カタカムナと金運:天龍寺マコト先生
羽賀ヒカル
日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。
今回は久しぶりのゲストに天龍寺マコト(三枝誠)先生をお招きし、お届けしていきます。
マコト先生は野口整体の野口晴哉氏、合気道の塩田剛三氏、そしてカタカムナ文献の宇野多美恵氏などといった、昭和を代表する様々な覚者を師に持つ、スーパーヒーラーと言って良い方です。
今回のテーマは「カタカムナと金運」です。
カタカムナ文献について、この神社チャンネルをご覧になっている方はご存知の方も多いかもしれません。
初めての方のために少しお話しすると、カタカムナ文献は物理学者・楢崎皐月(ならさきこうげつ)が発見したとされている書物です。
この楢崎皐月とはどういう人物かというと、旧日本軍に従事し、戦時中は満州に渡って様々な軍事技術の開発に携わっていたという話があります。
研究内容は軍のことなので、かなり秘密裏に隠されていますが、その中には重力や原子力にまつわる研究がされていたと言われています。
その楢崎皐月氏が日本に帰ってきた後、様々な山の電気にまつわる研究をしている時に、兵庫県の金鳥山で平十字(たいらのとうじ)という人物に出会いました。
この平十字という人物が持っていたのがカタカムナ文献でした。
この方からカタカムナ文献を譲り受けて、研究をするようになったのです。
そもそもこのカタカムナ文献は、偽書や楢崎皐月の創作と言われることがあります。
ただ、昭和から始まった新興宗教団体、もしくは昭和以降の有名な科学者の方でもこの楢崎皐月の影響を受けている方はかなり多いですね。
今回、「カタカムナと金運」ということで「何か関係があるのか?」と思う方もいるかもしれません。
「金運」「お金のあるなし」というのも、実はこの科学的な法則に基づいて考えることが出来るという対談となっています。
ポイントをお伝えすると、お金をやはり引き寄せることが重要ですよね。
引き寄せる力は物理学で言うところの重力ですよね。
これは当然、中心があってお金を引き寄せる力になります。
「お金が欲しい」と思ってる時はなかなか引き寄せられないのです。
これはお金の重心で、ポイントや力点を置く場所を変えることによって金運は変わってくるのです。
天龍寺マコト(三枝誠)先生は、それこそ誰でも知っているような有名人の施術やヒーリングを行ってきた方です。
昭和を代表するような芸能人、もしくは政治家の施術をされてきた中で、「金運がある人は明らかに共通点や法則があったことをカタカムナ文献から紐解いてみる」という企画となって、非常に面白い話となりました。
ポイントを最初にお伝えしておくと、自分中心の時はなかなかお金は引き寄せられないので、より大きな視点・視野で見た時にお金の引き寄せパワーは変わってくるのです。
このことを理解して、この後の対談をお読み頂くと非常に分かり易くなると思います。
それではどうぞ。
お金持ちの共通点
羽賀ヒカル
こんにちは。
今回、何度もご出演して頂いている合気道の達人・天龍寺マコト先生をお招きし、お届けしていきます。
どうもよろしくお願いします。
天龍寺マコト
よろしくお願い致します。
羽賀ヒカル
今回のテーマは「カタカムナと金運」という少し危ないテーマでお話します。
ただ、やはり世の中を見てみますと、カタカムナの「五首」「六首」「七首」を唱えることによって金運が上がったなど、そういった感想や意見を見ることがあります。
その辺りは果たしてどうなのかというところも含めてお伺いしていきたいです。
まず最初に、マコト先生自身、今まで芸能人・政治家・会社経営者などといった様々な方々とお会いして関わる中で、お金持ちの方とたくさん出会ってきたと思います。
その人たちの共通点みたいなものはありますか?
