神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
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日本を変えた聖徳太子のヒミツ ゲスト:小名木善行

2023年6月20日 2023年06月19日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回は国史啓蒙家の小名木善行先生と一緒にお届けしていきます。

よろしくお願いします。



小名木善行:はいよろしくお願いします.

 

現代日本と聖徳太子の時代は似ている?!


羽賀ヒカル:ゆにわ塾の中で、小名木先生と一緒に「古事記塾」や「心温まる日本の古典」のコーナーをお届けしていますが、それと別に、ゆにわ塾では毎年のテーマを決めて講座を行っています。

2022年は、「最澄空海のテーマ」でした。

私も去年は、最澄と空海の本を読み漁り、師匠北極老人から最澄と空海の様々なお話を伺い、比叡山と高野山にお参りしました。

日本において、仏教を広めることになったキッカケは、最澄と空海だと思います。

ただ、日本全体に広まるきっかけとなったコアが最澄空海だとすると、さらに大元がある。

日本仏教や日本思想における大元で、最澄空海よりも以前の聖者というと聖徳太子です。


2023年はゆにわ塾でも聖徳太子について掘り下げていきましょうということで、私も様々な文献を読み、師匠北極老人からも様々なお話を教わっているのですが。

僕ね、思うんです

「聖徳太子の時代は、面白い。」

なぜ古代史が面白いのか理由がありますが、また別の機会に喋ろうかなと思います。

 

さて、聖徳太子の時代を、今見つめ直すことは、非常に重要な意味があると思っています。

当時の聖徳太子の時代は、色々な人たちがいて国も地域を仕切っている人たちもバラバラで、言葉も統一されていたかどうか怪しいし、信じている神様も地域地方によって違います。

この状況が、今の日本と重なるように思いますし、いろんな価値観や多様性がありますよね。



この間の講演会に来た方の中でも本当に多様化していて、マスク云々や、憲法改正であったり、中国の脅威が迫る中核を持つ持たないに関しても、色んな意見があって良いと思うし、避けられないと思うのです。

でもこの多様化を受け入れていくと、日本国民がバラバラになるんじゃないかと思います。

だったらこの多様化を受け入れながらも、一定の方向性をつけなきゃいけないと思うのですが、そのために見つめ直したいのが聖徳太子です。

もう一つ言えることとして、当時聖徳太子は日本が中国の属国になる可能性があるという海外の脅威を感じており、今の日本にも同じ脅威が迫っていると思うんですね。



属国になっていることすら気づいてないし、知らず知らずのうちに搾取されていることにすら気づかず、どんどん鈍化して麻痺していっているといいますか。

都民の税金が太陽光パネルに流れたり、変な薬が流行ったり、昆虫食が流行ったり、変なニュースがガンガン流れてくるわけです。

その辺りは、私もツイッターやFacebookで呟いているので見ていただきたいと思います。

 

すいません。前置きが長くなりました。

今こそ日本国を守るためにも。私達の幸せとは一体何なのかというところも、聖徳太子の示した教えの中にあると思うのですね。


聖徳太子を見つめ直すときに、文献やYouTubeを見ていて面白いのが、「聖徳太子いなかった説」があるんですね。

これに関して、「聖徳太子ってそもそもどんな人物なのか」というところを、小名木先生お願いします。

 

推古天皇という女帝はなぜ誕生したのか?


小名木善行:まず聖徳太子の時代のお話がありましたが、お隣の中国の脅威というもあり現在は本当に混沌としていて対立ばかり。

それと全く同じ状況なのが聖徳太子の時代で、天皇が殺されたりして実は今よりひどいんですよ。

聖徳太子と言えば推古天皇の摂政ということで有名ですが、元々皇太子です。

推古天皇は女性天皇で中継天皇としてご即位されたのですが、なぜこのとき女性の天皇が即位したのかというと、その前の天皇である崇峻(すしゅん)天皇が蘇我氏によって暗殺されてしまった。


なぜ暗殺されたのかというと、崇峻天皇は、イノシシが献上されたときに、そのイノシシの目をグサッと刺して

「このイノシシを刺したように、憎い仇をつけてみたいもんじゃ」

って言ったただけです。

これに蘇我入鹿がすごく危機感を持って、

「やばい、天皇は俺のことを殺そうとしている。だったら先に殺しちまえ」

ということで、我が国の歴史上唯一、天皇が臣下によって殺されたというのが、このときの事件でした。

 

