神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

日本のリアル呪術廻戦

2022年2月6日 2022年02月06日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

羽賀ヒカル
今回のテーマは「日本のリアル呪術廻戦」についてお伝えします。

ゲストは、神社チャンネルに約1年ぶりにご出演して頂く国際気能法研究所所長の秋山眞人先生です。

漫画「呪術廻戦」がヒットしたことによって、呪術という言葉をよく目にするようになりました。

呪術を怪しいと感じたり、いかがわしいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の伝統や文化の中には、様々な呪術が織り込まれています。




羽賀ヒカル
その代表が、神道・神社・天皇制です。

これらはまさに「呪術の表れの一つ」と言い換えることもできると思います。

私たちの生活に、この呪術というものがどのように関係しているのか?

「世の中で一流と言われるような方たちは、実はこの呪術というものをかなり活用している」というお話を伺うことができました。

非常に面白い対談となっています。


羽賀ヒカル
秋山先生は、中学生の頃からこの世界の第一線で活躍されておりました。

また、会社経営者や政治家、芸能関係、スポーツ界などの「一流」と言われるような方たちとの交流と、その人生経験や大学院まで進学し深めたその知見は、本当にいつお会いしても驚くべきものがあります。

今回も、その知識と経験の一端というものを感じて頂ける対談となっておりますので、是非とも最後までお読み頂きたいです。


日本人の定義とは?


