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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
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9割の人が誤解している、最澄と空海の2人の関係について

2022年4月22日

日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回のテーマは、日本人が知るべき空海と最澄の「魂の交流」についてお伝えします。

必見の内容なので、是非最後まで読んで頂けたら嬉しいです。


最初にお断りさせて頂きます。

仏教に熱心な方から、「弘法大師・伝教大師と呼びなさい」といったお声を頂くこともあります。

しかし、今回は歴史的な人物としての名前「空海さん・最澄さん」という呼び名を使わせて頂きたいと思います。


橋本ユリ
羽賀さーん、変なこと聞いちゃって、ビックリなんです!

最澄さんと空海さんって同性愛者で、共通するお弟子さんを取り合いしたんですか?


羽賀ヒカル
これは、とんでもない話ですね。

そういうゴシップ的情報に囚われると、2人が本当に伝えたかったことを見誤ってしまいます。

今回は、この2人の心や魂の交流について迫っていきます。

まず、時代背景を理解しましょう。


最澄と空海が生きた時代背景


最澄さんと空海さんが生きた時代は、奈良時代末期から平安時代初期です。

奈良時代は、仏教が朝廷や政治、民衆に対して非常に力を持った時代でした。

しかし、人間は「調子に乗る」ことがあります。

仏教が力を持つようになると、本来、仏教は真理を探求するものなのに、空海さんと最澄さんが仏門を志した奈良時代末期は、政治権力と結びつくことで違う方向に向いてしまっていたと思います。

2人とも「何か違う」という思いを抱えながらも、最澄さんは比叡山で修行をして悟りを開き、空海さんは都の中心地から離れて修行をしたと言われています。

全く別々の道を歩んでいたのです。

最澄さんは一生懸命学び、悟りを開いてエリートコースに乗りますが、空海さんは仏教の世界で中心から外れていたのです。


そんな2人が交わるのが、唐に留学した頃からです。

この時、空海さんが31歳、最澄さんが38歳の時で、最澄さんの方が7つ年上にあたります。

最澄さんはいわば国家公務員や大学教授のようなエリートのお坊さんで、国から見て「この人物を唐に留学に行かしたら、日本にとって役立つだろう」ということで、留学することになるのです。

一方、空海さんの方は謎で、無名のお坊さんだったのです。

今でこそ、中国への留学は個人の家庭でも可能なのですが、当時の唐に留学することは、今で例えると宇宙旅行に行くようなものなのです。

危険が伴いますし、かなり高額なお金も掛かります。

しかも、無事に帰ってこれるのかどうかもわかりません。


当時そのような状況で、何隻か同時に出発し、空海さんは1番目の船、最澄さんは2番目の船に乗ったと言われています。

今ほど航海技術が安定しておらず、2人は中国で全く別々のところに辿り着くことになり、これが2人の明暗を分けることになります。

唐に留学した時点では、空海さんと最澄さんの交流があったかどうかは定かではありません。

でも、お互いが一目を置いていたのではないかと予想しています。


遣唐使として、唐で最澄さんは天台宗という思想体系、そして空海さんは真言宗という思想体系を学んで、たった2年ほどで日本に帰ってきました。

これは、非常に短い期間だったと言えます。

当時、最澄さんはいわばエリートですから、朝廷に認められていましたし、たくさんいるお坊さんの中でも、当時の天皇である桓武天皇に特に気に入られていました。


奈良時代に活躍した、和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物の勧めがきっかけで認められたのです。


最澄さんが日本に帰ってきた時、桓武天皇は病に臥せていました。

当時の日本人は、病気は祟りや怨霊のせいだと考えていて、苦しんでいる時にはお坊さんが祈祷をするのです。

最澄さんは、天皇に対して祈祷を行う立場の方でした。


このように最澄さんは、当時の権力の中心で活躍する人物で、対して空海さんはエリートではありませんでした。

日本に帰ってきてから、不遇な時期を数年間過ごしていたと言われています。

空海が時代の中心に現れたきっかけ


そんな空海が、奈良時代の中心に現れるのは、最澄の勧めがあったのではないかと言われています。

民間でどんどん有名になっていく空海さんは、最澄さんと同じ時期に唐に留学しました。

でも、自分とは違う知恵を学び、違うお経を持ち帰っているとのことで、「こいつは何か違うな」と惹かれあう魂があって、最澄さんは空海さんを朝廷に勧めたのではないかと思うのです。

そして、前提として2人は「当時の日本の仏教は何か違う」という思いがありました

その思いは、後に空海さんが最澄さんに送った手紙からにじみ出ています。

手紙については後ほど解説します。


空海さんは、日本に帰ってきてから、最澄の勧めで時代の中心にやってきます。

空海さんは高雄山神護寺(たかおさんじんごじ)に入住したという記述があり、ここで最澄さんの勧めによってご祈祷を行ったことなどから交流が始まりました。

空海さんが唐から持ち帰ってきたお経は、最澄さんにとって非常に魅力的で、お経の貸し借りなどが始まります。



最澄さんは、どこまでもストイックに真理を求める方なので、自分の知らないことを知っているという理由で、7歳年下の空海さんのところに弟子入りをするのです。


2人の有名なやり取りがあります。

最澄:あなたの知っている真理を私も知りたいです。どのぐらい時間が掛かりますか?