そんな状況下で、次に誰も天皇になろうとしないですよね。

だから基本的に、男性の皇子様は

「次はどなたかにお願いいたします。」

「私は結構でございます。」

とみんな尻込みしてしまいました。

やむを得ず、女性である推古天皇のところ(二代前の天皇の妻)に

「ご主人が天皇だったんですから、奥様が次の天皇になってくれませんか?お願いしますよ」

という話が持ち込まれるんです。


推古天皇は「お断りします。」と3回も断ったのですが、4回目に言われたときに「わかりました」ということで、天皇としてご即位されたと

このことを称して、歴史学会とかでは「中国の三顧の礼の影響を受けて、推古天皇は3回断ったと書かれているのではないか」というのですが、そうではない!

羽賀ヒカル:全然、違いますよね。

諸葛孔明を口説くのと、推古天皇を口説くのはちょっと話が違う。

小名木善行:全然違いますよ。

だって天皇になることは、殺されかねない状況になるわけですね。

推古天皇はこういいます。

「わかりました。天皇になりましょう。ですが私は政治に関しては一切口出ししません」

それ以前の、例えば第16代の仁徳天皇は、民のかまどの煙が立たないのを見て

「民衆が困っているに違いない。今景気が悪いのだから、消費税上げるのやめよう」

と、税を3年間も非課税にしたということがあります。

このように、それまでの天皇は天皇親政といって直接政務に携わるということがあったのですが、推古天皇は「私は、いたしません」という話になった。

そこでナンバーツーの聖徳太子が日嗣ぎの皇子として、政治に関しては決めていきましょうということになりました。


でもまだお若かったので、その間は蘇我入鹿が面倒見ましょうということで、推古天皇の下に蘇我入鹿と聖徳太子の2人で、政治に関して全責任を持ってやっていくレールが引かれたのが、聖徳太子の時代でした。


羽賀ヒカル:なるほど。

 

軍事大国「隋」への強気の外交戦術


小名木善行:そして聖徳太子の登場によって冠位十二階の制度がひかれて、有名な十七条憲法の制定まで行きますが、十七条憲法の精神は1400年経った現在においても日本人の精神の根底をなしています。


また「出雲(いずも)の国」「伯耆(ほうき)国」「備前(びぜん)国」「武蔵(むさし)国」といった感じで、昔は今の県のことを全て国と言ったのですが、これはそれぞれの国に国王、王様がいたということです。

なので「出雲王朝、関東王朝、青森王朝があったんじゃないか」といったことをおっしゃる方がいるのですが、単純にあったのです。

ただし日本列島全体で人口100万人も満たないような状況ですから、結局みんな親戚関係であったということで、日本は緩やかな「豪族や王様たちの親族関係を持った集合体」という時代でした。

