神と仏が相和して1200年の聖地~丹生都比売神神社 宮司・丹生晃市さん1
あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。
今回は和歌山県の旧官幣大社で、なんと世界遺産にも登録されている「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」に参拝しています。
そして、丹生宮司にお越し頂きまして、インタビューを行なっています。
こちらの神社は、弘法大師・空海さんゆかりの地です。
空海さんの歴史を語らずして、神道の歴史がないのではないかと思っているので、その辺りを今回お伝えしていきたいと思います。
丹生都比売神社と高野山の歴史
【羽賀ヒカル】
今回は丹生都比売神社の丹生宮司をお招きして、「空海と丹生都比売神社」というテーマでお届けしていきます。
どうも、よろしくお願いします。
【丹生宮司】
よろしくお願い致します。
【羽賀ヒカル】
こちらの丹生都比売神社の後ろに社殿があるんですが、どういう神社かお伺いできますか?
【丹生宮司】
まず、この神社自体は1700年以上前の第15代・応神天皇に建てていただきました。
その時に、紀伊山地・北西部一帯の土地をこの神社に寄進して下さっているんですね。
ですから、この神社は古代、和歌山県の北側の山を神領地としてきました。
空海さんは今から1200年前、高野山を開山をする訳ですけども、簡単に言うと、この神社から高野山の土地を授かって高野山を建てたんですね。
その辺りの話は「高野山の縁起」と言って、高野山がどうしてできたか、という話があるんですが、その中でちょっと不思議な話もあります。
空海さんが唐の国に行って、真言密教を何万人もお弟子さんがいる恵果阿闍梨(けいかあじゃり)さんから、日本から来た空海さんが全て授かって持って帰って来たんです。
それで唐から日本に帰ってくる時に、「その新しい仏教をどこで開こうか?」「修行の道場をどこにしようか?」と言って、船から密教の法具の三鈷杵(さんこしょ)を投げたそうなんですよね。
そして三鈷杵が、なんと高野山の松の木に引っかかったという話なんですね。
それを見つけて下さったのが、この神社の第二殿の高野御子大神(たかのみこおおかみ)さんでした。
空海さんがこちらに来られると、そこに狩人の格好をした高野御子大神さんが現われて、「その場所を知っている」とのことで、連れていた白い犬と黒い犬がお大師(空海)さんを導いたという話です。
だから、うちのお使いは犬なんですよ。
歴史に出てくる紀州犬(きしゅうけん)で、1番最初なんじゃないかなという話です。
お大師さんは「あ、ここなんだ」と丹生都比売神社の神様から高野山の土地を授かるという話が高野山の縁起になります。
第一殿の丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)さんは、天照大御神さんの妹神様だと言われています。
実際、そういう話があって、弘法大師さんは高野山を開山するんですが、一番最初にしたことはまず神様を祀ることなんですよ。
【羽賀ヒカル】
神道であったということですね。
【丹生宮司】
そうです。
お大師さんは日本人で、やっぱり神様を大事にしていました。
神様の上にお寺を建てるから、まず神様を祀ろうとしたのです。
その神社がそのまま残っている訳ではないんですけど、何回か火事があったり色々あって、今から400年ぐらい前に立て直されたものが、今の高野山の御社(みやしろ)になります。
これは大伽藍(だいがらん)の西側の奥に立っています。
それ以来、高野山のお坊さんはこの神社を一生懸命拝んできました。
皆さん、ご承知のように神仏習合の時代が1500年前から始まって、1200年前から丹生都比売神社と高野山の付き合いが始まりました。
なので、ずっと深い関係があって、それが世界遺産になっています。
「日本人の信仰の源泉」「神道と仏教の融合した文化的景観」といったテーマなんですね。
言ってみれば、そういった深い関係がこの地にはあります。
神仏習合における高野山と丹生都比売神社の関係
【羽賀ヒカル】
空海さんといえば高野山のお寺ですが、丹生都比売神社も空海さんの時代から神仏習合の神社だったんですか?
