神社チャンネル

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いま蘇る、最澄と空海の秘法

2022年3月31日

日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は、国史啓蒙家の小名木善行先生をお招きして、「空海と最澄」についてお話をお聞きします。

小名木先生、よろしくお願いします。



小名木善行


よろしくお願いします。


羽賀ヒカル
最澄と空海は、本当に日本仏教の中心的な二人の人物です。

だからこそ、この二人が現れたのかという時代背景や前後関係をきちんと見ていく必要があると思います。


空海と最澄の時間軸は、奈良時代ですね。

都が奈良にあった時代から、平安時代に京都へ移ったタイミングで現れたのがこのお二人です。

どのような背景があったのかをお伺いできたらと思います。

仏教を奨励した聖武天皇


小名木善行
最初に結論から申し上げますと、もしこの二人の人物がいなければ、日本で仏教はもう潰れてなくなっていた可能性があります。

そういう意味では、ものすごく大きな働きをされた人物であるのです。

初めに登場するのは、聖武天皇(第45代)の時です。


この聖武天皇は奈良の大仏などを作られた方で有名なんですけれども、仏教を一般の民衆に向けて開いた天皇でもあります。

聖武天皇は大変、子煩悩な方で、男の子が一人生まれるんですね。

この子は当然、お世継ぎの皇太子になるんですが、天皇の奥様が有名な光明(こうみょう)皇后(光明子)で大変な美人で才女でした。

しかも、奥様のことをものすごく愛していたんです。

他に何人も側室の方々を作れば良かったんですが、とにかく奥さま命で、光明皇后とだけ結ばれて、男の子が生まれました。

当然、その男の子がお世継ぎの皇太子となって、次の天皇となるべき人物になります。

ところが、この子が亡くなってしまいます。

その亡くなった六日後に、なんと皇居に巨大な隕石が落ちたんです。


これはもう神様がお怒りになっているに違いないという話になってくるんですね。

この時、天皇は日本の祭祀のトップですから、お祈りを一生懸命します。

ところがその最中に、五畿七道地震(※注1)という日本の歴史に残るような大地震が起きたんです。

注1:五畿七道地震(ごきしちどうじしん)
五畿七道地震は、奈良時代に畿内を中心として発生したと推定される地震。畿内七道地震(きないしちどうじしん)とも言う。『続日本紀』では、「大地大いに震い天下の民衆の家が倒壊し圧死者が多数出、山崩れ、川の閉塞、地割れが数えきれないほど発生した」とある。

日本全国が揺れて、ほとんどの建物が倒壊するほどの状態になりました。


ここまで来ると、「神様が全然言うことを聞いてくれないんだったら、もう仏様にすがるしかない」と普通はなりますよね。

それで、聖武天皇は仏教にすごく傾斜していくんです。

だから、600人のお坊さんを招いて大祈祷を行ったり、それから3,000人を一気にお坊さんにしました。


ただ、受け入れる側のお寺さんも、いきなり3,000人がお坊さんになったら、みんなを食べさせないといけなくなるので、これは冗談じゃないとなるじゃないですか。

だから、その分の食費を全て国で面倒を見るから3,000人を出家させて、お寺さんできちんとしたお坊さんを育ててやってくれとなりました。

さらに、奈良に大きな大仏を寄進するまでやりました。


この奈良の大仏を寄進した時には、なんとインドやベトナムから位の高いお坊さん招いて、大祈祷大会もやったんですね。

これらは天平時代に行われました。

天平時代と言うと、平和な時代だったという印象がありますが、実は本当に大変な時代だったんです。


それから、この天平時代は江戸時代のように日本は鎖国していないので、国際社会とものすごく深い関係を持って、人的な交流もあったんですね。

だから、奈良の大仏の開眼供養は、遠くの中東の方からも人がやってきたという記録があります。

日本はそもそも海洋国家ですから、聖武天皇の時代に国際社会とも大きな深い関係を持って、仏教を大きく広げていきました。

民衆に仏教を布教した行基


小名木善行
ところが、ここでまた問題が起こるんです。

それは、行基(ぎょうき)というお坊さんが現れたことです。


この時代までの仏教は国家鎮護のためのものでしたので、貴族は仏教に帰依(きえ)して構わないけれども、一般の民衆はあくまでも神社・氏神様を中心に据えていました。

その氏神様にお米を預けて、二年分のお米を備蓄していくことによって、どんな天然の災害がやってきても、みんながきちんと食べられるようにしていました。

このように、国の行政システムの根幹・中心に神社があったんですよ。

だから、仏教が一般の庶民の間に浸透していって、「お米で神社に預けると言ってるけど、オレは仏教に入ったから、神社にお米を預けるのを止めよう」となってしまうと、国が乱れてしまいます。