天龍寺マコト
私はそれこそ合気道をやっていた二十歳頃は、もう本当に貧乏のどん底でした。
便所の後ろに生えていた雑草を天ぷらにしたり、昔はパンの耳や肉の脂身が無料というのがあったので、よくそれだけで食事をして色々と大変な思いをしました。
今、お話にあったお金持ちになった人たちも、もともとは物凄く貧困だった人たちも多いです。
ただ一つ言えることは、貧困な時からお金の離れ方・離し方が上手だったということです。
まず当然、夢を持っている人のところにしか、お金は来ないですね。
それで小さなお金と大きなお金とでは話が変わってきますが、やはり気前のいい人や、あるいはもっと言うと、お金に対して淡白な人の方が大金を掴むのは見てて思いますね。
羽賀ヒカル
むしろ「欲しい」と言って欲深いよりも、あまり欲がないように見える方が結局大きいお金を掴むんですね。
天龍寺マコト
これは完全な物理法則ですよ。
それは「いいなぁ」といった問題ではなくて、雲から下の世界の話です。
雲の上の世界はずっと晴れてる訳ですけど、雲から下の世界は晴れになったり、雨が降ったりなど様々なことがあります。
この中には確かにお金がなくて困っている人たち、お金があるように見えてもそのために子供達がバラバラになってしまったなど苦しんでいる状態の人たちがいます。
これはお金がないのと、ある程度お金持ってお金に苦しんでるのとでは全く同じ次元なんですよ。
あるいはまだ完全に自給自足していたり、一方でもう全然お金に困ることを考えたこともない人たちもいます。
この全然お金がない人と全然お金に困ることを考えたこともない人で繋がってるし、あるいは半端にお金があったのと半端にお金持って苦しんでいる人もこれは同じ次元なんですよ。
それを僕は見ていて思っていました。
貧乏人のお金への考え方
天龍寺マコト
例えば、三船敏郎さんがある映画で主役をもらいました。
主役をもらう人の特徴は前日まで仕事がない人ですね。
半端の成功は大きな失敗にも繋がるので、お金について言いたいことは小銭を持った・持たない、五首・六首・七首でお金が入った・入らないなどと、そういうことでガタガタ言わないことですね。
こういう所で言って良いのかどうか分かりませんけど、お金がないとピーピー言っている人たちは全てお金には縁がないですね。
まず、「あなたは寄付したことがありますか?」と聞きたいです。
寄付はお金がないのとは関係ないですよ。
もし、ほうきがあれば近所を掃除できます。
その時、難しい顔をするのではなくて、楽しく掃除をさせてもらっているという気持ちでやってみて下さい。
また、当たり前のことですけど、朝6時に起きて人が寝ていてシーンとしている時に街を歩いていたら「おはようございます」と言ってくれます。
朝8時頃、街を歩いて「おはようございます」と言われると、何を言うんだと思いますよ。
だから、時間帯によっても違うんですよ。
これは時間があれば色々と話していきたいんですけど、カタカムナは「マノスベシ」です。
マノスべシは「空間」「時間」のことで、これは本質的に同じものだと言われています。
逆に言うと、同じ場所も時間帯によって違う空間なんですよ。
だから、朝起きする・しないのではまた違ってきます。
お金に対する考え方も、これは「間」ですから、自分の中に何でも詰め込みたいと思ったものに対しては入ってこないんですよ。
そういう物理法則がありますね。
先ほどの話に戻りますけど、お金に関して自分で「このように持ちたい」と思っているところには、それはもう入って来ようがないのです。
これはお金の本質が間違ってるんですよ。
今度実験したいこととして例えば、二人がお互いに三万三千円を持っているとしますね。
このうち、三万円を僕が持ってきて、相手の目の前で自分のお札をピラピラやっても相手にとっては他人事ですよ。
でも「ヒカルさん(お金を)貸してください」と言って、三万三千円の中の三万円をもらって、相手のお札をピラピラしていて、そのうち、そのお札をお尻に引いたり、足で踏んだりしたら、「何するんだ!俺の金を」と思うんですよ。
これは自分のお金だと思っているからなんです。
ところが、お金というのは裏側に名前を書く欄がないんですよ。
だから、もう出た以上は自分のものではないかもしれません。
お金に対する考え方を様々な人たちが持っていますが、執着があった場合は絶対にお金に重心を取られているんですよ。
日本語はスゴイじゃないですか?
重心は重たい心、すなわち、そこに焦点があるということなんですよ。
だから、お金に対して重心を取られている人はお金が入ってきません。
ある程度のお金・小金は入って来ますし、部長・課長クラスになるかもしれませんよ。
でも、冠婚葬祭では偉い人なので、お金を出さなければいけなかったりなど色々なことがあります。
だから、雲の下の段階のお金はみんな上がったり下がったりしても同じなんですよ。
まず言いたいことは、お金に対して「欲しい!欲しい!欲しい!」と思う人に対してはお金はやって来ません。
これは物理法則です。
お金が「欲しい!欲しい!」という状態はお金の方に重心があり、主になってしまっているという状態のことですよね。
だから、「喜捨(きしゃ)」という状態が大事なことです。
この「喜んで捨てる」という言葉はスゴイ日本語ですね。
つい先日、神社チャンネルで伊勢神宮参拝に行かれたと思いますけど、みんなそこでお金を出す時に「領収証を下さい」と言って賽銭箱から貰う人はいませんね。
「幸せになりますように」と喜んで出しますよね。
その時は、お金に対して重心がなくて、そういうお金はいつか戻ってきます。
お金の本質が分かっていないんですよ。
だから、五首・六首・七首でお金が入ってきたというのはケチな話で、私は「五首・六首・七首を唱えないで下さい!」と思いますね。
「間」を統べる
羽賀ヒカル
今回のテーマは「カタカムナと金運」の中で、カタカムナのポイントは先ほどの「マノスべシ」ということで、空間と時間、もしくは重力もカタカムナのテーマになってくるでしょう。
もしくは引き寄せるパワーなど、そういった物理法則もカタカムナに書かれているように思います。
その辺りのお考えはいかがでしょうか?