【丹生宮司】
そうなんですね。
ですから、まず1700年前から神社があって、この地域の人が一生懸命、神様を拝んでいました。
ここは天野(あまの)という土地なんですけれども、人が住んではいけない、いわゆる聖地でした。
神主も紀ノ川の下流から標高450メートルのこの場所まで、約2里(7キロメートル)の道を毎日歩いて通っていたんですね。
そういう形で天野という場所がここにあって、その向こうに高野山があるんですね。
【羽賀ヒカル】
空海さんの時代までは、高野山も神様がいらっしゃる、人が足を踏み入れてはいけない場所だったということですね。
【丹生宮司】
そうですね。
最初は当然、ここの天野は人が住んではいけない場所ですから、それより高野山はさらに高いところにありますからね。
それで神様から授かって高野山を建てる形になっていきます。
【羽賀ヒカル】
丹生都比売神社にもお坊さんはいましたか?
【丹生宮司】
結局、高野山が開山されて、この天野にも人が住むようになっていきました。
高野山自体の記録によると、空海さんが今の高野山を作るまでにやっぱり、しばらくかかったんですよね。
空海がさんが亡くなった後、今の高野山の形が全てできるのですが、その後、今から大体1000年ほど前に丹生都比売神社と高野山の関係が完成したんじゃないかな。
その時には、天野は神主さんとお坊さんと両方住んでいて、常に56人体制で守られてきました。
【羽賀ヒカル】
「56」という数字も決まっているんですね。
【丹生宮司】
数字は決まっているんですよ。
神主が19人で、これが全て世襲なんですよ。
この神社の周りに屋敷が19件建っていて、ずっと代々世襲で神主は続いていきます。
宮司の家はずっと宮司で、1祝(はふり)・2祝・3祝・4祝、15神人と続いていくのです。
高野山はご存知だと思うんですが、明治時代までは女人禁制でした。
ここもやはり、高野山のお坊さんたちが天野に一緒に住んでいましたから、奥さんをもらいません。
お坊さんは大体20人ほどいました。
それ以外には、神子(かんこ)という巫女さんをやる人や、神楽男(かぐらお)という神楽をやる人たちがいて、常に56人体制でずっと守られてきたんですね。
お坊さんたちはまとまって住んでいました。
1方は行人方(ぎょうにんがた)と言って、行を主体にする人たちは長床(ながとこ)という所に住み、もう片方は学寮(がくりょう)と言って、学問をするお坊さんたちは大庵室(おおあぜち)という所にみんなで住んでいる形ですよね。
そうやって、ここは神仏習合の形でずっと明治維新まで続いていきました。
その形が変わらず、明治維新まで続いていく所は非常に少ないです。
江戸時代には寺請制度(てらうけせいど)があり、仏教の力の方が強くなっていくと、神主の力が衰退してきたのもあります。
だから、社家(しゃけ)も残念ながら衰退してく中で、ここではその体制が変わらないところもまた、世界遺産たる所以です。
神道と仏教の融合した文化、神主さんとお坊さん、神道と仏教が共存してずっと続いてきたことがあるのかなと思っています。
紀伊山地が一体となった世界遺産
【羽賀ヒカル】
先ほどキーワードとして「世界遺産」という言葉が出てきましたけど、丹生都比売神社は世界遺産に当たります。
【丹生宮司】
そうなんですね。
「紀伊山地の霊場と参詣道」という名前で世界遺産に登録をされています。
【羽賀ヒカル】
熊野古道ではないのですか?