そういう意味で、民間に対する仏教の布教をやってはいけないことなんですけど、これを行基がやってしまうんです。


「中央の朝廷の天子様や貴族の人たちがみんな、次々と願い事を叶えていってるんですよ」「この仏教の教えを信じれば、あなたも仏さまになることができて、病気が治るんですよ」と言われると、一般の民衆は行基の下にたくさん集まってきました。

その結果、みんなが仏教へどんどん改宗していったことで、行基は犯罪者として中央から追われたんですね。


でも、奈良の大仏を立てることになった時に、途中で銅が足りなくなってしまって、一般の民衆から寄進を募ることになりました。

この寄進に応じて、大仏建立のために銅や様々な金属を出してくれた人数は37万人と分かっています。

これは行基の助けによって、この寄進が実現してるんですよ。

だから、行基の存在と民衆の力がなければ、実は奈良の大仏は完成しなかったんですね。


そういう意味で、聖武天皇は行基を犯罪者ではなく、本当に立派なお坊さんだということで、行基の行動を認めるという選択をします。

つまり、仏教を一般の民衆に開放したんですよ。

そうすると、仏教信者がどんどん増えていきますよね。

仏教排除に至った平安時代初期


小名木善行
こうなると、やはり多くの信者を抱えていますので、仏教勢力がものすごく力を持つようになっていきます。

今で言うと、それこそ大手新興宗教団体みたいに大変な財力まで持つようになったのです。

この財力を背景として天皇に取り入って力を持ったのが、弓削道教(ゆげのどうきょう)という人物ですね。


いわゆる宇佐八幡神託事件(うさはちまんしんたくじけん)があって、道教が天皇の地位を簒奪(さんだつ)しようというところまで、どんどん自己肥大化していきます。

「この世の権力をオレはもう全て取ってしまったから、あとはもう天皇になるしかないな。じゃあオレは明日から天皇になるからよろしく」といった、とんでもないことを言い出したのです。

我が国の皇室は大昔から、アマテラスオオミカミ様から続く男系男子としてきちんと決まってるから、その道を変えてはいけないとして大活躍するのが和気清麻呂(わけのきよまろ)です。


そして、この清麻呂の進言によって天皇の心が変わり、道教は中央から飛ばされて良かったなとなりました。

その結果、清麻呂の株が非常に上がり、ものすごく信頼されるようになったのです。

そして、清麻呂の晩年に即位された天皇が平安京を開かれた開かれたことで有名な桓武天皇(第50代)です。


清麻呂はその桓武天皇に「奈良の都はあまりにも仏教寺院の力が強くなり過ぎているので、山城国に新しい都を作って、京の都を移してそこを「平安京」と名付けましょう」と進言しました。

この平安京造営の総責任者としても大活躍したのが、実は和気清麻呂なんですね。


この平安京遷都によって、やっと治安も取り戻し、我が国の平和も実現できるようになって良かったというところで起こったのが、「薬子(くすこ)の変」(平城太上天皇の変)です。

藤原薬子は藤原氏の血筋の人物です。

当然、藤原氏ですから、自分の娘を天皇の奥さまにしようとして娘を連れていきます。

「本当にかわいくて性格の良い娘で、不束(ふつつか)ではありますが、どうぞ娘をお妃にして下さいませんか?」といった感じで天皇のところへ行ったのに、なぜか母である薬子と、のちの平城(へいぜい)天皇(第51代)との間に子どもが出来てしまいます。


この子どもが皇太子殿下となり、のちの天皇陛下になりますよね。

そうすると、その天皇にとってはお母さん(薬子)命になってしまうんですよ。

薬子はやはり年上の人で、夫である平城天皇が年下の男の子になってしまうんですよ。

それで言いなりの状態になってしまいました。


薬子本人はわりと真っ当な人物でありましたが、兄の藤原仲成(ふじわらのなかなり)はとにかく飲ん兵衛でろくでもなく、酔った勢いで様々なことをやってしまいます。

「お前、なかなか見どころがあるな。あそこの大臣にしてやるからな」「お前は、あの国の国司にしてやろう」と酔っ払いで、下っ端の身分のお兄ちゃんが勝手に人事やってしまうんです。