羽賀ヒカル
お久しぶりでございます。

どうもよろしくお願い致します。

秋山先生との対談動画が大人気でして、10万再生を超えるなど、今もずっと再生されて続けています。



秋山眞人
嬉しいですね。

本当にありがとうございます。

日本の霊的シーンと言った見えない世界にそれだけたくさんの人が関心を持って頂いているのは、本当に嬉しい話ですね。

結局、日本的な霊性は、全てに関わっていると言った全ての社会性のベースにあるんですよ。


僕はよく繰り返し申し上げているんですけど、いまだに日本人の学術的な定義というのは、はっきり決まってないんですね。

だから、日本人が「日本の霊性や日本の精神性とは何か?」という場合に、これを海外の人に説明するのは大変難しいんですよ。

海外の人たちはそういう話を聞いたときに、まず「日本のエビデンスや枠組みは何ですか?」と聞かれると、逆に我々の方がモゴモゴしてしまうんですね。

だから当然、日本の精神性と言った場合により分からなくなってしまいます。


精神性と言うと見えないパワーを考える人から、手から出る念力的みたいなものだけを言う人もいるし、単純に体の中のマインドという考え方を持つ人もいる。

それも分かれていきますよね。

羽賀ヒカル
私の場合は、日本人の定義は一応「日本語を使う人」という定義をつけているんですね。

つまり、在日外国人の方でも日本語を使っていたら日本人のようだと思います。

日本語の中に日本的霊性というものがあって、「日本語が堪能な方は、日本人」と一応定義付けてますね。



秋山眞人
だから面白いですよね。

日本語のルーツ論というのがあるんですけど、タミール語やチベットの方、もしくはインドにルーツがあるんだなどと言われていますけどね。

やはり「今の日本語を使うのが今の日本人」という定義は分かりやすくて良いかも知れないですね。


確かに日本は、日本人の精神性に関して、神道では有名なブランド「言霊」という言葉がよく使われています。

これはもう「言葉」と「霊」という見えない世界を切り離して、最初から考えていないわけですよね。

これが言葉の中で一体化していることが日本人の証明の一つのエビデンスなんだというのは、非常に分かりやすいですね。

羽賀ヒカル
ついでに日本人の定義としてもう2つ挙げてみます。

1つは、お米を食べている人で、食事は精神性・霊性を作っていくものだからです。

もう1つは、やはり日本は天皇中心の国であるという意味で「天皇が好きな人」です。


別に毎日じゃなくても、
・日本人らしい食事をしている
・天皇が好き
・日本語を使う
この三つが日本人の三本柱なんじゃないのかなと思います。



秋山眞人
やはり、お米は重要で、元々僕は氣功の研究を昔長くやっていたんですね。

「氣」という字は、真ん中にお米という字を旧字では書きます。

これは上の氣の三本線で垂れる構造が、大地から雲が湧き上がる様子を表しているんですね。

それでお米が育つのです。

要するに、お天気が豊かで、雨がよく降って、お米が育つことを「氣」と言います。

元々そういう形で漢字が出来上がってるところを見ると、やっぱり米に根付いた文化は相当古くからあったんだろうなと思いますよね。

羽賀ヒカル
あとは天皇制ですよね。

そういう意味では、天皇制を無くした方が良いと思っている人は、外国人なんじゃないかと思っています。



秋山眞人
今回の岸田内閣の最大の苦労はおそらく天皇制をもう一度論議しなければならなくなることです。

今、皇族の恋愛や結婚に関して関心が集まり、色んな考えの方がいらっしゃいます。


僕は自分のYouTubeの中で「もう人間宣言もしていて普通の家族なので、普通の家族の恋愛に国民があれこれ言うことは、犬に食われて死んじまえと言っているようなものなんじゃないか」といった話をしています。

左派の人たちのいう人権問題からだと、自分の家族の結婚を自分で決められなかったりするわけで、そこに人権はあるのかという話ですからね。


国民が、天皇家から人権を奪おうとしていることは問題ですよ。

女性天皇も推古天皇を始めとして今までもいたわけだし、無粋な論議が先行してしまって、歴史を検証してないようには思うんですよね。

だけど、そういう論じられない人たちがいても良いと思うんですけどね。

「呪」の本当の意味


羽賀ヒカル
時代の流れにあったあり方と、伝統を模索していくことが大事ですね。

今回、神社チャンネルで秋山先生からお伺いしたいのは最新刊「日本の呪術大全」という本です。

本当に偶然なんですけど、今話題に上がったテーマである「日本語、食事、天皇」は全て呪術と凄く関係があるんじゃないかと思います。



秋山眞人
そうなんですよ。

だから、一番の問題は確かに言霊や漢字で、今の日本語の表記が実はイメージから出来上がっている形が多いんですよ。

先ほどの「氣」という字も自然の情景ですよね。

イメージで文字を作ることが、僕は日本人の特徴だと思うんだけど、その中で一番誤解されているのは、この呪術や呪力の「呪」という漢字なんですよ。


これは、元々の意味が神道の中に「神咒(かじり)」という言葉があるんですよね。

神に「咒(のろ)う」と書くんだけど、その神様の咒いが人間に降りかかるみたいな話じゃないんですよ。

神咒(かじり)は、神のために繰り返し神を感じて意識しながら祈ること、そして神との一体化を意識することなんですね。

これは、まさしく神道の古い言葉で「かむながらたまちはえませ」という有名な言葉がありますけど、神様と常に共にあるという感覚で、「呪」の一つの意味なんです。


もう一つは「呪」には、「口へん」が使われていて、繰り返し唱えたり意識するという行為そのものを表すわけですね。

これは例えば、密教・神道・修験道にしろ、多くの霊的なトレーニングや修行の場で一番のベースとなるものです。

つまり、楽しく良い感情で自然と一体になりながら繰り返したり、自然に接したり離れたりを常に繰り返していることです。

そのことで自然を忘れず、自然と共に生きてる人間を忘れないことが、「呪」という言葉の中にあるんです。


そこに、哲学としてイメージに込められているわけですよ。

だから、一般には人に害をなす呪いとは少し違うのかなと思います。


あと例えば、似ている言葉で「恨む」という字があります。

「りっしんべん」という部首は「心」という文字で、心に関わる漢字と読めるわけです。

「恨」の艮というのは、元々易で言う山を表していて、長く持ち続けるという意味なんですね。

だから「恨」とは、ある心を長く持ち続けるということなんです。

逆に、「大切に持ち続けるためには恨むことだよね」みたいなことになっちゃうんですけど、元々は山のようにずっと一つのことを思い続けると、念じることに通じるかも知れませんね。


それと似たようなイマージュが、「呪」という形の中に込められています。

だから、「呪」は人間の基本的な能力開発、学習訓練、習って学ぶことや、古代的宗教の中での修行も「修めて行じること」、そういったことと本当に密接に絡んでいます。

特に日本は、様々な渡来人も来ていますから、色んな宗教の形態がクロスオーバーしているんですね。

こんなに「呪術」が豊かな国はないんですよ。

ここに来て日本で「呪術廻戦」が流行っていることは、きっと土壌があるからだと思うんです。


海外からすると、どれもいい加減に宗教を吸収しているように見えるんですけど、「まずそういう心のトレーニングを自由に楽しむ、逆に宗教のドグマで限定しないこと」がこの国にはあります。

