神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。

富士山の大噴火がもたらしたものとは?富士信仰の歴史と神社について紹介

2020年2月8日

こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

2013年富士山が世界文化遺産に登録されました。富士山が登録されたのは山の雄大さだけではなく、「信仰の対象と芸術の源泉」という意味での富士山が高く評価されたからです。

白山信仰でも紹介しましたが、日本では古来から山を神聖視する山岳信仰が盛んでした。

橋本ユリ
特に山岳信仰が盛んな地域として、
  • 富士山
  • 白山
  • 立山
の3つを日本三霊山と呼んでいます。


今回は富士山に対する信仰である富士信仰と、信仰にまつわる神社についてご紹介します。

それでは参りましょう!

富士信仰とは?

富士信仰とは富士山を神として見立てる等、富士山を信仰の対象として考える考え方です。富士山は豊かな自然や生命を育んできましたが、過去に何度も噴火をしており地域の人々に被害をもたらしてきた背景もあります。富士山に対する畏敬の感情が、富士信仰となったのです。

 

富士信仰はいつから始まった?

富士山への信仰は起源として縄文時代中期には既にあった事が知られています。静岡県富士宮市の千居遺跡では富士山を拝む為のストーンサークルが見つかっています。日本三霊山の1つ、白山信仰は大陸の文化を強く反映したものでしたが、太平洋側に位置する富士山は日本古来の神道や山岳信仰の影響を強く受けています。

 

富士山の大噴火

歴史上では712年に作られた風土記「常陸国風土記」には既に「ふじ」の名が載っており、読み方は福慈神(ふじがみ)でした。万葉集では「ふじ」の歌が11首収められており、富士、布士や不尽の高嶺など、色々な詠み方がありました。この頃の富士山は美しく雄大で、少し噴気がありました。万葉集では恋の気持ちを富士の噴気に見立てたものがあり、富士山を讃える歌も多く、羨望の対象でした。

781年以降、火山でもある富士山は活動期に入り、噴火を繰り返します。特に864年〜866年の噴火はその地域一帯に甚大な被害をもたらしました。当時の噴火は神の怒りだと解釈されており、朝廷は富士山に神位を捧げ、怒りを抑えようとします。また朝廷は富士山の神様である浅間大神を祀る神社が建立されていきました。畏敬の気持ちが強くなる時代です。

 

末代上人による富士山登頂

噴火が沈静化した平安時代後期には、信仰登山の目的で富士山に登頂する者が現れます。史実では末代上人という僧侶が1132年に登頂に成功しました。彼はそこで修験者の遺品を見つけたと話しています。他にも都良香(834〜879年)の「富士山記」ではかなり詳しく登頂の実情が書かれており、末代上人より前から登頂していた人はいたようです。

末代上人は山頂に大日寺を建て、生涯で数百回登山をします。彼は村山の地で興法寺を立てた後、肉身仏となり、山の守護神となったのです。
平安時代末期には古来からの山岳信仰と、伝来した仏教が習合する事により、新たな宗教となりました。富士信仰は村上修験等、修験道要素を帯びたものに変化していきます。

 

富士講ブーム

室町時代になると富士信仰は修験道だけでなく、庶民にも広がり、一般庶民も修験道の案内で登拝する事が増えます。戦国時代の修験道である角行(1541〜1645年)は、富士山の噴火でできた溶岩洞穴で厳しい修行をします。その結果法力を得たとされ、「フセギ」という呪符で江戸の疫病から数万人を救ったとされます。

角行の富士信仰の教えは広まりましたが、富士山に登るのは今よりもお金も時間もかかり、命がけのものでした。その為、富士信仰の信者がお金を集め、その資金を元に代表者が登山をして、皆の祈願を山頂で行う「富士講」が流行ります。ちょうど1707年に宝永大噴火が起きました。幸い死者は出なかったものの、大規模な被害をもたらした事から、富士山に対する畏敬の念が強まった時期でもありました。そして5代目の弟子である村上光清(1683〜1759年)や、食行身禄(1671〜1733年)の時代に隆盛を迎えます。特に食行身禄は仙元大菩薩にまみえた事を理由に、断食の果てに入定します。

