神社チャンネル

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宗教の時代は終わるのか?石川真理子先生

2022年9月15日 2022年09月15日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は武士道研究家の石川真理子先生をお招きしてお届けします。


真理子先生は、著書「女子の武士道」を致知出版さんから出版されています。

今の日本を代表するお坊さんや、もしくは宗教哲学の研究家の方々は致知出版さんと関係がある方が多く、実際真理子先生はこういった方々との繋がりもあります。


ところで今、某宗教団体が非常に叩かれています。

こういった出来事を機会として、「本当の宗教とは一体何なのか?」「日本人が取り戻すべき精神性・信仰心とは一体何なのか?」を見つめ直すべき時に来ています。

神社チャンネルの理念としては、特定の宗教団体へ入る方は入っていて良いと思っています。


古来日本人は、どこかの宗教団体に入っていなくても、皆信仰心を持っていました。

芸術や科学の背後にも、信仰心や思想はあったと思います。

今回は「宗教とは一体何なのか?」そして「これからの日本人に必要な宗教及び精神性・信仰心とは一体何なのか?」というテーマに迫っていきたいと思います。

それでは真理子先生との対談記事をどうぞご覧下さい。

宗教とは何なのか?


【羽賀ヒカル】

今回のゲストは武士道研究家の石川真理子先生をお招きしてお届けしていきます。

よろしくお願いします。

最新刊の『女子の品格』は、東洋思想を発信する出版社としてはおそらくナンバーワンの致知出版さんから出版されています。


武士道の研究家で、東洋思想についても非常に詳しい真理子先生にお伺いします。

テーマは「宗教について」です。


【石川真理子】

大好きなテーマですね。


【羽賀ヒカル】

おそらく宗教ネタはオウム真理教事件以降30年近く、報道もし辛くタブー視されてきましたが、今回の事件をきっかけに、堰(せき)を切ったかのように某宗教団体が叩かれています。

ただ、「なぜ、あの宗教団体だけなんだ?」「他の宗教団体はどうなんだ?」という声もあります。

そもそもキリスト教・イスラム教・仏教など、他の世界の宗教の歴史を見ても、かなり暴力的な局面があると思います。

その中で、某宗教団体にも良くない面がもちろんあるのも重々承知した上での発言ですが、それでも違和感を感じています。

ただ、この出来事に日本人にとってのメッセージ性があると考えると「そもそも宗教とは何なのか?」なんですね。


また、「無宗教で良いのか?」ということもあると思います。

正直に言うと、「僕はリベラルで、全ての価値観を良いと思っているんだよね」「僕はどんな価値観も持ってないよ」というような、どんな思想を持っているかが分からない人間ほど胡散臭いものはないと思っています。


【石川真理子】

そういう方は「僕には何の思想もないし、宗教にも全然関わってないんですよ」という宗教に入っていて、それがその人の信仰・宗教なんです。


【羽賀ヒカル】

それはハッキリ言うと、「社会主義教」か「資本主義教」なのかなと思います。

だから、人を見る時に「その人のバックボーンにどういった思想があるのか?」を感じるようにしています。

今回は真理子先生から、そもそも宗教とは一体何なのかについてお伺いしていきたいと思います。


【石川真理子】

皆さん、「宗教とは何か?」と深く考えたことがありますか?