そして、「ある特定の自然と接する空間で、何か一つのイメージを繰り返しゆっくり育てて神に接続させることが日本的修行の根幹で、それを一言で表せば「呪」ということだ」と私は解釈してるんですけどね。

日本と海外における呪術の違い


羽賀ヒカル
その呪術の「呪」ですよね。

秋山さんがおっしゃっていたみたいに、言葉とや想い、恨むといった「想念の力」が現実を動かしていくことだと私は捉えています。

これは「日本の呪術大全」というテーマになっていますね。

古代エジプト、ヨーロッパ、中国、さらにマヤ文明やアステカ文明でも呪術はあったと思います。

日本と海外の呪術の違いについて、どのようにお考えですか。



秋山眞人
海外の場合、それぞれ時代で呪術は変転してきていますし、もともとルネッサンス期以前には、呪術と科学の区別がなかった時代があるんですね。

だから、カリオストロなど「壺の中にカエル三匹と水銀を入れると、こんな媚薬(びやく)が出来ました」といった少し乱暴な話があったり、「これは科学なのか?それとも呪術なのか?」といった区別があまりなかった時代があるんですよ。

最先端の科学誌の研究でも、「科学と呪術というのは未だに実は離婚して決別していないんだ。根っ子で繋がったままなんだ」ということがほぼ定説化しています。


また今度は、量子力学が精神世界を説明するのに使われる機会が非常に多くなってきました。

それ以前は、波動などがすごく流行ったり、ユリゲラーブームの時は念力が流行ることもあったのです。

言葉を交えながら、精神世界が科学に寄り添ってきています。

特に西洋圏では「科学に寄り添う呪術感」が特徴かもしれないですね。


だから、その分「エセ科学」ようなものもあり、「この健康食品が効きます!」といったことが言われて、「え?そうなの??」みたいな状態になるわけです。

例えば、「これは髪の成分だ」というものを食べていても、「髪の毛をたくさん食べたら、髪の毛が生えて来るか?」と言ったら、そんなことはありません。

やはり自然界は、もう少し複雑なメカニズムを持っているんですね。


日本の呪術の良いところは、特にキリスト教的なものと少し違って、積極的に何かを見せる呪術がありますね。

例えば、「インターネットの中で語って論争すること」も一つの呪術なんですよ。

それで、どっちが正しいというイメージの取り合いをする。

でも絶対に正しいなんてことはないわけで、「A」という正しさがあれば「-A」という正しさがあって、これを凌駕しないとアウフヘーベン(※注1)出来ないのです。

※注1:アウフヘーベン
対立する二者をどちらも否定せずにかけ合わせて統合し、一つの解として昇華させる過程

だから、正しさを追求すると世の中は大混乱してしまいます。

しかし、日本人の正しさは「一線で止める」という方が強調されているんですよ。


一線とは、逆に悪口を言わない「言わない愛情の力強さ」なんです。

海外の愛情は、言わないと愛情ではないから、結局、論戦も含めて愛情だと思ってしまい、凄く傷つけあって戦争になってしまいます。

日本人の正しさは、本当に一線で言わずに「言上げせず」ということで愛情を示しています。

だから「言わなくても分かれよ」という話になってしまうので、面白いですよね。

呪術のオリジナリティとして「言霊にぎわう国なんだけど、言上げしない」ことが、この国にはあります。

「日本の呪術大全」の本の中でも触れていますけど、縄文土器には、グニャグニャな模様をたくさん書かかれていて、呪術性があるんですね。


それに芸術で感化されたのが岡本太郎で、「これを見たらわかるだろう」という世界なんですね。

だから、「何か自然を観察したら分かるだろう。聖地に行ってそこに身を置いたら分かるだろう。」という価値観が優先されるんです。

でも、それはかなり高度な呪術性を持っていると僕は思います。

それを少し翻訳したのが、今回の本書なんです。

日本人の「わかる」とは?