羽賀ヒカル:その中での中心的存在が、当時「天皇」という名前ではなくて「大王」であるということですね。

小名木善行:ところがその横側に、内乱に内乱を重ねて戦争ばかりしていた中国に、隋の大帝国が出来上がってしまいました。

戦争ばかりしている間は放っておいたら良かったし、本当に放っておいたのですが。

これがまた強大な軍事大帝国で、周りの国をどんどん侵略する。


羽賀ヒカル:めちゃくちゃ現代と似ていますね。

小名木善行:もう「太平洋は我が国のものだ」みたいな感じ。

とにかく周辺の国をどんどん侵略して征服するのです。

いずれは日本にもやってくるかもしれないこの状況下、日本がバラバラで各都道府県ごとに王様がいる状況では、日本は完全に潰されてしまう、どうするか。

「日本を改めて統一国家にしていこう」ということになった。
統一国家にするということは、それぞれの王様ごとにみんな対立があった。

「俺はあっちの王様が好きだけど、こっちの王様は気にいらないんだよな」といったことが、人間の世の中ですからあるわけですよ。

そういったことを、ことごとく全部なくして、全てまとめて一つの国家にしていこうじゃないか。

そのためにも、当時日本に対して「朝貢して日本は臣下になれ」といったことを言ってくる超軍事大国の髄に対して、有名な言葉を送りました。


「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや(元気かい?)」

日本の天子。

当時、日本の大王に対して「天子」という名前を使っており、中国の方は皇帝ですが「天子」と呼んで、まるっきり対等の立場ということを送ったのです。

対等どころか、日出づる処だから「上」と暗に伝えたわけです。

隋の煬帝は、これに激怒します。


「舐めてるのか?お前の国はどうなってんだ、このやろう!」

と言って怒るのですが、その怒った隋の煬帝に対して、日本は3回の遣隋使においても

「東の天皇、謹んで西の皇帝に申す。お元気?」と伝えているんですよ。

このときに、我が国の歴史で初めて大王ではなく「天皇」という名前が外交文書に公式に記されました。

なので、それまで天皇という名称は、国内では使われていましたが、国際的には使われていなかった。

「隋が皇帝だったら、うちは天皇だよ。」

という風にしていきました。

これも聖徳太子の功績の一つであり、それ以来日本はずっと独立国です。

中国にどんな強大な大帝国ができても、日本は対等の国家として堂々とやっていったことは、今時の政治家さんに聞かせてあげたいところですね。

 

現代にも続く聖徳太子の功績


小名木善行:そんなことがあり、日本が国際社会の中において対等な国家ということを堂々と宣言するんですけども、さらに冠位十二階と十七条憲法というものを制定をしています。

また三宝興隆(さんぽうこうりゅう)の詔。

三宝というのは仏法僧のことであり、仏様と経典とお坊さんを交流、発展させるということで出しています。

この後に冠位十二階と十七条憲法を制定して、その後出したのが敬神の詔。

ほとんど学校で教わらないですが、敬神の詔は凄く大事で、ここから日本の神仏習合の始ました。

推古十五年(西暦六百七年)
「古来わが皇祖の天皇たちが、世を治めたもうのに、つつしんで厚く神祇を敬われ、山川の神々を祀り、神々の心を天地に通わせられた。これにより陰陽相和し、神々のみわさも順調に行われた。今わが世においても、神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。郡臣は心をつくし神祇を拝するように。」
という詔が発せられました。

羽賀ヒカル:今の人たちの感覚で言うと、「これは神社のことかな」と思われるかもしれませんが、当時神社はないです。

それこそ、山の神、川の神という風にして自然崇拝でした。

神道っていう概念や心という言葉も当時はありませんでした。

なのでそれを古来の日本の信仰の形として表したのが、この言葉であるということですね。

小名木善行:そういう意味で、仏教と神道を完全に調和させて定義づけました。

流れとしてお伝えすると、新羅対策の意味もありましたが、冠位十二階を制定。


羽賀ヒカル:身分制度といって良いんでしょうね。

小名木善行:それから遣隋使を派遣して、我が国の独立を宣言し、上下の調和を十七条の憲法。

羽賀ヒカル:これがですね、むちゃくちゃ深い。

これね、本当に国の政治を行う者としての心構えでもあり、またこれからの日本人がどう生きていけばいいのかっていう生き方にも繋がってくるんですね。

私も最近この憲法十七条を見直してて、「やっぱりすごいな」と思い、この憲法十七条の精神にのっとった方がいいかなって本当に思っています。

これからゆにわ塾で十七条憲法に関して配信しますが、合計どれぐらい講義されたんですか?

小名木善行:3時間。

羽賀ヒカル:3時間の講義!ゆにわ塾に入ると、見れちゃうんですね。

1ヶ月無料で入会できますので、十七条憲法の講義を聞いてみてください。

「めっちゃよかった」「本当に知れてよかった」といったお客様からのお声をいただいております。

ゆにわ塾ってどんなところ?