【丹生宮司】
その中の一部なんですね。
世界遺産になる時に、実は「吉野と熊野と高野が一緒になって、1つの世界遺産にしましょう」としたのです。
元々、活動は別々に行なっていたんですが、僕は結果オーライだったと思います。
これは「日本人の信仰の源泉が紀伊山地の中にある」ということで、非常に良い括り方ですね。
要するに、京都や奈良は都がある訳ですから、当然そこに日本文化の良いもの、その時代の最高のものが集まるので、世界遺産になるに決まっているんです。
でも、紀伊山地は山の中側に日本人の信仰の源泉があるので、これがやっぱり3地域が1つの世界遺産になって良かったと思います。
熊野の話からすれば、熊野は非常に分かりやすいです。
私がいつも申し上げるのは、那智の滝に行っていただきたいです。
そうすると、日本の自然の神々がそこにおられて、「水」というのが分かります。
また、その隣には熊野那智大社という神社と青岸渡寺(せいがんとじ)というお寺が並んでいます。
すると、1枚の写真で自然の神々、神社とお寺1枚で全部入っちゃいます。
これが神と仏が共存しているという日本人の信仰なんです。
熊野は三山あって、熊野本宮大社は熊野の神を祀る中心の場所であり、熊野速玉大社は神倉山(かみくらやま)があって、そこに神様が降臨して、それに対する新宮という意味があり、それぞれ3つとも同じように価値はあります。
それに対して、高野山はどういう所なのか?
単にお寺があってそれでおしまいではなく、私はこの丹生都比売神社の宮司ですから、強く言いたいのはやっぱり、この世界遺産は神道と仏教の融合した文化的景観なんですね。
だから、神社がまずあって、その神の山に空海さんは「お寺を建てるんだ」「神様に守ってもらって自分の仏教を広めていくんだ」という考え方がずっと続いているという意味では、明治維新までの神仏習合の時代は日本中にそういった関係はどこにでもあったんです。
比叡山と日吉大社は1番良い例ですよね。
もちろん、春日大社と興福寺も1つです。
でも、その関係がずっと変わらず続いているという意味で、高野山と私どもの丹生都比売神社は価値があると言われているそうです。
明治政府が出した神仏分離令の影響
【丹生宮司】
先ほど申し上げたように、明治維新の時までは、ずっと仲良く一緒になって共存していましたが、明治政府が「神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)」という神社とお寺を分けなさいという命令を出しました。
こういう言い方をしたら、失礼かもしれないのですが、神社とお寺で上手くいっていない所もありました。
お寺さんには申し訳ないのですが、お寺さんが威張っていて、神社が小さくなっていたら、「良かった。これで神社とお寺の地位が一緒だ」となり、日本という国が国家元首を明治天皇にして、天皇や神社の権威が高まってきますから、結果として廃仏毀釈が起きていきました。
丹生都比売神社は周りのお堂自体が多宝塔から御影堂まで10数件あったのですが、粛々と国の命令に従いました。
要するに、比叡山と日吉大社、高野山と丹生都比売神社は国からの重点政策地域でした。
だから、神仏分離についても徹底的にやるという話なので、国が言うから「じゃあ、しょうがないから壊そう」とパッと壊しました。
でも、中にあった仏像は地元の人がちゃんと高野山の上まで運びました。
大変ですよね。
丹生都比売神社から高野山まで歩いて6時間ぐらいかかりますよ。
それを大門まで持って運んでいったんですよ。
他の廃仏している神社は仏像を壊しちゃったでしょ。
でも、大事なものだからと高野山まで仏像をちゃんと運んでいきました。
それで、神主さんが丹生都比売神社に残る訳ですけど、お坊さんたちは粛々と高野山に戻っていったんです。
だから、廃仏毀釈はここでは当てはまりません。
お堂は壊したけど、それは国が言ったから壊しただけで、しょうがないからみんな破却して燃やした時に、青い炎が出て「いや恐ろしいね」と言う話が残っているぐらいです。
