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神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

喪中に神社参拝をしてもいいのか?

2021年3月7日

あなたの心に火を灯す

東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は「喪中に神社参拝をしてもいいのか」ということについてお伝えさせていただきます。

橋本ユリ
羽賀さん、先日、喪中に神社参拝してはいけないって言われたのですが、参拝は控えた方がいいんでしょうか?


羽賀ヒカル
このことは私が神社のことをお伝えするようになってから、最も多くいただいた質問のうちの一つです。

今回の私の話は一般論ではないし、絶対的な見解ではありませんので、一つの思想・意見として受け取って頂けたらと思います。

喪中の神社参拝が良くないとされる理由


神社本庁や色々な神社のホームページを見ると、「喪中期間の神社参拝は遠慮する」と記載されています。

例えば、90日間や一年間は、参拝は遠慮するというもの、場合によっては神棚への参拝も遠慮すると記載されているものもあります。

そもそもなぜ喪中の神社参拝が良くないとされるのかには大きく分けて二つの理由があります。

・「死ぬこと=穢(けが)れ」という考え方

身近な方が亡くなったという場合、穢れを背負っているので、穢れを背負った状態で神社参拝をし聖域に入るのはよくないという考え方です。

※穢(けが)れとは、忌まわしく思われる不浄な状態

・「悲しみを背負った状態でのお祝い事は避けた方が良い」という考え方

誰かが亡くなるということは悲しいことであり、悲しみを背負った状態でめでたいことやお祝い事は避けた方がいいという習慣が今も残っています。

例えば、喪中の時は年賀状を送らず、喪中はがきを出しますが、身近に亡くなった方がいらっしゃるのに「おめでとうございます」という気持ちになれません。

喪中の結婚式出席も一般的には避けた方がよいとされています。

また、神社参拝をした時は開運祈願をしますが、身近な方が亡くなっているのに開運を祈願することも違和感があります。

なぜ喪中の神社参拝が良くないとされているのか?


喪中の神社参拝が良くないという考え方がいつから広まったのかというと、古くは平安・鎌倉・室町からあったようです。

それが完全に形となり、一般庶民に広がったきっかけが江戸時代にあります。

それは1684年の服忌令(ぶっきりょう)という法令です。

生類憐れみの令で有名な犬将軍と呼ばれた第五代将軍 徳川綱吉が定めたものです。

この服忌令の内容は、例えば、妻が亡くなった場合、90日間はこんなことをしてはいけない。

それが親の場合は13ヶ月間となり、そのほか近親者が亡くなった場合の規則などを非常に細かく場合分けし、喪に服す期間を定めたものです。

また、服忌令には大きく分けて、「忌中(きちゅう)」・「服中(ふくちゅう)」という二つの期間があります。

・忌中

故人のお祀(まつ)りに専念する期間で、仏教に於いては四十九日となります。

四十九日の理由は、亡くなったあと7つの門のようなものがあり、それを一つ潜るのに7日かかる為です(7×7=49日)。

神道に於いては50日となり、この期間はあの世とこの世の境目にいることから、鎮魂(ちんこん)し亡くなった方の冥福を祈ります。

※お祀(まつ)りとは儀式をととのえて神霊をなぐさめ、また、祈願すること。

・服中

故人への哀悼の気持ちを表して、規則などを決めて喪に服す期間のことです。

主に将軍、もしくは大名や武士に対して出されたのですが、のちに庶民にも広がり、この考え方が明治時代にも継承されて残りました。

それが今も神社本庁に引き継がれて、喪中の神社参拝は控えるとされています。

「忌引き」といって身近に亡くなられた方がいた場合、一定期間休暇をとり鎮魂をしましょうという会社もあります。

喪中の神社参拝をしても良い


喪中の神社参拝は控えるというのが一般的なのですが、「喪中の神社参拝はどうですか?」と聞かれたら、私は「良いです」と伝えています。

それは「死ぬこと=穢れ」という思想に違和感や疑問を感じるからです。

そもそも神道は古来の日本人から伝わる精神や考え方であり、本来「こうしてはいけない」というルールや、「こうすべき」といった教えがないもののはずです。

そういった点からも、喪中時に神社参拝を控えるという考え方に違和感があるのです。

神道の定義を古来の縄文時代から流れる日本人の精神だとすると「死ぬこと=穢れ」だったのか?