その思想に庶民は感銘を受け、「江戸八百八講」と呼ばれる程、空前の富士信仰ブームが訪れます。後の葛飾北斎による「富嶽三十六景」も庶民の富士山ブームに答えて制作されたものです。絵の中には富士講の為、富士山に登るものもあります。

明治になり、富士講は神道勢力からの弾圧を受けるようになります。また富士山登山が信仰としてではなく、観光として広まるようになると、富士講は衰退してしまいます。しかし富士講は現在でもひっそりと続いており、古の教えを継承しています。

このように富士山と富士信仰は宗教的にも文化的にも日本の歴史に大きな影響を与えているのです。

 

富士信仰の神様

富士信仰に対する神社は浅間神社と呼ばれます。元々浅間神社は浅間大神を祀っていたのですが、後に古事記、日本書紀にも登場する木花之佐久夜毘売と同一視されるようになりました。

 

浅間大神

西暦110年、日本武尊が東国の夷を征伐するため駿河国を通りますが、賊徒の野火に遭われます。武尊は、富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、賊徒を征伐します。祈念した地は山宮冨士浅間神社となっています。

 

木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)

後に浅間大神とコノハナノサクヤビメは同一視されますが、その正確な時期は不明です。絶世の美女と言われています。

アマテラスの孫であるニニギに求婚を申し込まれ、姉のイワナガヒメと共に嫁ぎますが、ニニギは醜いイワナガヒメを親元へ送り返します。2人の親であるオオヤマツミが二人を嫁に出したのは、イワナガヒメ(石長比売)を妻にする事で岩のような永遠の命を、コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)を妻にする事で木の花が咲くように繁栄するという誓約を立てたからでした。誓約を破った為、ニニギの子孫である後の天皇には寿命が出来たのです。

更にニニギとコノハナノサクヤビメは一晩で身ごもりますが、ニニギは自分の子ではないと疑います。コノハナノサクヤビメはニニギと自分の子である事を証明する為、産屋に火を放ち、そこで無事に3人の子を出産するのです。これらのエピソードからコノハナノサクヤビメは家庭円満・安産・子安・水徳の神と言われています。

浅間神社とコノハナノサクヤビメが同一視されるようになったのは、火の中で出産したというエピソードが関係しています。

 

富士信仰の謎、伝説

日本の歴史はかつては大和朝廷が中心であり、現在の山梨や静岡は未開の地でした。徐々に日本列島全体が認知されるようになると、富士山に対する文献や伝説も増えて行ったのです。しかし富士信仰とコノハナノサクヤビメ等が結びついていった正確な時期は未だに謎のままです。

 

聖徳太子も登った富士山

史実かどうか不明ですが、聖徳太子も富士山に登ったと言う説があります。甲斐の国は昔から良馬がいると言われており、数百匹の馬が諸国から朝廷に献上され、聖徳太子は見事甲斐の黒駒を見つけます。太子が黒駒に試乗すると馬は天高くとびたがり、富士山を乗り越えたと言うのです。

聖徳太子は数々の天才的なエピソードが残されており、太子信仰と呼ばれます。太子信仰と富士信仰、昔の人々は様々なものや人に信仰を持っていた事が分かります。

 

富士信仰とかぐや姫

竹取物語と富士山には深い関係があります。かぐや姫が月に帰る時、天人から帝は不老不死の薬を貰うのですが、「かぐや姫がいない世界では、永遠の命などいらない」と薬を焼いてしまうのですが、それは日本で一番高い山で燃やされます。