天龍寺マコト
例えば、私がやっていた合気道には「真空の間」という概念があります。
自分が真空の間を作ると、相手が寄ってくるのです。
すなわち、一般的には敵と味方、空手でいうところの「遠心力」です。
回し蹴りにしても「向こうに行ってくれ」といった、この圏内から出ていってくれという観念が空手の大きい遠心力としての武道なんですよ。
つまり、相手を突き放すということですよね。
合気道の場合は相手の方から自分に寄ってくる、別に好きでもないのに重心を奪われるという真逆の概念がありますね。
だから、合気道が良い・悪いといったことではなくて、両方が人生に対して必要だと思います。
体の中には、生かす気と殺す気が両方流れています。
それらのバランスが取れて体になっているんで、全て生かす気であれば良いのではなく、先ほどご説明したように、我々の中に色んな気も流れているし、空間に対する兼ね合いがあるんですね。
だから、そういう物理法則が一つ考え方の中にあり、合気道のように求心力で持ってくるという考え方があるのです。
あと、性の問題もそうですけど、見えないあなたの大事な異性に対してもすでに繋がっていると思うのか、もしくは今から開拓しなくてはいけないと思うのかは随分違うんですよ。
そして、お金の話で言うと、デタラメの生活ではなくて、きちんとした毎日の生活を送ってる人には、昔の日本語で「陰徳」という言葉がありますが、見えないところで積まれていくものがあるんですよ。
ちなみに努力に対して僕はハッキリ言います。
努力した先に幸せは待っていません。
僕は努力した人間だから言います。
ただ努力した後、キュッと直角に曲がることがあって、そこをクッと曲がったら、ドアがバッとあって「あっ!?」ということが起こります。
皆さんの中にも経験があると思いますけどね。
今、分かっている努力の先にあなたの幸せはないかもしれないけども、努力をすることによって一つの切符が貰えることがあります。
既にあなたは繋がっているということです。
だから、合気道の概念も、「敵と味方がいる」という概念に対して、二人は繋がっているという前提から始まって武道が形成されて構築されているのが、植芝先生が作った合気道の概念ですね。
先ほどのお金の悩みでも人から奪って盗るという概念がありますが、喜んで捨てるという「喜捨」概念はそれとは真逆のとんでもない概念です。
本当に生活するだけだったら、自給自足をして交換していれば良いんです。
でも、喜捨という概念があるのは、みんなが夢を持って大きい伽藍や大きい建物やみんなの集会場が欲しいといった、みんなが喜んで欲しいという流れがあるから、自分だけのためではないところに初めてお金があるんですよ。
そういうお金の役割を考えないで、自分が欲しいと思っていても、それはもう本当にお金の便秘になってしまって、お金に対する本質論とは違っているんですよ。
だから、時間や空間に対して、あるいはあなたの敵だと思ってる人に対しても結ばれてるんだという概念がなければ、合気道も始まりません。
また、日本の国土から生まれたから合気道があるんですが、その国土の思想の根幹になっていると私は思っています。
カタカムナの思想も分からないと思います。
一番大切なのは合気道やカタカムナなのです。
言葉を覚えたり、技を覚える前に大切なのは、「我々はもう既に繋がっているんだ」という意識がないと全く話にならないというのが私の考えです。
羽賀ヒカル
なるほど。
話をまとめると、空手とはまさに敵対する概念であるということですね。
でも、合気道は繋がっていて、相手を引き寄せるみたいなパワーがあります。
カタカムナの考え方も同じで、根底で人とモノ、私とあなた、そういったものは繋がっているという思想ということですね。
そういった考え方に立つと、お金と自分も分離して考えて奪いたいと思っていると、それは本当の意味でのお金持ちになることはないんですね。
金運が上がるお金の使い方
天龍寺マコト
例えば、チンパンジーさんと賢い犬が目の前にいるとして、お金で契約しようとしても何の意味もないんですよ。
だから、何のためにお金というツールがあるのかというと、人と結ばれるためにあるんだということが前提なんですね。
お金の先には人がいて、それが分からないでお金と一緒に生まれても、焚き火のように本当に燃やすだけですよ。
間違えないで下さいよ。
お金の価値があるのではなく、お金を通して向こう側に人がいるということを間違えないで下さい。
その人達と繋がるためのツールとしてお金があるという大前提がないと本末転倒になってしまいます。
羽賀ヒカル
まさにお金に関しても、喜んで捨てるなどと出来る人にはやがて入ってくるということですよね。
だから、それはツールであって目的ではないことをきちんと理解しないといけません。
天龍寺マコト
そうなんですよ。
これはスゴイことですよ。
子供を育てる時に、「これだけ育てたら、あとでお金くれるかな?」と思って、子供を育てる人はいないでしょう?