【羽賀ヒカル】

おそらく「怖い」や「胡散臭い」というイメージを持たれている人が多いと思います。

「これは宗教だ」と否定的に発言したり書いたりしている人は、「宗教」という言葉をよく分からずに使っていますよね。


【石川真理子】

「宗教」という言葉を、多くの人が否定的な形で使っているのは私も十分存じ上げています。

でも、そういう方々におそらく「では、宗教とは何ですか?」と伺ったら、きちんとした答えは返ってこないと思います。

また、「宗教とはこういうものです」と明快に説明している方も見たことはありません。


では「宗教とは何か?」なんですけど、「宗」という字には「根源」や「根本」という意味があります。

「宗」に「教える」だから、「根源や根本を教える」というのが宗教の意味なんです。

例えば、ある教えに基づいて、一つのことを行なったり、教祖がいる宗派などもあります。

また、「教祖の教えに基づいて、良いことを教えてきますよ」というのを形にして、組織化したものを「宗教団体」と言います。

だから、「宗教」か「宗教団体」なのか、まずそこをハッキリした方が良いと思うんですよね。


【羽賀ヒカル】

「宗教」は単なる教えだけれども、それが組織化された時に「宗教団体」になるということですね。


【石川真理子】

だから、「宗教」の根本の教えがおかしいと言っているのであれば、その組織自体のことではなく、その根本の教えについて批判していることになりますよね。

今日ここに来るまでの間に、2冊の本を読んできました。


そのうち、鈴木大拙(すずきだいせつ)氏の『禅』は、アメリカにいる時に英語で書かれた本を日本語に翻訳したものです。

例えば、『禅』には以下の文章があるんですよ。

「禅は要するに、自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛から自由への道を指します。

我々幽玄(ゆうげん)の存在は、常にこの世の中で様々の束縛に苦しんでいるが、禅は我々に生命の泉から直(じか)に水を飲むことを教えて我々を一切の束縛から解放する。

禅は我々1人1人に本来備わっているすべての力を解き放つのだということもできる」

このように、禅の意味として、鈴木大拙先生が解説して下さっているんですよ。


【羽賀ヒカル】

少し自分の言葉になりますが、「禅」を宗教とすると、禅の目的はまさに「あらゆる束縛から解き放たれて、本来の自分が目覚めること」を目的としているということですよね。


【石川真理子】

そうですね。

禅とは何かというと、お釈迦様の本来の悟りを体験することなんですよ。

私はこの「禅」を「宗教」と置き換えても良いんじゃないかなと思うんです。

人の歩みと守破離


【石川真理子】

私たちは様々な家庭を選んで生まれてきます。

その家庭や学校、社会の中で色々なものを教えられて育ちますが、余計なものもいっぱい付いてくるんです。

つまり、光の玉に色んな布を被せていきます。

被せていった中で、光の玉をを見えなくするようなものもあるかもしれないですよね。

でも、これは光の玉を守るものでもある訳なんだけれども、必ず余計になる時が来るんです。

ここから「自分の実態」というものが分からなくなったから、「この周りに覆っているものは何か?」を1つひとつ検証していって、その中にある光の玉を見出そうというのが私は宗教だと思っています。


【羽賀ヒカル】

非常に深いですね。

宗教の中には「ああすべき」「こうすべき」がありますが、もしかしたら光の玉を覆ってしまうことに繋がるかもしれません。

でも、それらをさらに解き放っていくことも宗教であります。

だから、両方とも宗教の役割ということですよね。


【石川真理子】

ある意味で、ある時点まで守るために様々な思考・考え方・習慣など色々なものを積んで身につけていくのが人間なんです。

そうじゃないと生きていけないからです。

でも、ある時点から、今度は「その内側には何があったか?」を知るための学びに転じていきます。


私はイスラムの教えはあまり詳しくはないのですが、キリスト教の聖書も大好きですし、仏教も禅だけではなくて、法然上人(ほうねんしょうにん)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)・明恵上人(みょうえしょうにん)の教えなど色々なものを学んでいます。