羽賀ヒカル
これは、私よく神社チャンネルやセミナーなどで言ったりすることなんですけど、例えば祝詞は、呪いの言葉みたいなイメージがあります。

私は祝詞について、あまり意味は分からなくて良いと思っているんですよね。

意味が解説してある本や、解説されている神道の研究家の先生方もいらっしゃるんですけど、解説すると頭の理解で留まってしまって、どうしても一通りの解釈になってしまいます。

本当は、言霊には細胞や天地自然に働きかける言霊の役割が何十・何百通りも含まれていて、「マントラや祝詞には、あまり意味が分からず唱えている方が良いんですよ」といったことを言っているんですね。



秋山眞人
そこはかなり重要なところですね。

ここも、西洋的なエビデンスの立て方と、日本的な「分かる」という意味が少し違っているんですよ。


もともと西洋流のエビデンスは「分ける」なんです。

「わかる」は「分ける」になってしまっているから、解くことは分けることなんですよね。

だから、「科」という字が科学の科だけど、科というのは分けることになります。

でも、分けてしまって分からなくなることもたくさん起きてしまうんですよ。


ただ、自然界はカオスの状態で、たくさんのことを人間に悟らせるんですね。

そこにあるがままで、言葉で分けないで分かる科学が、僕はあると思うんです。

それが、なかなか西洋の方には届かないし、我々自身も西洋化してしまって、よく分からなくなっているんですけれど、どんな科学者も神社に行く人は行きますよね。

神社に行って気持ちが良いからであったり、お寺に行く人は行くわけですよ。

これが何なのかということは、あえてみんな説明もせず、文化に吸収したままになっているんです。

「何か素敵なカオスを味わう力」といった意味での「カオスが分かる」「自然が分かる」こと、この覚醒としての「わかる」が、日本人の「わかる」なんじゃないですかね。

羽賀ヒカル
病気はその典型と思いますね。

例えば、「あなたはこの病気です」と分けたところで解決するのかというと、むしろそれは悪化しているのではないかという現象がありますね。



秋山眞人
だから、西洋の方も、昔の学者や科学者を詳しく見てみると、確かに西洋的な哲学というのは分けているんですよ。

哲学だと言葉で分ける、そして分けて何がわかったのかが重要なんですよ。


きちんとした本流の哲学や科学の考え方は、例えば、大学院までいくと、まずは論文を書きなさいと言われます。

論文のしきたりは、「君がやりたいテーマの先行研究を調べて、こういう偉い人たちがこういう研究を今までやりました。でも、ここが出来ていません。だからこれを私はやるんです」と、その順番で次のテーマが出てくるんですね。


最後に、「それで色々と分けてみました。素材を揃えて分けてみましたけど、結果何がわかりましたか?」までやらないと、修士論文は提出出来ないんですよね。

だから、やはり西洋でも学問を追求していけば、何を分けてわかったのかまで突き詰めていきます。


例えば、ガスという学者は、本当に「空気の中の微弱成分を分ければ、神が見えてくる」と思ったんですよ。

それで、「分ける」と「分析」を徹底的にやったんだそうです。

でも、最後まで彼は、神の実在がよく分かりませんでした。

しかし、血液分析方法を発見する基礎を作られて、気体を研究する「ガスの学問」を作ったんですよ。

分けることも、何かが分かれば大きいですよね。


それで、量子力学は分けていったら、とうとう「量子」という分けられないものにぶつかってしまったんです。

量子の世界は、宗教が言ってきたような「初めと終わりが分からなくなってしまった」「死んでいるのか生きているのか分からない幽霊のような猫が存在してしまうかもしれない」「時間がバラバラで、宇宙がたくさんある」など、とんでもなく宗教曼荼羅の世界にそっくりな、量子という一番小さい基礎粒子の構造を露呈してしまったんです。


「すごい!決別して離婚した科学と宗教が、また結婚しそうだ」みたいな面白い話になってきましたね。

例えば、日本の天皇制も伝統としてあるけれども、「この制度をどうしていくのか?」といった、みんなが忘れている問題が再度突きつけられていますよね。

女性で良いのか悪いのかは、単純な問題ですよ。

あと皇室の方が、皇室外の方と結婚するのにどうしたらいいのかといった話もあります。

僕は、様々な理由があって皇居の中に出入りすることもあるんですけど、やはり関係者の方同士でも見解は分かれるし、宮家同士でも見解が違うんですね。

だから、私たちはもう一度、しばらく考えていなかった、見えないものに裏打ちされた皇位・皇室について、考えざるを得なくなってきたかもしれませんね。

羽賀ヒカル
まさに、皇室は、呪術と密接に関わってきているということですよね。



秋山眞人
また、皇室は女性が行う呪術の方が多いんですよ。

これが今も続いているかどうかなんですね。

ここではあまり大きなことは言えないんですけれど、実は、大変な混乱が何年も前からあるんですね。

この問題はやはり、女系天皇を論じる前に、もっと論じてもらいたいと思いますね。

さまざまな世界で使われている呪術


羽賀ヒカル
今回の「日本の呪術大全」なんですけど、秋山先生は、皇室以外でも政治家や一流の経営者などとご縁があるとは思います。

実際にそういった世界で呪術が使われていることもあるんですか?