具体的によく考えてお金を使っている訳ではないんですよ。
もう喜んで子供のために使ってしまうんです。
もうほとんど、「使う」のではなくて「捨てていく」んですよ。
喜んで捨てていると言うと、馬鹿な人は捨てることを喜ぶようだけどね。
喜んで捨てる中の喜びのところにポイントがあるんですよ。
羽賀さんはお子さんがいますか?
羽賀ヒカル
いないです。
天龍寺マコト
子供が出来たら、羽賀さんの子供だから可愛がると思うよ。
もう可愛くてしょうがないから、「うわぁっ」などと言って喜ぶと思います。
だから、喜びが先なんですよ。
喜ぶから、苦労など色々なことをしても、「この子のために」と思うんです。
だから、「喜捨」というのは言葉が分からないかもしれません。
羽賀ヒカル
仏教の言葉ですね。
天龍寺マコト
お金は使っているんですけど、もう使うという思想がここにはありません。
「エクスタシー(恍惚)」なんですよ。
羽賀さんも本当に勉強は面白いと、「愛」などという暇もないんだと思います。
ご飯をもらって「どうですか?」って言って「美味しいですね」とか答えるのは美味しくないんですよ。
本当に美味しかったら「うまい!」などと言うんですよね。
エクスタシーが先に来ます。
「愛」など、一回大脳を通っている言葉を言っている時とは違いますよ。
エクスタシーも大脳を通っているかもしれませんが、「惚れてる」といったエクスタシーの感覚が先なんです。
だから、これで生きるのか、もしくはこれではなく生きるかのどっちかです。
是非、喜んで生きたいのでしたら、合気道、カタカムナ、あるいは神社チャンネルを含めて、そういうものを見て学んで下さい。
色々な技術を覚えるなどの前に、最初の意識が大事なんですよ。
先ほどの話で、誤解がないように言いますけど、僕は空手を馬鹿にしている訳ではないです。
私も極真空手の有段者です。
ただ、物事には一般的には「遠心力」、敵が来たら突き放し、お金は取るみたいな考えはあるけども、あまりにも巨大な敵に対しては、むしろ配慮するのではないけれど、融合していく中で違う解決の方法を取るという合気道的な考えもあります。
あるいはお金も小さな自分の生活のためなどといったことではなくて、みんなのために何かこういうことをやってみたいといった、大きなビジョンになった時には、奪う発想では全然物事が始まらないんだよとお伝えしたいです。
私はカタカムナや合気道のお話をしながら、皆さんには小金が欲しい、五首・六首・七首というと「お金が入った」「何か当たった」というレベルではなくて、最初の考え方を改めると、物凄く喜びの人生が始まります。
神社チャンネルは難しい学問の場所ではなく、皆さんの日常の生活において喜びを与えることを僕はお話してくれていると毎回思って聞いています。
羽賀ヒカル
「欲しい!欲しい!」「自分は足りないから」と言うよりかは、そうやって喜んで与えるところに重心の力が働いて、やがて循環して金運も良くなっていくということですね。
天龍寺マコト
「回りて巡る」ということですね。
羽賀ヒカル
今回「カタカムナの思想と金運の関係性」ということについて、お伝えして頂きました。
非常に良い内容でした。
またお届けさせて頂きます。
どうもありがとうございました。
天龍寺マコト
ありがとうございました。
天龍寺マコト先生とのコラボセミナーはコチラ↓
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神社チャンネルのこちらのYouTubeバージョンもご覧ください。↓
この記事をまとめた人
- 2人の娘を持つ父親。ゆにわ塾歴3年。ゆにわと出会って、娘との関係が激変しました。神社chの記事を読んでくださる方々が、羽賀さんやゆにわのみなさんの温かみを感じられるような素敵なサイトにしていけたらと思っています。
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