神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
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歴史を覆す正統竹内文書・竹内睦泰先生の話

2022年5月11日 2022年05月11日

日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は、正統竹内文書(せいとうたけうちもんじょ)のことをお話しします。

橋本ユリ
羽賀さん、むっちゃん先生の突然の訃報に驚きました。

羽賀さんは親しくなさっていましたね。


羽賀ヒカル
むっちゃん先生からはたくさんのことを教わりました。

表にできないことも多いですが、今回は少しお話したいことがあります。


私がお伝え出来る「武内宿禰」


最近YouTubeを見ていますと、正統竹内文書にまつわるものを見かけます。

竹内文書には神道の文献で、「神道は振動なり」という言葉があります。

拍手・言霊・鈴を鳴らすことは、全て響きです。

この振動の儀式を神道では重要視していて、私はむっちゃん(竹内睦泰)先生から直接の指導(振動)を受けています。

そういう意味で、私から伝えることができる武内宿禰(たけのうちすくね)、もしくは正統竹内文書もあるかと思ってお伝えさせて頂くことになりました。

私とむっちゃん先生


初めに、第七十三世・武内宿禰であり、正統竹内文書の継承者である、むっちゃん先生との出会いについてお話しさせて下さい。

私は、むっちゃん先生のことを紹介する時に「私の先生の一人です」と言っています。


私の師匠は一人しかいません。

それは神道の師匠であり、占いの師匠である北極老人です。


そして、私の師匠・北極老人と竹内むっちゃん先生はご友人です。

それこそ、魂の繋がりがあると言っていい程の関係だったと思います。


私が師匠と出会ったのは、大学受験塾ミスターステップアップに入塾した時でした。

当時、塾長先生が北極老人であり、普通に大学受験をするために入塾したら、師匠・北極老人と出会ったという流れです。

その塾で日本史の教材として使っていたのが、当時の代々木ゼミナールの人気ナンバーワン講師、むっちゃん先生の日本史の授業でした。


本当に授業が面白かったのです。

今でも思い出すだけで笑える、様々な話があります。

恋愛における失敗談や、明治時代に活躍したモレル(※注1)の話、もしくは吉田松陰の話、川中島の戦いなど、そういった歴史のエピソードも非常に印象的です。

※注1:エドモンド・モレル
イギリスの技術者で、鉄道建設に携わり、明治政府にも鉄道技術就任として雇用され、日本の鉄道の礎を築いた。


「こんなに面白い授業があるのか!」と心底楽しんで、この授業を見ていたことを覚えています。

この動画での出会いが最初でした。


その後、むっちゃん先生は代々木ゼミナールを辞めることになります。

教え子とフライデー(週間誌)されたことがきっかけでした。


ただ、これは後に、むっちゃん先生が裁判で勝訴しています。

濡れ衣だったのです。

なぜなら、当時の予備校業界はかなり左翼勢力が強く、その中で「愛国心」などを訴える、むっちゃん先生はかなりの右翼だったからです。

むしろ、むっちゃん先生の言葉をそのまま借りると、「僕は右翼ではありません。極右です!」とおっしゃっていました。

「はははっ」という感じだったんですが(笑)

そうした出会いでした。


この濡れ衣で、代々木ゼミナールを辞めることになります。

その後、むっちゃん先生はソロとなって、東京で講演活動などをされるようになったのです。

当時の私は大学生でした。


そして、むっちゃん先生の東京の講演会に足を運んだことが初めてのリアルな出会いでした。

そこから東京で講演会をされる度に、わざわざ大阪から新幹線で、または夜行バスで足を運ぶ、といったことをずっとやっていました。


2005年には、私の仲間と一緒にむっちゃん先生を大阪の枚方の楠葉にお呼びし、講演会をして頂くことがありました。

今、私は仲間と一緒に会社をやっている中で、これが会社の仲間と一緒に行った、最初のイベントでした。

そこから約一年後に、お店を立ち上げることに繋がり、非常に思い出深いことでした。

突然の別れが意味すること


その後、むっちゃん先生とは、半年に一回や二回、ずっとお会いしていました。

共著で本も書かせて頂いたり、一緒に講演会も何度かさせて頂く中で、2020年1月にむっちゃん先生はお亡くなりになりました。


ちょうどコロナ禍が来る直前でした。

これも何か時代の変わり目を象徴することだと私は感じています。

このコロナ禍の中で、「日本はこうあるべきだ」「日本人、こうしていこう!」と、むっちゃん先生ならばこういうことを伝えるのではないかと感じ祈りながら、お伝えさせて頂いている次第です。

武内宿禰は実在するのか


今回は正統竹内文書のお話ですが、むっちゃん先生は第七十三世・武内宿禰でした。

武内宿禰とは、景行天皇(第12代天皇)の時代から天皇にお仕えする補佐官のナンバー1でした。


お祈りをしたり、日本国をどう守っていくか戦略を立てたり、もしくは外交を行ったりなど、戦略軍師であり、祈り屋であり、霊能力者でした。

このように様々なことを行っていたのが武内宿禰で、何代にもわたり、天皇に仕えています。

「公卿補任(くぎょうぶにん)(※注2)」という文献の中で、武内宿禰は在官244年、つまり244年仕えた、そして春秋295年、つまりは295歳まで生きたという記録が残っています。

これを見て、「武内宿禰はいなかったんだ」とおっしゃる方もいますが、私は「実在した」と思っています。

※注2:公卿補任
歴代朝廷の高官の名を列挙した職員録で、日本史の基本資料の1つ。


では、なぜ「実在しなかった」と言えるのでしょうか?