秋山眞人
その経営者たちは、呪術という意識は持っていないかもしれません。

ただ、やはりブランドの能力者は、社長室からババっと出てきたり、「この会社は、あなたが後ろでやってたんですね」みたいなことが、僕たちプロ同士でもあるんですよ。


それと、ブランドのロゴマークには、非常に呪術のルールが使われていることも多いです。

人間が、非常に注目するロゴマークは、小さく何かが書き込まれていると気になるんですね。

あと単純に、赤い色や左右対称なものが気になるんです。

だから例えば、横文字のスペルでもOPOやCVCなど、そういう部分があるロゴがありますよね。

あれは凄く気になるんですよ。

それはなぜかと言えば、人の顔に近いからなんです。

二つの同じものがあって、真ん中に異なるものがあるといった構造で、スペルやエンブレムの中に入れたりします。

エンブレムはほとんど人の顔の様な形をしているんですが、あれは非常に呪術的で、そういう形を見ただけでも私たちは瞳孔が開いてしまうんですね。

だから、その中に何か書き込まれているものがあるとすると、それを深く観察して無意識に吸収してしまうんです。

その結果、相手にエンブレムやロゴマークでもって、何かこちら側のアピールを深く入れてしまうことが出来るかもしれません。


更に「サブリミナル」と俗に言われる、見えない文字なんかこう書き込んだりすることもあるそうです。

これも効果があるかないかの議論がありますが、例えばアメリカは公式で「そんなものは効果がない」と言っているんですよ。

でも、ベトナム戦争のフィルムコマーシャルの中に、実はサブリミナルがいっぱい書き込まれているんですよ。

それはもう呪術としてハッキリと分かっていて、やはりどこかで知っているなと思いますね。

羽賀ヒカル
話が色々と展開してしまいましたが、実際に秋山先生は「呪術をかけられている」と思うことはありますか?



秋山眞人
実は、そういうときもありますね。

僕は、歯に衣を着せずに言うことがあるので、特定に「嫌われる。呪われる」といった恨みは受けやすい方なんですけど、意外とのんびりしているところもあります。

しかし、例えば本を出版すると書店にだいたい並んだかなと思ったから一週間ほどは、読んでいる人が行を心の中で言葉にしてる声が聞こえてきたりするんですよ。

読経のように聞こえたりすることもあります。


あとやはり、こういうYouTubeなどの映像や、特に民放系の論争番組などで多いんですけど、比較的視聴率の高い番組に出た時には、かなり調子が悪くなるときもあります。

「良いイメージではなかったんだな」という話なんですよね。

だから、やはり集団の想いや印象操作というものは、デカイなと感じています。

一つの強い圧を持つことは、人を殺すところまで繋がるんです。

みんなは考えていないと思いますが、それでも一つの圧が出来るという実感は持っていますね。


逆に、そういうことを全然信じてない頃から、やはりあったんですよ。

昔、僕は学生時代に、四国のある所に住んでいるスゴイ能力者と名乗る人と会ったんです。

そういうオカルトの人たちの集まりが、70年代~80年代にかけて流行ったんですよね。

某出版会社がオカルト大会を主催して、会合が行われることもありました。

そういう所に、僕は子供ながらに行かざるを得なくなって、人に誘われて行くことになりました。

そこに灰汁強い霊能者みたいな人がいて、僕もついつい未熟者だから「おじちゃん、何が出来るの?」と、絡んでしまったんですよね。

すると、その人から恨まれて、急に胃が痛くなることがあったんです。


その後も面白いんですよ。

ある人物が念じたと言うことです。

実際に、それから半年後ほど経って、僕の家に手紙が来ました。

そこには「秋山くんと呪術を向かい合わせるのはコリゴリだ」と書いてあったんです。

自分の後ろにいる守護霊か何かが動いたんでしょうね。

こちらは何も仕掛けていないけれど、それが無意識下で行われる怖さを、その時なんとなく感じた覚えがあります。

だから、やはり人を恨んでもいけないし、恨まれてもいけないなと思いました。


それとおそらく、その恨みが残念ながら力を持ってしまって、「人を呪わば穴二つ」(※注2)で、やっぱりその人自身も傷つけるということもあります。

※注2:人を呪わば穴二つ
他人を陥れようとしたり、その人の身に不幸が訪れるように願ったりするなど、他人に害を与えれば自分にも同じ報いが訪れる

結局、人間はそういうカルマから抜け出せなくて、これ自体が大きな修行の体系かなとも思ったりもしますね。

最高の呪術とは?