それによって、国の行政がものすごく乱れてしまうんですね。

そんな状況で起こったのが薬子の変で、この兄妹を最終的にやっつけてようやく名の通り、平安な時代がやってきました。


この一連の過程の中で一番大きな問題だったのはやはり、弓削道教が起こした奈良の都で仏教が天皇の地位を奪おうとした事件です。

これでもう、仏教そのものの信用が下落しますよね。

さらにもう奈良にはお寺が多過ぎて、こんなところにいても仕方がないから京都を変えましょうとなりました。


奈良の都は、真ん中に皇居があって、その周りをぐるっと仏教のお寺が囲んでいるんですね。

そして、京都は地図で見たらすぐ分かるように、皇居の周りは全て神社なんです。


お寺さんも東寺(教王護国寺)などがありますが、もう一番端の方に寄ってしまっています。

だから、そういう意味で仏教が大きな力を持ってるのは事実なんですが、仏教の力をだんだんと排除の方向に向かっていったのが平安時代初期の出来事でした。

仏教を再興させた空海と最澄


小名木善行
このままの延長線上で行くと、我が国から仏教が消えてなくなってしまっていた可能性もあるんですね。


その時に、歴史に登場したのが弘法大師空海(以下、空海)と伝教大師最澄(以下、最澄)という偉大な人物でした。

そして、天皇の命令で、唐の国に行って修行をしてきて、我が国の中において、空海は高野山で真言宗を開き、最澄が比叡山で天台宗を開きました。


最澄は比叡山で、いわゆる学僧として一生懸命勉強し修行させて、本当の意味で立派なお坊さんを作っていくことを行なっていきます。

だから、後の世で鎌倉仏教の開祖になってる人たちはみんな、この天台宗から出ているという状況ですね。


一方で、空海の開いた高野山は、偉いお坊さんを作るのではなくて、とにかく一人でも多くの人々を救っていこうとしました。

日本人一人ひとりがみんな、悩みや辛いことなど日常で様々なことがある中でも、みんなが解脱(げだつ)して幸せになっていくための道を示したり、真の言葉をたくさんの人たちに伝えようとしました。

それは特別な、超有名なお坊さんになることが大事だということではなくて、一人ひとりの民衆が豊かに安全・安心して暮らし、幸せになっていくことを、空海はずっと守り抜いていき、説き続けてきました。

だから、今に至るまで、空海はものすごく多くの人々から尊敬され続けているのです。


実は全国の至る所に、空海が開いたとされる温泉があります。

この背景には、当時の民衆たちのこんな想いがあります。

自分たちの山から温泉が出たときに、「それはめでたい!それは空海様がいてくれたおかげだよ」「真言の教えをしっかりと守って、日々良い行いをしてるから、神様が温泉を当ててくれたんだよ」「良かったな。それもこれもみんな空海さまの教えのおかげだよ」といった感じで、空海が尊敬され続けているのです。

空海と最澄が目指したもの


羽賀ヒカル
私たちが生きる今の時代の感覚と、空海や最澄が活躍した当時の感覚が違うことの一つに、疫病に対する考え方があります。

現代であれば、疫病が流行する理由が「ウィルス」や「細菌」であるという認識になりますが、当時はその認識がなくて、人々がバタバタと倒れ、発熱し苦しむ状況の中で、これは「怨念」が原因ではないかと思ったんですよね。