不老不死の薬が燃やされた後、その山は常に煙が上がるようになり、「不死の山」と呼ばれるようになったそうです。当時の富士山は活動期にあり、当時の人々が富士山に対する畏敬の念を持っていた事が分かります。今でも富士山の麓には不老不死の薬があるのかもしれません。

 

富士信仰で有名な神社仏閣

富士信仰に関連する浅間神社ですが、全国には1300程あると言われます。元々浅間大神を祀っていたものもありますが、殆どは富士山の噴火を沈めたり、富士講ブームの際に作られています。宝永大噴火の際に被害の多かった北関東に沢山の浅間神社が作られましたが、伊豆は被害が少なかった為、浅間神社が少ない等、地域性が見受けられます。

読み方は「あさま」「せんげん」どちらも正解ですが、「せんげん」は中世から用いられたものです。「あさま」の由来は火山を表す古語である説や、九州の阿蘇山から来ている説、アイヌ語である等、沢山あります。

浅間神社はコノハナノサクヤビメを祀る事が殆どです。これから紹介する神社では家庭円満・安産・子安にご利益がありますよ。

 

山宮浅間神社

住所:静岡県富士宮市山宮740
祭神:コノハナノサクヤビメ・浅間大神

アクセス:JR身延線富士宮駅から車で約15分
駐車場:無料

数ある浅間神社の中で、最も古いとされる神社になります。垂仁天皇3年(西暦23年)には富士山麓の山足に祀られていたそうです。
後に日本武尊が東国征伐の際に賊徒の攻撃にあい、この地(富士宮市山宮)で祈念して窮地を脱しました。日本武尊はこの経緯から、富士大神(浅間大神)を祀る事を決めたのです。前述した通り、806年に富士山本宮浅間神社が遷座しますが、この地は山宮浅間神社として残りました。

この神社の最大の特徴は本殿に該当する建物がない事です。

神社の正面には「籠屋」という立派な建物がありますが、こちらは昭和8年に作られたものです。参道から50段程ある石段を登り、境内に入ると本殿はなく、堀で囲まれた四角い場所があります。この四角い場自体が遥拝所であり、富士山を一望出来る場所となっています。

つまり富士山そのものが神様なので、本殿は必要ないという事ですね。このような古代祭祀場的な形態を留めている神社は極めて貴重と言えます。

 

富士山本宮浅間神社

住所:静岡県富士宮市宮町1-1
祭神:コノハナノサクヤビメ・浅間大神

アクセス:身延線富士宮駅より800m(徒歩10分)
駐車場:1時間200円、1日1500円ですが、30分以内の出庫は無料です。

富士山本宮浅間神社は全国にある浅間神社の総本山です。本宮社地は広大で約17,000m2あり、更に富士山8合目以上の敷地である385万m2も富士山本宮浅間神社が所有しています。

富士山の噴火が活発になるにつれ、朝廷は富士山の怒りを鎮めようとします。806年に時の帝である平城天皇が、坂上田村麻呂に社殿を作る事を命じます。富士山本宮浅間神社が現在ある場所には、元々福地神社があったのですが、福地神社は現在の富士宮市朝日町に遷座します。福地神社はオオヤマツミを祀っており、こちらも由緒正しい神社です。

何故福地神社を遷座させてまで、富士山本宮浅間神社を建立したのかと言うと、この場所が富士山の龍脈の気が留まる龍穴に位置していたからです。上空から見ると、富士山の南西、表富士を望む位置にあり、富士信仰の「陽」を象徴する神社だと言えます。

徳川家康は富士山本宮浅間神社に対する信仰が厚く、関ヶ原の戦いの後に、勝利をもたらしてくれたその御礼として本殿・拝殿・楼門を建立します。境内はコノハナノサクヤビメを象徴とする約500本もの桜樹が植えられています。富士山の「陽」を担う場所と言うだけあり、全体的に明るい雰囲気に満ちています。富士山の湧水が湧き出ている「湧玉池」等の数々のパワースポットもあり、魅力に溢れる神社です。

