に出てきた言葉と捉えています。

この空海と最澄のやり取りは非常に面白いのですが、今回は空海がメインなので、引き続き空海について深めていきたいと思います。

高野山金剛峰寺と綜芸種智院


空海が43歳の時に、高野山金剛峯寺を開きます。

その後も高野山は聖地となり、様々なお坊さんたちがここから育っていきます。


この高野山の影響を強く受けたのが当時の朝廷・皇室です。

今も皇室において儀式や祈りは行われているのですが、この空海の影響を受けています。

このことは、第73世・武内宿禰である、竹内むっちゃん(竹内睦泰)先生からお聞きしました。

竹内むっちゃん先生が使う手法や祈りの中には、弘法大師空海から伝えられたものもあったのです。

そして、空海は50代の時に、様々なことを行っていて、今の京都に「東寺(教王護国寺)」というお寺を開きました。


そして、「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」という、今で言うところの大学である民間人に開かれた学問の場を作ったのです。

この綜芸種智院は今も残っていて、種智院大学となっています。

その後、空海は62歳の時に入滅(※注)をして、今も高野山で、空海は眠っています。

※注:入滅
仏語。涅槃にはいること。特に釈迦の死をいう。また高僧などの死にも用いる。

空海の謎①「莫大な資金源」


ここまで空海の人生をざっとお伝えしてきました。

空海には、超能力伝説やすごいエピソードが数多く残っています。

その中から今回は3つご紹介させて頂きます。


1つ目は、莫大な資金源です。

空海は大学を開いたり、溜池や四国八十八ヶ所を作りました。

これは一体何のために作ったのか、そしてその資金がどこから出ていたのかといった謎に包まれています。

国からお金をもらっていたのではないかという話もありますが、それだけでは説明がつかないこともあります。

唐に留学する時も一体どこから資金が出ていたのかということですが、これはやはり佐伯氏一族というところが関わっているのではないのかと言われています。

佐伯氏は「丹(たん・に)」という病気を治す薬を扱うことができました。

当時もやはり疫病が流行しており、そういったところから莫大な資金源を獲得することができたのではないかと言われています。

空海は、今でいうマーケティングを行う、スーパービジネスマンでもあったんですね。

空海の謎②「緯度がそろう聖地」


他にも空海には、様々な謎があります。

例えば、高野山から空海の生まれた香川県は一直線になっています。

さらに、そこから西へ一直線にずっと進んでいくと、なんと空海が修行した唐の都・長安のお寺(青龍寺)に辿り着きます。


こうして見事に緯度が揃っていることはやはり、仏教の思想に非常にマッチしています。

仏教には「西が極楽浄土なんだ」という思想があり、西から一直線に高野山へ思想を持ってきたのです。

これは、まさに緯度が揃っている聖地だということです。


他にも空海は、四国八十八ヶ所を作っていて、この「八十八」という数字も意味がありそうです。

それは「八十八星座」という言葉があって、星座の数と一致しています。

空海は、この八十八星座を知っていたのかどうかは分かりませんが、まるで全天八十八星座を、この地上界にウツすように四国八十八ヶ所を作っています。

そんな天文学がどこまで発達していたのか分からないような時代から、今の時代に続くようなシンクロニシティがあるということです。

空海の謎③「超能力」


他にも、空海には「超能力伝説」という謎があります。

例えば、地面を掘ったら湧き水や温泉が出てくるなど、様々な超能力伝説があります。


その中でも、際立ったものを一つご紹介します。

空海が唐に留学した時に、「三鈷杵(さんこしょ)」という師匠から弟子に受け継がれる法具を授かりました。


ある時、空海は日本海に向かって、師匠・恵果阿闍梨から授かった三鈷杵を海に向かって投げたそうです。

普通はそのままジャボンと海に落ちますが、空海が投げた法具はそのまま落ちずに飛んでいき、それを見ていたお弟子さんたちは、どこに飛んで行ったのかとビックリします。

なんとそこから10年後に、その法具は高野山で発見され、今も空海が投げたとされている三鈷杵が高野山に残っています。

これはもしかしたら作り話かもしれませんが、それに近い様々な魔訶不可思議なことができたという伝説が残っているということです。

空海が使いこなした秘法とは?


今回はスーパーマン・弘法大師空海の話をさせて頂きました。

なぜ神社チャンネルで、仏教・空海なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、空海も根底には神道が流れていて、佐伯氏もやはり神道の家系です。

今回は神社チャンネルで取り上げさせて頂いた、空海が使いこなしたことはまさに「魔法」で、密教はある意味、「魔法」もしくは「呪術」なのです。


呪術というと、遠い存在のように思われるかもしれませんが、今も成功者が使っていたり、もしくはインターネット空間にも様々な怨念や想いなどが飛び交っています。

こんな時代の中で、幸せに暮らしたり、もしくはこの現実を切り開いていくためには、私は呪術・密教・秘法の力が必要になってくるのではないかと思いますし、実際に私も活用しています。

橋本ユリ
えー。

羽賀さんも密教や秘法を使われているんですか!

なんだか、凄いです~~。


羽賀ヒカル
弘法大師空海から伝わる秘法なんですが、やはり表向きでは伝えられないことも多くありますね。


これらはゆにわ塾、もしくはフリーメルマガゆにわLINE公式アカウントの方で、一部公開していきたいと思っていますので、是非、楽しみにして頂きたいです。


今回は、「日本人が知るべき空海の秘密」についてお伝えさせて頂きました。

あなたの開運をお祈りしております、羽賀ヒカルでした。


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