羽賀ヒカル
最後の質問です。

そうやって「無意識のうちに、呪術の掛け合いを人間はやっている」とのことなんですが、オススメの呪術はありますか?



秋山眞人
最高の呪術が日本には伝わっています。

それは「祭り返し」と「褒め殺し」です。


お祭りでパーッと騒ぐと呪術を消してしまうし、下手したら相手も呼んで恨みの根源から取ってしまいます。

だから、お祭りは、人の歓喜を引き出す最大のエンターテイメントの呪術が詰まっているものなんですね。

いわゆる「テキ屋」さん・神主さん・神様だって一同に集まるので、ハッキリ言って、それは究極の無礼講ですよね。

こういう狭い島国で長い間、階級社会で生きてきた僕たちが、祭りで一つ狐面を被ればみんな狐だと「踊れや!歌えや!」となるので、これ楽しいですよね。


あとは、褒め殺しですね。

「キレイな方ですね」と言うことによって、恨まれないようにします。

日本人の呪術は「せめて恨まれないようにする。失敗してそこに籠もった怨念を暴れないようにすること」

それが祀るということなんですが、その2つは、非常に日本の呪術の個性だと思いますね。

羽賀ヒカル
そういう意味では、今コロナで祭りをやらないことがあったり、もしくは、みんな喧嘩していることは、非常に反していますよね。



秋山眞人
それは反しているし、僕はコロナが流行ること自体が、その手前に非常に呪術的な問題があると見ているんですね。

例えば、天理教を推進した中山みきさんにしろ、昔からよく「人を責めると風邪を引く」って言っているんですよ。

これはだいたい霊能者の共通見解で、責める感情を使うと、肺や喉まわりが悪くなるんです。


コロナは長い間、たくさんの人たちが、インターネットの中でハンドルネームを良いことに、みんなで責め合いをした背景があります。

僕は、2016~2017年くらいから、「このツケはいつかパンデミックで出るんじゃないか?」と言っていたんですよ。

それがもう限界点に達して、テラスハウスでみんなに攻撃されて、自殺してしまうなどの不幸な事件もありました。

あれは、誰が悪いのかは難しいけれども、みんなの集合的無意識に溜まったもののツケが現れたんですね。

逆にこういう出来事があると、自分が携わっていたとしても、正義を求める心は皆強くなるんですよ。

そうすると、それが勝手に別のところで具現化することがあって、それが流行病なのかなと思います。


日本が西洋化した時に、様々な葛藤が日本人の中に起きて、その頃に風邪や赤痢などが流行ることが起きているんですよね。

だから、やはり似たようなことが起きてしまったのではないかと少し危惧はしています。

しかし、そこに結びついて反省する人もたくさん出てきている様に思います。

これがやはりもう一回、「人の絆は本当に有り難いし、嬉しい」というところに、戻っていければいいなと思いますけどね。

羽賀ヒカル
今こそ祭りをしよう。

褒め殺しをしよう。

そして、絆を結んで行こうということですね!



秋山眞人
その通りなんですよ。

ただ、逆に言えばこういう時代なので、「どういう風に祭りをやったら良いか?」「どういう風にお互いに褒める言葉で高めあったら良いか?」と出てくると思いますが、コンサートなども応援に行ったら良いと思います。


そして、それをどういう風にしてあげたら良いのか?

やはり、ここはテクノロジーの日本で、方法論だと思うんですよね。

だから、新しい祭りがこの機会に出来てくるのではないかと思いますよ。

羽賀ヒカル
なるほど、新しい祭りですね!

確かに、私たちも新しい祭りというのは自分たちなりに考えてやっていってるんですが、本当に必要なことだと思います。

今回も、非常に神社チャンネルにあった素晴らしいお話でした。

秋山先生、どうもありがとうございました。



秋山眞人
ありがとうございました。


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この記事をまとめた人

やまちゃん
やまちゃん
2人の娘を持つ父親。ゆにわ塾歴3年。ゆにわと出会って、娘との関係が激変しました。神社chの記事を読んでくださる方々が、羽賀さんやゆにわのみなさんの温かみを感じられるような素敵なサイトにしていけたらと思っています。

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