これは逆で、人は亡くなったら神様になる。別に死ぬ事というのは穢れではないということが本来の日本人のご先祖様信仰であったはずです。

古事記の神話ではイザナギとイザナミがいて、イザナミがカグツチという火の神様を生んだことがきっかけでお亡くなりになりました。

それを悲しんでイザナギは、死者の世界である黄泉の国に旅立ちましたが、そこにいたのは元の面影はなく、鬼のような姿になったイザナミでした。

また、その世界にいるたくさんの魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちに追いかけられて、多くの穢れを背負ってイザナギは何とか神様の世界に帰ってきました。

※魑魅魍魎(ちみもうりょう)とは、人に害を与える化け物の総称

この神話から確かに死後の世界というのは、穢れが多いという風に見えます。

しかし、「死ぬこと=穢れ」と捉えるならば、禊ぎ祓い(みそぎはらい)を行うこと、つまり穢れを祓うことも重要です。

では、禊ぎ祓いする場所はどこなのかというと、それが神社になるのです。

実際に古い文献を見ていくと、身近な方が亡くなった場合、お寺や神社参拝をして死者の霊を弔ったり、鎮魂する魂鎮め(たましずめ)をする方もいます。

そうなると、ますます喪中の神社参拝は控えるという考え方について疑問が出てきます。

師匠である北極老人の教えからも、私は「喪中の神社参拝は良いです」とお伝えしています。

※禊ぎ祓いとは、穢(けが)れを取り除く清めの行事

喪中期間の神社参拝の方法とは?


喪中における神社参拝の方法がありますのでそれをお伝えします。

死後の世界はどうなっているのかというと、これは様々な考え方がありますが、神道的には亡くなると神様になるための修行をしていると考えるのが良いと思います。

亡くなった方のことを弔い、祈るというのは「安らかにお眠り下さい。もしこの世に未練・執着があるならば、速やかに旅立ってください」ということが一つあります。

そして、あの世に行ったのであれば、「あの世でより良き修行をしてください。神社の神様、亡くなった死者の霊をより良い形にお導きください」といったお祈りをするのは良いことだと思います。

是非、喪中の神社参拝として、身近に亡くなった方がいらっしゃる場合は、このようなお祈りを自分の言葉でしていただけたらと思います。

より良い人生を全うするために


そもそも「死ぬこと=穢れ」という考え方はどちらかというと「死ぬこと=敗北」という西洋的な考え方に近いように思います。

また、コロナ禍においても過剰に死を恐れすぎる風潮があると思います。

確かに、むやみやたらに感染を広げることはどうなのかとは思いますが、政府としてきっちり対策していかなくてはならない面もあると思います。

人はいつか死にますし、コロナにおいて亡くなってる方のほとんどが高齢者です。

このような面からも「死ぬこと=穢れ」と考えて過剰に恐れすぎる風潮に、私は違和感を感じます。

大事なことは「より良い人生を全うすることであり、より良い死を迎えること」だと思います。

そう考えると「死ぬこと=穢れ」として恐れすぎるということは、より良い人生を全うすることにも繋がらないのではないかというお話でした。

冒頭にもお伝えしたとおり、今回のお話は一つのものの考え方です。

でも、このコロナをきっかけに、「死ぬとはなんなのか?」「死後の世界はどうなるのか?」「より良い人生とは何なのか?」ということを私たちは問い直すべきタイミングに来ていると思います。

神社チャンネルで最も再生されている動画のひとつに「人生が変わりだす前兆サインについて」というものがあります。

この動画では、身近な方が亡くなるというのは、残された方にとって人生の転機のきっかけになるということもお伝えしていますので、是非ご覧ください。

人生が変わりだす前兆サインについて

橋本ユリ
羽賀さん、ありがとうございます。

祈り方も分かったので、安心して神社に行ってきます。


羽賀ヒカル
今回は、「喪中に神社参拝をしてもいいのか?」と疑問を持つ人たちに、ひとつの見解をお伝えしました。

是非、死とは何か、より良く生きる人生とは何かを考えるきっかけにしてください。


あなたの開運をお祈りしております。

羽賀ヒカルでした。


こちらの神社チャンネルのYouTube動画バージョンも是非ご覧ください↓


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