当時、聖武天皇や弓削道鏡の時代にも、疫病が流行しました。

やはり「怨念」が疫病を引き起こしているのではないかと考えられる中で、お坊さんたちが活躍した時代でした。

「怨念」に関しては、都を遷都するところまで繋がっていきます。

桓武天皇が、平城京から平安京に遷都したのも怨念騒動がきっかけです。

「薬子の変」といった非常にドロドロした話においても、「怨念」が関わっていました。

そういった「怨念」を鎮めるために活躍したのが、空海と最澄でした。


小名木善行
空海・最澄の教えの一番大切な根幹について、多くの人が間違えることがあります。

それは、「空海は、民衆一人一人の救済」「最澄は、立派なお坊さんを育てていくこと」といった、二人の教えが全然違う方向を向いていると思われていることです。

一見、二人は全然方向が違うように見えますが、実はそうではなく、同じことをしようとしたのです。


日本という国が、本当に豊かになって、安全・安心に暮らしていくための民衆のリーダーを育てていったのが最澄です。

一方で、一般民衆そのものの民度を上げていったのが空海でした。

彼らの活動は別々ではなく、実は同じことをしているんですね。


結局、最澄と空海が行なったことは、現代用語でいうと「モブキャラをなくしましょう」ということです。

モブキャラとはアニメ用語で「単なる背景キャラ」という意味です。

これは例えば、通行人、教室やグラウンドにいる見物客など、ただそこに絵柄として書いてあるだけで別にいてもいなくても良く、一人ひとりは何の個性もないような存在のことです。


西洋やチャイナの歴史を見ると、英雄・豪傑が大活躍をしますが、一方で目立つのは彼らだけなのです。

例えば、三国志であれば、英雄が登場して、10万の軍勢の中にたった1人で突っ込んでいって、大長刀(おおなぎなた)を大きく振るうと、みんなが飛んでいってしまうみたいな感じです。


この時、この人たちは生まれても、その戦いでただ飛んでいくだけの存在なんです。

でも、人間一人ひとり全員にとって、自分の人生は自分が主役となって生きているものなので、英雄だけのストーリーがあるというのはありえないことなのです。

だから、飛ばされて散っていく兵隊さんたち全員にも命があって、一人ひとりはみんな自分の人生を主役として生きているんです。


その話を西洋及び東洋の歴史や文学をどんなに調べていっても、一般の民衆は「その他大勢」で描かれています。

兵隊さんが10万人まとめて穴が掘られて埋められてしまった時、10万人はただそれだけの存在でしかないのです。


ところが、日本においては、歴史に登場する全員一人ひとりが、自分の人生を主役として生きているという描き方をしているんです。

実は、空海と最澄の二人はこの考え方をものすごく大事にしていたのです。

教えの在り方そのものは、真言宗・天台宗それぞれで一見違うかもしれませんが、究極的には同じことを説いています。

今、この話を読んで頂いている皆さんも、全員が今の時代を主役として生きています。

これを大事にしようとしたのです。


羽賀ヒカル
空海の教えでは、「誰でも即身成仏できる」ということを説きました。

つまり、「求める者は誰でも悟ることができる」ということです。

これは、今の日本人の感覚で言うと当たり前のように感じられるかもしれません。


しかし、当時の仏教思想では、「何度も何度も輪廻転生(りんねてんせい)しないと解脱できない」といった教えがある中で、非常に画期的だったんですね。

また、最澄が行いたかったことの一つに、大乗戒壇院(だいじょうかいだんいん)の建立がありました。


悟りたいと求める者や修行したいと思う者が全員修行できる場を作ろうとしたのです。

奈良時代~平安時代初期の仏教では、その道を歩むことができるのはエリート層だけで、その数はかなり限られていました。

しかし、求める者は誰でも悟れるという場所を作ったことで、まさにモブキャラをなくそうとしました。

このように、日本人の思想の源流が最澄・空海にあるように感じています。


小名木善行
戦争が起こるのも、一部の権力者の欲得が根底にあります。

戦争を始めれば、武器が売れて「オレ、すごく財産もらえる。今度家でも建てようかな、車買っちゃおうかな」などといった、一部の人が贅沢をするために、多くの民衆が犠牲になってしまっています。

そんなことは絶対に許せませんよね。

「みんな一人ひとりが幸せに生きていくことを一番大事にしましょうよ」という、現代の日本において当たり前の発想が、実はいまだに世界では当たり前ではないんですよね。

今、日本仏教を見直し、学んでいくことが大切な理由


羽賀ヒカル
今回、私たちは空海と最澄の講座を行うことになりました。

本当はやはり、一人ひとりが自分らしく輝いて生きることが大切だと思います。

ただ、マスメディアやインターネットの情報の洪水に流されて踊らされることも多い世の中です。


学校に行って会社に入り、そして40代・50代と過ごす中で、「自分の人生は何なのか?」ということが見えなくなってしまっている方が、数多くいらっしゃいます。

実際に、占い鑑定の現場で様々な方々と関わる中でも感じているところで、学校に行って宿題をやることや、会社に行ってお金を稼ぐことが人生の目的となってしまっている方が多いです。