空海:私は二ヶ月でこの教えを修めました。優秀な僧侶であれば半年で終わると思います。


なんとも天才・空海らしい言葉ですが、さらに最澄が訊ねます。

最澄:ならば、私はどのぐらいかかりますか?

空海:3年です。


このやり取りから見ると、空海さんは、最澄さんをバカにしていると思われるかもしれませんが、実は違います。

「最澄さん、あなたは私とは違う悟りを得ている。これを例えて言うならば、あなたは、私とは違う山を登り切ってしまっている。私の元に上がってくるためには、普通の人であれば上がってくるだけで良いのが、最澄さんは、その山を一度降りてこなければいけない。だから3年はかかります。」

という解釈で捉えています。

このようなやりとりがあったんですね。


真理は知りたいが、3年も掛けることはできません。

では、どうしたら良いのでしょうか?

そこで最澄さんは、自分の弟子である泰範(たいはん)を空海さんの元に派遣することにします。



誤解のもととなった手紙の真相


泰範とのやり取りの中で生じる様々な物語があります。

今回は空海さんが最澄さんに送った有名な手紙を見ていきます。

まず、風信帖(ふうしんじょう)という手紙です。


なぜ風信帖なのかというと、手紙が「風を信じる」というところから始まるからです。

空海さんが最澄さんに送った手紙は三通残っていて、この一通目の風信帖がすごく良いのです。

これは「仏教の根本についてあなたと語り合いたい」という熱い思いが書かれています。

2人には「当時の仏教は何か違う」という思いがあり、「根本的に仏教の教えとは何なのかを、あなたとなら分かり合えると思う」といった熱い思いがこの中には見て取れるのです。


二通目が、こちらは忽把帖(こつひじょう)というもので、「連絡したくても、最近少し忙しくて連絡取れなくてごめんね」といった内容です。


三通目は忽恵帖(こつけいじょう)といって、お経の貸し借りについて書かれている手紙です。


空海さんは、有名な「三筆(さんぴつ)」と言われていて、これは当時、達筆である3人の人物に選ばれています。

これは、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)、そして空海の3人です。

空海さんの書の特徴は、書物や文によって、全然文字(書体)が違い、それぞれ文体や文字が変わっているのです。

こちらを見て頂いて、何となく感じ取って頂けたらと思います。

まさに変幻自在、自由自在な文字を使いこなしたと言われていて、こちらが空海さんが最澄さんに送った手紙です。


そして、最澄さんから空海サイドにも手紙を送っているのです。

なぜ空海サイドなのかというと、空海さんの下にいた弟子の泰範(たいはん)に宛てた手紙だからです。


これを久隔帖(きゅうかくじょう)と言い、この手紙がゴシップに繋がっていて、インターネットで調べると最澄さんが弟子に送ったラブレターだと解釈している方がいるのです。

「あなたの清い音、あなたの清らかな声を聞かなくなって久しいですね」

さらに「馳恋無極(恋はせること極みなし)」と書かれていて、これはラブレターだと解釈されています。

しかし、恋は、人間が人間に対してだけではありません。

人間が自然に対して、もしくは神仏に対して「恋い焦がれる」という言葉を使いますし、あなたのことを思いますという感情のこもった言葉が「恋」なのです。

この言葉が曲解されてラブレターだとして紐解かれているのです。

でも、単なる恋愛だけに使われる漢字ではないと思います。


また、「あなたが安らかでいるということを聞きました。それを聞いて私の気持ちは安心しました」といったことを記述された後は、お経の解釈に関する質問なのです。

ラブレターだと解釈される部分は最初の二行しか記述がなくて、他の大部分はお経の内容に関する問いかけなのです。


私がこれをラブレターだと解釈することに違和感があるのは、最澄さんは非常にストイックで、煩悩や欲望と言ったことに関してはかなり否定的な方だからです。

お坊さんとして修行するのに、恋する気持ちや欲望などを全部燃やし尽くすことが大事なのです。

「悟りを開くために一心に行くのが僧侶としての道である」ということが他の文章では見て取れるのに、この手紙だけ俗っぽい感じで、ラブレターとして解釈するのは曲解だと私は思います。