 

北口本宮冨士浅間神社

住所:山梨県富士吉田市上吉田5558
祭神:コノハナノサクヤビメ、ニニギ、オオヤマツミ

アクセス:富士山駅から徒歩約23分
駐車場:150台無料

北口本宮冨士浅間神社の起源は山宮浅間神社同様に古く、景行天皇40年(西暦110)の時代です。日本武尊が東方遠征の際にこの地を訪れ、「富士の神山は北方より登拝せよと」と祠を建てた事が始まりです。

788年に現在の地に神殿が建てられます。元々は諏訪神社がルーツでしたが、いつしか浅間神社として祀られるようになります。位置的に富士山のパワースポットであった事が関係しているかもしれません。

何度も改築され、1615年に現在の本殿が、1688年には社殿が建立されました。1733年に富士講の隆盛に貢献した村上光清が、この地に幣殿や拝殿を造営します。このような経緯もあり、江戸時代からこの神社は登山の中心として栄えました。

上空から見ると北口本宮冨士浅間神社は富士山から見て、北東に位置します。富士山本宮浅間神社は南西に位置している事から分かるように、それぞれの神社は対角線上に位置しています。北口本宮冨士浅間神社は富士山の「陰」の気を受け止める役目を担っています。

「陽」の役割を担う富士山本宮浅間神社とは雰囲気も異なり、空気もピリッと張り詰めています。参道には角行が修行に使ったとされる「立行石」があります。他にも樹齢1000年の「冨士太郎杉」、数々のパワースポットがあります。

他にも北口本宮冨士浅間神社から200m程離れた場所に「大塚丘」があり、こちらはこの地を訪れた日本武尊を祀ったものになりますね。

 

河口浅間神社

住所:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
祭神:浅間大神、コノハナノサクヤビメ

アクセス:河口湖駅より路線バス甲府「河口局前」で下車します。
駐車場:無料

788年以降、多くの浅間神社が建立され、富士山の怒りを鎮めようとする朝廷でしたが、864年に貞観大噴火が起きます。朝廷はこの原因を富士山本宮浅間神社の職務怠慢と判断し、甲斐国にも浅間神社を作る事を命じます。この時に建立された神社は諸説ありますが、こちらの河口浅間神社は有力とされています。他にも笛吹市にある浅間神社と、一宮浅野神社も有力候補とされますが、答えは出ていません。

元々は富士信仰を代表する神社であり、長野、山梨、埼玉方面から富士山登山にくる者が立ち寄る町でした。後に富士講による登山は北口本宮冨士浅間神社から登る事が増えていき、河口浅間神社付近は寂れてしまいます。

社殿には樹齢1200年を超える杉の木が植えられており、山梨県の天然記念物にも認定されています。本殿正面には醍醐天皇直筆の「大元霊」が飾られています。現在はひっそりとした佇まいですが、こちらもパワースポットと言えるでしょう。

 

まとめ

今回は富士信仰と、それに関連する神社についてご紹介しました。

橋本ユリ
富士山が何故、世界文化遺産に選ばれたのかがお分かりいただけたでしょうか?


富士山は時として恵みを、時に噴火を起こし、我々に畏敬の念を与えてきたのです。富士信仰は今も私達の心の中に脈々と受け継がれているでしょう。

神社参拝の秘伝講座
日本全国190社の神社を回り、200人以上のメンバーと団体参拝をした 神社参拝専門家の羽賀ヒカルが語る凡人が運命を超えるための参拝秘伝とは
無料登録するだけで合計6万円相当の
豪華プレゼントを無料で受取ることができます。 詳しくはこちら

これらの記事も合わせて読むと、開運の秘訣がわかります。

「歴史・建物・組織」カテゴリの記事

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、架空のキャラクターの
新米巫女の橋本ユリが、神社に関する知識をわかりやすく解説します。