その後、私ども丹生都比売神社は、国の管轄の神社の1番上のランクづけになる、官幣大社(かんぺいたいしゃ)になっていきました。
そういう意味では、私どもから高野山とお付き合いすることはできなかったんです。
でも、高野山の側には空海さんが建てた神社があるんですね。
その400年前に建て直した高野山の神社は、日本で2番目に大きな春日造(かすがづくり)なんですよ。
それだけ大きなものをちゃんと残していて、大修理をしたり、その神社の祭りを20年に1回きちんと行なっています。
150年前の明治維新以前は、私どもの丹生都比売神社の惣神主(そうかんぬし)が高野山まで行って、そこの神社のお祭りをしていたんですね。
そういう大事な祭りはお坊さんと一緒にやっていました。
でも、官幣大社ですので、明治政府との関係があるから、行っちゃいけないってなりました。
そうしたら、高野山は20年毎にお坊さんだけでちゃんとやっていたんですね。
それで丹生都比売神社の大祭が10月16日ですから、その時はお坊さんたちが神輿まで出すんですよ。
お寺の女子職員の人たちは、緋袴(ひのはかま)を履いてお接待をします。
ここはお寺か神社かという話ですね。
それで毎月16日は月次祭(つきなみさい)で、その時もちゃんと神様をお坊さんたちが拝んでいました。
一方、非常にお恥ずかしい話なんですが、この丹生都比売神社は戦後、大変に疲弊してしまいまして、神主がいないような時がありました。
ようやく年に1回の10月の大祭だけはやっていたんですけど、月次祭がずっとできませんでした。
月次祭ができるようになったのは10数年前からなんですよ。
神様に対して恥ずかしい話です。
よっぽど高野山の上の御社(みやしろ)の方がちゃんとお祭りをしていました。
そんなことになったこと自体がやっぱり、私は何なんだろうと思いました。
まず、明治維新の神仏判然令で、明治政府が「神社の境内にお寺があっちゃいけないよ」「お寺の境内に神社があっちゃいけないよ」という話なんですね。
高野山は何しろ大伽藍(だいがらん)という1番メインの場所に、どーんと日本で2番目に大きな春日造の神社がありました。
当然、「国から壊せ」という命令が来ます。
でも、高野山は壊さなかったのです。
その時、「これは神社じゃない」と言ったんですよ。
また、高野山に行っていただいたら分かりますけど、どう考えても日本で2番目に大きな春日造で祀っているのは丹生都比売神社の神様です。
でも、高野山がその時にどのように言って壊さなかったのかというと、「この神社に祀っているのは丹生都比売大神さんではありません。大日如来ですよ」と言ったのです。
要するに、本地垂迹(ほんちすいじゃく)、神仏習合の裏表の関係で丹生都比売大神様の反対側が大日如来だから、「これは大日堂なんです」と言って壊さなかったんです。
だから、これはお互いの関係性の深さだと思うんですね。
空海さんは神様の山にお寺を建てて、ずっと神様を大事にすると言ったという話が山のようにあります。
お坊さんたちは、大事な行事の時に丹生都比売神社にお参りに来ます。
それから「竪精(りっせい)の儀」という、神様の前で密教の勉強をちゃんとしているのかをお知らせをして、見ていただく行事があります。
そして、1年間、神様をお招きして、そういう修行をした人が高野山のトップに上がっていくというシステムになっています。
私どもはイスラエル大使やイギリス大使など、コロナ禍の前に視察においでになっていた時に、こういった日本人の信仰の話をしていました。
でも、「世界遺産」という観点から言うと、ユネスコの「神道と仏教の融合した文化的景観」の評価は「ユニーク」だとしています。
一神教とは違うんだと。
ただ、変わっていると世界に思われていることは間違いないんですが、これは「日本人としてどう思われますか?」という話なんですね。
丹生宮司から見た、弘法大師・空海のスゴさとは?
【羽賀ヒカル】
そんな神仏習合がこの土地で始まるきっかけとなったのは空海さんなんですけれども、丹生宮司から見て、空海さんとはどういったお方なんでしょうか?