「実在しなかった」と言っている、古代史の研究家の方の中に「武内宿禰は、当時の天皇に仕えていた蘇我氏のことだ」と言っている方がいらっしゃいます。

これについては、実は武内家以降に現れた蘇我氏の中に、武内宿禰の役割を果たしていた人物がいたのです。


また、初代・武内宿禰は、300年近く生きたと言われています。

実は、これにはトリックがあって、聖徳太子の時代の頃まで、今で言うところの半年が1年でした。

つまり、実質半分の年となります。

ただ、半分になっても150年間で、これは一人では不可能です。

しかし、もう一つトリックがあって、実は武内宿禰のことを「1人・2人」と数えるのではなくて「1世・2世」という漢字を使う場合があります。

この漢字を使う場合は、実は一つの時代のことを表し、この時代の武内宿禰は複数人を合わせて「1世」ということになります。


つまり、初代・武内宿禰は間違いなく「複数人」いたでしょうし、その後も複数人の時代を1つにまとめて、「武内宿禰」という場合があったと思われます。

そうして、武内宿禰は天皇に仕え続けたのです。

記憶の継承


武内宿禰は、初代から二代目、三代目というように、名前を受け継ぎ、記憶を継承していきます。

この仕組みと同じなのは、天皇の仕組みです。

これを「日継ぎ」と言う、「日(ひ・霊)を継ぐ」儀式です。

そうやってずっと「日継ぎ」を行い、記憶を継承しながら、霊的に継承してきたことで、武内宿禰は神社で祀られる神様のようになりました。


そういった意味で、むっちゃん先生も半分冗談で「現人神(あらひとがみ)と呼べる人間はこの世に二人しかいない。それは天皇と自分だ」とおっしゃっていました。

大きな変わり目


武内宿禰が続く歴史の中で、1つの変わり目がありました。

それが、南北朝時代です。

後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、京都に朝廷が出来た後に、当時の武士ナンバーワンの足利尊氏と争いになります。

後醍醐天皇は南朝になり、足利尊氏は別の天皇を立てて北朝になりました。

この時、武内宿禰は後醍醐天皇側についたのです。


その後、足利尊氏が室町幕府の初代将軍となり、三代目将軍・足利義満の時に南北朝が統一されたと日本史の教科書には書いています。

しかし、実はその後も南朝は残ったのです。

一見、南北朝統一したかのように見えても、実は今もなお「南朝」は残っています。

残った南朝は秘密結社・組織グループとなり、「後南朝」と言われます。

つまり、人としても「後南朝」という組織も残っているということです。


ここで勘の良い方は分かると思いますが、天皇は二人いるということです。

ここからは非常に危険な領域になってくるので、これ以上は言えません

しかし、今もなお「後南朝」という組織が残っています。

むっちゃん先生と武内宿禰


この「後南朝」には中心的な人物が12人います。

これは「長老家」と言われていて、後醍醐天皇に仕えた家臣たちです。

その中で有名なのが楠木正成です。

今でも楠木家や菊池家といった方々が、実は「後南朝」という組織を守り続けています。


この「後南朝」に仕えていたのが武内宿禰で、歴史の表舞台からは姿を消しました。

ただ、江戸時代に竹内式部(たけうちしきぶ)という人物が現れます。


宝暦事件(※注3)で、日本史の教科書にも載っている、この人物が武内宿禰にあたります。

※注3:宝暦事件
江戸時代中期に尊王論者が弾圧された最初の事件


そして、竹内式部は「自分が亡くなってから数百年後、時代の代わりを目を迎える。その時に生まれる、武内宿禰が重要である」といった予言を残します。

その年が1966年でした。

そして、1966年生まれの、武内宿禰の血を引いているであろう人物を、後南朝は探しました。

そこで見つけられたのが、むっちゃん先生でした。


むっちゃん先生は10代の時、後南朝の人間に出会い、「武内宿禰をやらないか」と言われました。

当時のむっちゃん先生は「宗教団体か」と思われたそうです。

むっちゃん先生は「いや、僕はそんな人を救うような立派な人間ではないので、無理です」と答えます。


でも、その組織の人間は「人を救う必要ありません。武内宿禰として行わねばならないことは祈ることであり、それが最も重要なことです」と言いました。

むっちゃん先生は「そうですか。分かりました」と言って、武内宿禰を引き継ぐことを決め、武内宿禰としての儀式を継承していくことになります。

正統竹内文書とは


今回のテーマは正統竹内文書です。

ここで1つの結論を言います。

「正統竹内文書という文章はあるのか?」については、私が聞く限り、そんな本は存在しません。


では、どのようにして継承されたのものでしょうか?