まさに、みんながモブキャラになってしまうような社会構造があるのです。

でもこれは、会社に勤める人生が悪いと言っているのではありません。

「自分の人生に目的を持って輝いていきましょう」とお伝えしています。


最澄の教えでは「一隅を照らす」という素晴らしい言葉があります。

自分の今、目の前を照らしていくような人生が大事なんだと最澄は説かれました。

空海も、誰でも成仏できることを教えとして説かれていました。

今、この二人の思想を見つめ直すべき時だと思っています。


小名木善行
空海・最澄の思想は、現代にも続く日本精神の根幹なんですよね。

ちなみに、即身成仏は、ミイラになることではないですからね(笑)

今生きている、この身体のままの状態で、仏となって仏の境涯(きょうがい)を得ることができるということです。

仏の境涯とは「利他」の精神や、それ以上に自分をなくして人々のために尽くしていく道です。


そこに、喜びを感じることはありません。

喜びを感じる境地だと、まだ菩薩の境地なんです。

本当に当たり前のことをずっと行なっていったり、自分がしっかりと生きることによって、周りのみんなを救済したり、幸せにできるような道があります。

そんな人生をみんなが歩むことができたらスゴイことですよね。

それは決して誰もできないことではなく、あなたにもそれができますし、実際にそういう人たちがたくさんいることが真の言葉だと言っているのです。

こういった哲学や思想を、一般民衆の誰もが共有することができた国は、歴史を通じて日本しかありません。

だから、神社チャンネルでは「神道」を通じて、結美大学では「歴史」を通じて、その道をずっと訴え続けているのです。


羽賀ヒカル
空海・最澄の教えは、一般にもすごく広まっていますし、今の私たちも見直すことができます。

ただ、もう一つの観点として、真言密教・天台密教といった「密なる教え」という見方もあります。

これは一子相伝という形で口伝継承されるといった、多くの人に伝わるようなものでもないという側面もあるのです。

私の師匠・北極老人も、実はそういった密教の教えを継承しています。

この教えを本邦初公開で半年間講座の中でお伝えします。

半年間の中で、実際に比叡山・高野山にお参りします。

半年間講座2022
「1,200年の時を超え 今、解き明かされる最澄と空海の秘宝」

小名木先生にも一部講座を担当して頂きながら、お伝えしていきたいなと考えています。


小名木善行
これはかなりすごいことですよね。

神社チャンネルをやっている羽賀さんがなぜ仏教なのかと思うかもしれませんが、日本は神仏習合の国だからです。

日本仏教の根幹・根本に帰ってきちんと教えてもらえることは、おそらく人生でまたとない機会だと思います。


羽賀ヒカル
2022年は2が並ぶ年ということもあり、日本の二つの中心の思想を見ていこうということで、今回の企画を行なうことになりました。


小名木善行
日本も2本、空海・最澄もやはり2人で一つなんです。


羽賀ヒカル
仏教には「三密」という教えがあります。

怨念のエネルギーやネガティブなエネルギーから身を守るために、
・手を使う(身)
・言霊を使う(口)
・イメージや祈りを使う(意)

この「三密」を実践しながら意識を変革し、現実を変えていくという半年間講座となっています。


会社員の方であれば「仕事での目標達成」、主婦の方であれば「自分の家族を守っていくこと」、会社経営者の方であれば「会社を守っていくこと」に繋がっていきますので、ご興味ある方は是非詳細をチェックして頂けたらと思います。

今回、結美大学の方でも動画を収録しました。

小名木先生は先日、比叡山へお参りされましたね。


小名木善行

比叡山へ取材に行きました。

比叡山の担当の方に境内を案内して頂きましたが、今ちょうど境内が工事中のため、秘蔵のものを外に出してあるので、それも見せて頂けました。

その様子は結美大学で公開しています。
むすび大学「1200年の歴史を誇る比叡山延暦寺とは?」


羽賀ヒカル

是非、結美大学もチェックして頂けたらと思います。

今回は小名木先生、長時間にわたりありがとうございました。


・神社チャンネルのこちらのYouTubeバージョンもご覧ください。↓


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