あるいは、神道でも「国家神道」ではなくて、元々の神儀(しんぎ)の時代の「古神道」で、私は日本人が何を大切にして生きてきたかを、できるだけ学ぶようにしています。

これは祭祀(さいし)になりますけれども、祈りの言葉である祝詞(のりと)の中に色々な言葉が出てきますよね。

私はあらゆるものを学んできましたが、どれを見ても、基本的にはあまりおかしいことを書いてないんです。


【羽賀ヒカル】

神道の場合も、基本的には祭祀や祈りの中に、「二礼二拍手一礼」や「参道の真ん中を歩いてはいけない」という形があります。

でも、「本当の神と出会うこと」は形を取り払ったところにあるのではないのかと思っています。

形を守らないところもあるけれども、形を取り払わないといけないところもあるという、両面性が神道にもあるのかなと、お話を伺っていて思いました。


【石川真理子】

まさに「守破離(しゅはり)」です。

やっぱり最初は守るところから始まるんです。

これは躾(しつけ)なんですよね。

躾は「身を美しく」という漢字を書きます。


また、それとは別に、お洋服や着物を縫う時に「しつけ糸」で縫っていくんです。

しつけ糸がなかったら、ミシンで縫った時にぐちゃぐちゃになってしまうんです。

だから、ズレていかないために、ガイドとしてどうしても必要なものなんですね。

そういったものをまず身につけてから、その上でいつか破るんですよね。

「守破離」で破っていく時に、破るんだけれども、しつけ糸があった時の本質は失わないことです。

そこから「離」で離れた時は、先ほど羽賀さんがおっしゃったように、型を離れても、神との対話を自由自在にできる自分になることが、最終的には目指すところかなと思いますね。


【羽賀ヒカル】

おそらく最初から形が無茶苦茶だったらダメなんですよね。

参道の真ん中を歩くし、二礼二拍手一拝もしないままで「神と繋がった」というのはおそらく違う神です。

では、形をきちんと守り続けさえすれば良いのかというと、これも違いますね。


【石川真理子】

それが囚われになるんですね。

禅の修行でもよく言われることですが、「自分は何十年間、座禅してきた」と言って、すごく威張る人がいますが、それは全く禅の修行をしてないのと同じです。

江戸時代の初期に、盤珪(ばんけい)禅師という禅のお坊さんがいました。


それまで禅の教えはずっと漢語だったものを、初めて日本語で書いた人が盤珪禅師です。

ある時、盤珪禅師のところに高僧たちが訪ねて来て、「自分たちは200もの戒律を毎日全て守っているんだ」と威張ったそうなのです。

それに対して盤珪禅師は「それはご苦労だね」と。

これにはすごく含みがあって、要するに「そんなに100も200も戒律を守らないといられないぐらいに煩悩が強いんですか?」ということなのです。

「あの僧たちは全然偉くなかったね」という話になってしまうのです。

花ひらいた鎌倉仏教


【羽賀ヒカル】

武士道も形がありますが、形を離れていかないといけないものですか?


【石川真理子】

本当にそう思います。

武士道にも色々あって、言える範囲でいうと、やっぱりこれだけ長い時間を経てきていますから、色んな時代と共に変化してきたところがあるんです。

最近「これが武士道だ」と言われているのは、だいたい明治時代のものを指していますね。

江戸時代でもないし、ましてや鎌倉時代の武士たちが最初、自分たちの武家政権を樹立した時の「武士の規範」みたいなものとはちょっと違うなと思います。

本質的なところが抜けているし、すごく力んでる人が多いと私には見えます。

そんなに力んでいると、刀でスパッと切られるから止めた方が良いと思うんですよね。


【羽賀ヒカル】

真理子先生は、何が「真の武士道」だとお考えなんですか?