先ほど、後南朝という組織があり、12の長老家があるとお話ししました。

そこには、それぞれにしか伝わってない秘密を伝えていく役割があり、その長老家全員から武内宿禰は教わります。

そうして、12の長老家に伝わっている秘密を集約したものが「正統竹内文書」なのです。

その中には、神道の秘儀や武術、もしくは歴史の話が残っていると伺っています。

むっちゃん先生のエピソード


ちなみに、口伝継承の中で、むっちゃん先生はおっしゃっていたことがあります。

口伝の内容によっては、「メモるな!」というのもあったそうです。

「メモしたらダメなのか?」ということで、その時に必死に覚えて、帰ってから「わー!」とメモしたこともあったと伺っています。


そして、「帝王日嗣(ていおうひつぎ)」という、正統竹内文書の中で歴史の部分が書かれたところがあります。

これは古事記以前の歴史をまとめたもので、帝王日嗣を参考にしながら、稗田阿礼(ひえだのあれい)が古事記や日本書紀を作ったと言われています。


また、神道の儀式に「盟神探湯(くかたち)」というものがあります。

これは、お湯に手を入れることによって、真偽を占うという儀式です。


この「盟神探湯」をむっちゃん先生もやったそうです。

熱湯に手を入れたら火傷しそうですが、正しいやり方をやれば大丈夫と伺っています。


ただ、むっちゃん先生・・・。

やり方を失敗し、大やけどしたそうです。

これは歴代の武内宿禰で初めてのことで、非常に「むっちゃん先生らしいな」と面白かったです。

武内宿禰が表に現れた理由


実は、竹内文書には「茨城竹内文書」と「正統竹内文書」の2つがあります。

「茨城竹内文書」については、茨城に「皇大神宮(こうだいじんぐう)」という神社があって、そこに竹内巨麿(たけのうちのきよまろ)という人物がいました。


そして、「私が武内宿禰である」と言って、色々と歴史を語っていたのです。

しかし、一部は正統竹内文書に似てるところがありながらも、全く違うところもありました。

なぜこのようなことが起こったのでしょうか?

それは、後南朝の人間が一部情報を漏らしてしまったからです。

そこから「茨城の竹内家」が現れたのです。


本来、武内宿禰や正統竹内文書、もしくは後南朝は絶対に表に出てきません。

なぜ、これらが表に出てきたのでしょうか?

これは本が売れて有名になった「茨城竹内文書」を改めるためだったと伺っています。

そして、「茨城竹内文書は正当ではない」と伝える役割は終わり、今後は武内宿禰が世の中に出ることがないとのことです。

雑古伝


正統竹内文書は、歴史や神道の秘密が伝わっています。

その中に、雑古伝(ざつこでん)と言って、いわゆる雑談ベースで伝えている、小ネタみたいなものもあります。

実際、「本当かどうかは知らないけれども」というお話です。


そのうちの一つが、「イエスキリストが日本に来た」というお話があります。

イエスキリストが日本に来たことは分からなくもないですが、そこから日本を越えて、ロシアの方に向かい、北極まで行き、アメリカ大陸まで行ったというお話もあるそうです。

それに関して「本当なのか?」といった話を、むっちゃん先生と一緒にしていました。

そういった、小ネタみたいなのもあるということです。

竹内文書の中の歴史で、「ウケヒとはこういう意味ですよ」「ヤマトタケルノミコトの神話の真相はこうですよ」といったことも伝わっていて、その中で、そういった小ネタも教わったという流れがあるということです。

日本ラブな人たちを増やしたいんだ!


最後に一つ言いたいことがあります。

むっちゃん先生は、代々木ゼミナールの人気ナンバーワン講師でした。


何が伝えたかったのでしょうか?

むっちゃん先生は「自分は、日本ラブな人たちを増やしたいんだ!」とおっしゃっていました。

それは武内宿禰としてのメッセージであり、役割の一つだったのではないのかと思います。

それが神社チャンネルにおける「あなたの心に火を灯す」という理念にも繋がっていますし、私のメイン活動である、ゆにわ塾の理念・精神にも繋がってくるというお話でした。

橋本ユリ
むっちゃん先生の本を読むと、日本が好きで誇りに思えるようになりますね。

むっちゃん先生の願いを、私も伝えていきたいです。


羽賀ヒカル
それは、神社チャンネルやゆにわ塾でお話する時に、折々に私も思うことです。

むっちゃん先生の願いを、これからも引き継いでいきたいと思っています。


今回は、正統竹内文書の歴史の真相などについてはお伝えしていません。

しかし、「竹内文書とはこういうことである」と、むっちゃん先生より直接「響き」として教わっている、私がお伝えすることに意味があるのではと思って、お話しさせて頂きました。

羽賀ヒカルでした。


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この記事をまとめた人

やまちゃん
やまちゃん
2人の娘を持つ父親。ゆにわ塾歴3年。ゆにわと出会って、娘との関係が激変しました。神社chの記事を読んでくださる方々が、羽賀さんやゆにわのみなさんの温かみを感じられるような素敵なサイトにしていけたらと思っています。

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