【丹生宮司】
誰もが認めるのは日本を代表するお坊さんというと、弘法大師・空海さんだと思います。
諸国を回って、「弘法の松」とか「弘法の井戸」とか色んなものもあります。
じゃあ、なんでこんなに親しめるかというと、僕は空海さんのおっしゃっていることが非常に日本人に合っていることだと思うんですよ。
【羽賀ヒカル】
それはどういう意味ですか?
【丹生宮司】
フィットしているところです。
我々日本人は自然を非常に大事にして、自然の中に神々を見ています。
要するに、まず1番大事なのは太陽の女神を伊勢神宮に祀っていることです。
水とか色んな自然を神様としていますね。
自然に対しての畏れとかもある訳ですけど、自然は人間と対立するものではないという発想で、人間も自然の一部であって、生き物の1つで平等である。
そこら辺の草木と命としての平等性を日本人は考えてきた訳ですよね。
それが神道なんです。
僕が空海さんをすごいなと思うのは、「山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言うんですね。
これは仏教の世界の中で「山や川や草木、全て仏になれる」という命の平等性を説いているんですよ。
国土という命もないんじゃないの?というものでも、日本人の概念からすると山や川は草木と一緒で、やっぱり1つの命を育む場所みたいな感覚はあると思いますね。
だから、神道のものの考え方を僕は拡張しているのだと思います。
【羽賀ヒカル】
なるほど!
【丹生宮司】
それでもっとすごいのは「即身成仏」という話があります。
「成仏はどうしたらできるの?」という話なんですが、元々の仏教で言えば、何万回も生まれ変わって、ようやく悟りを開きます。
それで六道輪廻(ろくどうりんね)の世界を言ったり来たりして、一度地獄に落ちちゃったら大変なことになりますよね。
それで上に上がっていっても「菩薩」があって、その上の「如来」まで行くのは大変です。
そういう中で成仏するのが非常に大変なのに、空海さんは「成仏というのはそんな難しいことじゃないし、この世で誰でも仏になれる」と言いました。
どうすればいいかと言うと、宇宙の中心にいる「大日如来」の心になるのだと。
簡単に言うと、宇宙の心とは宇宙の生きとし生けるものを全て大事にし、その平安・幸せを祈ること。
それができれば、それはもう仏の心と同じだと言うんですね。
素晴らしいと思いませんか?
【羽賀ヒカル】
素晴らしいですね!
【丹生宮司】
これは神道の考え方の延長線上で、日本人は日本→世界→宇宙と拡大したら、そういった発想になるんです。
日本人である空海さんがやっぱり、自分が求める仏教を一生懸命探し、密教を見つけて、偶然に恵果阿闍梨(けいかあじゃり)さんとの出会いがありました。
要するに、密教というもの自体が道教という日本の神道的なものと習合していたりとか、日本人にも分かりやすい下地はあったのですが、僕は空海さんの展開の仕方がすごいなと思います。
【羽賀ヒカル】
なるほど。
【丹生宮司】
「宇宙に出かけて行く」という今の時代にすごく合っています。
今、宇宙が戦場になりそうな時に聞かせてやりたいです。
【羽賀ヒカル】
宇宙・自然・神・仏・人間は全て繋がっていて、その中心となる聖地の一つが丹生都比売神社なんですね。
【丹生宮司】
高野山とね。
僕は高野山との関係を辿っていくことによって、それが分かるんじゃないかなと思っています。
【羽賀ヒカル】
しかもこれが世界遺産として認定されたことに、本当に日本の誇るべき伝統文化があることを認識しました。
今回は丹生都比売神社の丹生宮司をお招きして、空海さんにまつわる聖地についてお届けさせていただきました。
また、よろしくお願いします。
【丹生宮司】
よろしくお願い致します。
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この記事をまとめた人
- ゆにわ塾歴7年、ライター歴2年で、普段はメーカーで人材教育・採用の仕事をやってます。ゆにわに出会って人生観が大きく変わったので、記事を読んで下さる方々にも、ゆにわの皆さんからいただいた「あたたかみ」をお届けしたいです。
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