【石川真理子】

鎌倉時代に武士が勃興してきて、独自の政権を立てたところとすごく繋がってきます。

その時代は「鎌倉新仏教」があったり、あと中国の宋から「禅」が入ってきたりして、ものすごく宗教が盛り上がっていたんです。

「どうしたらこの教えを持って衆生(しゅじょう)を救えるか?」と、法然上人も親鸞聖人も一遍上人(いっぺんしょうにん)も日蓮上人(にちれんしょうにん)も、みんな燃えていた訳なんです。

そういう人たちに、武士たちは帰依して学んでいったんです。

その中心にあるのは、「どうしたら和していけるのか?」という慈しみの心なんですよね。


お釈迦様の教えは観音様に通じるような慈悲なので、その慈悲を身につけた時に、空(くう)の心も備わってきて、囚われなくなってくるんです。

先ほど、鈴木大拙氏が禅で「自分を自由にする」と言いましたけれども、キリスト教で言えば聖書から離れて自由になれる、でも根底には愛があるということだと思います。


【羽賀ヒカル】

私の解釈なんですが、まさに鎌倉新仏教は、空海さん・最澄さんから日本仏教のベースができて、その火種が爆発したかのようなイメージがあります。

鎌倉時代には、インド・中国の仏教ではない、日本的仏教が日本全国にバーッと様々な花の形となって美しく咲いていたんですね。


【石川真理子】

それは人々が「思うに任せない人生をどうしたら安心を得られるのか?」と思い悩む中で、本当に頼りにしたかったんですよね。


【羽賀ヒカル】

当時の一遍さん、法然さん、日蓮さんなどは、今時の言い方で言うと、おそらく全て「新興宗教」なんですよね。

「新興宗教」ですが、「宗教団体」ではないんですよね。


【石川真理子】

そうですね。

お弟子さんたちがその後に宗派を作っていったんです。

禅宗の栄西さんなんて、京都から追い出されてしまったので、しょうがないから鎌倉に来たんです。

もう新興宗教もいいところなんですよ。


【羽賀ヒカル】

その中で日本人は、本当にご縁があるお坊さんと出会い、教えに感化されていきました。

「踊り念仏良いな」と踊ったり、「禅は何かスゴイな」「南無阿弥陀仏を唱えようよ」という感じでそれぞれが信じる神様を信じていたんですよね。


【石川真理子】

それで良いと思うんですよね。

そして、今でもその本質は変わらないと思うんですよ。


皆さん、すごく不安だと思うんですよね。

「どうしたら自分の心がブレずにいられるのか?」など、私も相談を多く受けます。

「信じる者は救われる」と言いますが、本当なんですよ。

ただ、「何を信じるか?」が大事で、盲信するんじゃダメですよ。

盲信して、それしか見えなくなって、それ以外のものを排除するのは信仰ではないですよね。

だから、今回おそらく皆さんが「宗教は嫌だ」と思っているのは、盲信して他の考えや他の人を排除していくような思考に至ってしまって、その結果として蛮行に出るのが宗教だと位置付けているんじゃないかと思うんです。


【羽賀ヒカル】

鎌倉時代は様々な宗教があって、「みんながそれぞれ別に信じるものがあっても良いよね」という時代だったんでしょうね。


【石川真理子】

今で言ったら「哲学」、あるいは「科学」でさえも、これは一種の宗教と言えるんですよね。


【羽賀ヒカル】

「宗教とは何か?」という話から、鎌倉時代の話にまで至りました。

私も鎌倉時代は本当に大好きで、鎌倉仏教のお坊さんの教えもみんなすごく好きなんですよ。


【石川真理子】

そういった歴史を日本は持っているので、今でも少しは皆「神様はいるんだろうな」「皆仏なんだ」と、どこかで信じられるんですよ。

「性善説」という言い方もしますよね。

「死なば仏」と言いますけれども、実は死ななくても仏なんです。

皆、心の中にちゃんと観音様があるんですよ。


それは、人の悲しみを一緒に悲しんであげたり、人が悲しんでいたら可哀想だなと思って心が痛みますよね。

それが観音様の心なんですよね。

これを皆、持っていますよね。

私はこのように信じたいし、そうであって欲しいです。

これが信仰心に繋がっていくと思います。


【羽賀ヒカル】

今回は「宗教」というテーマでお届けしました。

宗教の本質に迫る、素晴らしい内容をありがとうございました。


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