ただ、他の文章から見てとれるのは、最澄さんは非常に情に厚く面倒見が良い方なのです。

だから、「自分のお弟子さんが無事で過ごしているというのを聞いて安心しました」というのは理解できます。

ただ、これが単なる色恋だというところに、私は違和感を感じているのです。

その後も、空海さんと最澄さんはやり取りがあったとのことですが、手紙として残っているのは風信帖(ふうしんじょう)と久隔帖(きゅうかくじょう)のみなのです。

空海と最澄がケンカ別れした理由


空海さんと最澄さんが、最終的にケンカ別れしたと言われているのは、実は空海さんの書物の中にそういう記述があるからなのです。

実は最澄さんからきた手紙に対して、空海さんは「このように代筆しました」といった記述も残っています。

この書物を性霊集(しょうりょうしゅう)と言って、その中に「叡山の澄法師 理趣経を求むるに答する書」というものがあります。


最澄さんが空海さんに「理趣経(りしゅきょう)」というお経を貸して欲しいと頼んだところ、それに対して貸せないということを返事しているのです。

貸せない理由をかなり論理的に述べているのが、この「叡山の澄法師 理趣経を求むるに答する書」なのです。

この澄法師は最澄法師とも取れますが、実は最澄さんではないという説があります。

それは表現が荒っぽくて、自分より目下や年下の人に対して使う言葉が使われているからです。

だから、これは最澄さんではなく、当時、円澄(えんちょう)というお坊さんがいたので、その円澄に対して書いた文章だという説もあるのです。

ただ、最澄さんが実際に理趣経を求めて、それに対してNOと言ったことはあるのでしょう。


この理趣経という教えは、実は性的なエネルギーを悟りに変えることについて述べられているものなのです。

神社チャンネルでも、性の話は何度かお伝えしてきましたが、根本的な人間の生命エネルギーなので、やはり宗教的奥義や秘儀には避けては通れない道なのです

それを悟りに変えることについて理趣経に記述されていて、それが後々誤解・曲解されて、とある宗教となり、「性によって悟るのが正しい道なのだ」と、非常に淫らな乱れた団体に繋がっていったとも言われています。

この辺のことは非常に深いので今回はお話しませんが、理趣経のやり取りをめぐって対立が起き、最終的に2人は別れていったということなのです。

阿吽の呼吸だった空海と最澄


ただ、これは2人の方法論の違いを理解しないといけないのです。

最澄さんは学びと修行を重要視し、善なる行いを積むことによって悟るという思想です。

一方で、空海さんは祈祷によって目覚めるといった思想の違いがあります。

例えて言うと、最澄さんは「悟るために学び、善なる行いを積み重ねて悟っていく」という考え方です。

空海さんの場合は、「元々人間には仏性が備わっており、それを目覚めさせるために、三密「身・口・意」を揃える」という根本的な思想が違っているのです。

方法論の違いから対立が起きて2人は最終的に別れたとのことなのですが、これは別れたからこそ良かったということでもあります。

全く異質な日本仏教が、当時の比叡山と高野山が作られたことによって、後の日本仏教や日本人の思想にかなり大きな影響を与えました。

この時、2人が仲良しでは、後々の仏教の世界から考えると良くなかったかもしれないのです。

そういった意味では、2人が対立するきっかけは、お弟子さんの泰範も関わっているのです。


「日本」は、言霊で言うと「2本」です。

「出雲と大和」・「西日本と東日本」・「東京と京都」といった中心が2つあるのです。

日本仏教という意味では「空海と最澄」になりますし、銀河の中心も2つあるという説もあるのです。

空海さんは高野山に宇宙を作ろうとし、最澄さんも比叡山に宇宙を作ろうとしたのだと思います。

いわば比叡山と高野山は、2つの宇宙の中心と解釈することもできると思います。


大事なことは、2人はほぼ同時代に生まれ、当時の日本仏教に対する反発心から新しい仏教を作り上げました。

その2人の魂は共鳴し、それはまさに阿吽(あうん)の呼吸があったということです。

阿吽とは仏教用語で、宇宙の始まりを意味する言葉です。

当時の仏教に対する反発、もしくは日本の100年後、200年後、1000年後まで見据えながら、2人はどのような思想が日本にとって必要なのかを考えていました。

全く性格も、生まれも違う2人がこの時代において、仏教を作り出したことに大きな意味があると思います。

まさに「阿吽の呼吸」であり、魂の交流があったと思います。

この魂と魂がぶつかり合いながら、今の私たちにも影響を与えているのです。


人の出会いは壮大なものがあると思います。

その時は分からなくても、それが100年後、200年後、1000年後、いや最澄・空海の場合は1200年後の私たちにまで影響を与えていて、その後もずっと影響を与え続けています。

橋本ユリ
そんな魂の交流って素敵ですね。


羽賀ヒカル
そう、そして私たちにもその影響は受け継がれているのです。


今回は空海さんと最澄さんの二人の「魂の交流」についてお伝えさせて頂きました。

あなたの開運を心よりお祈りしております、羽賀ヒカルでした。


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