小名木善行:十七条憲法というと「和を以て貴しとなし?知ってる知ってる」といったことを仰る方もいるのですが、単純な「仲良くしなさい」という意味ではないんです。

第一条「和を以て貴しとなし」の文意は「仲良くしなさい、人を妬んではいけない、相手の名誉を傷つけてはいけない。その上で大事なことは、上下心を一つにして議論しましょうね」ということなのです。

なので「仲良くしないといけないから、議論しては駄目」ではないんです。

今時の学校って生徒同士で真剣に議論を始めると、「十七条憲法で和を以て貴しとなしなんだから、君たちも仲良くしなさい」といった形で曖昧にごまかすことがあるのですが、そういったことを言っているのではない。

実は僕も、十七条憲法でものすごく影響を受けた言葉があります。

これが第八条の「早朝晏退(そうちょうおそくいでよ)」というものです。

朝早く起きて、朝のうちにやるべきことを全て片付けなさいというものがあるんですね。


実は十二、三年前にこの十七条憲法のことをブログに書いたときに、改めて「やっぱり早起きの方がいいかな」と思って以来、夜型から朝型に変えて毎日午前4時に起床し、8時頃の朝飯までに一通りの仕事は全部こなす、ということを続けています。

だからブログのアップも全て早朝にやっているという形ですね。

羽賀ヒカル:なるほど。

ということで、この十七条憲法は非常に内容が深くて面白いので見ていただけたらと思います。

結び大学「聖徳太子が作った十七条憲法の本当の意味」YouTube公開分

 

四天王に勝利を願った結果は…!


小名木善行:そうですね。

さらに聖徳太子は、蘇我氏と物部氏の対立の立ち合いもありますよね。

羽賀ヒカル:ざっくりと蘇我氏と物部氏がどういう方達だったのか、お願いします。

小名木善行:簡単に言うと、仏教派と天神地祇派(今風に言うと神道派)の対立関係でした。

もう一つの切り口として、物部氏は神武天皇以来の超古代日本のご皇族に最も近い、伝統ある大豪族なのに対して、蘇我氏は新興勢力であり武内宿禰の子孫でした。

品部(しなべ)と言って、今の大和地方にある奈良の都のある辺りで、もの作りをやっていた一族でした。

品部というのは、色々な建物や土器のような食器を作る人たちのことで、それぞれの物品ごとに一族がわかれていました。

それぞれの一族は作るものが決まっていますから、みんな繁盛していたのですが、蘇我氏は特別決まって作るものがなくて割と暇でした。

そんな中、仏教が入り込んできたという。

仏教自体1~2世紀ぐらいには日本に入っていたということがわかっているのですが、6世紀中頃くらいに百済から日本に伝わって公に広がっていきました。

これを昔は仏教伝来といったのですが、このときに、百済は「唐の坊さん」と「仏像」と「仏教の経典」の三つを送ってきたのです。




仏像と経典だけなら宝箱に入れてしまっておけばよかったのですが、問題は非常に位の高いお坊さんが来てしまったんです。

それだけ位の高いお坊さんが来たということになると、そのお坊さんのために建物を作ったりお寺を作ってあげないといけない、という話になるわけです。

またお寺を作ったら、そこには仏像を置かなくてはいけなくなるわけです。

仏像を置いたら、仏像を配置するためにも飾り(お寺の本堂に天井からぶら下がっているような飾り)を作らないといけないし、お経を読む時に使う立派な経机も作らないとけない。


ところが、どこの品部も忙しいから「悪いけど蘇我さん。あんたのとこ暇だよね。ちょっと作ってもらえないかな」といって、蘇我氏が仏教系の建築や書道一切を作る一族になるわけですね。

これがめちゃめちゃ儲かった。

当時はまだ貨幣経済ではないですから、現金ではなく荘園の田んぼ(土地)で報酬をもらうわけです。

それによって荘園がどんどん増えていき、気がついたら蘇我さんは大金持ちでした。

それに対して、「生意気な奴が!」と言って怒ったのが物部さんでした。

羽賀ヒカル:物部さんはどんな一族なんでしょうか。

小名木善行:神武天皇が神武東征で畿内にやってきたときに、ナガスネヒコと対決するのですが、ナガスネヒコは最後までいうこと聞かなかったということで、ナガスネヒコの首をはねるんですよね。

そこでナガスネヒコの一族を神武天皇が全て丸ごと抱き込んでしまうのですが、その一族が物部の一族です。

羽賀ヒカル:日本近畿圏にいたっていうぐらいですし、神武天皇より古いですよね。

小名木善行:天照大神様からの直系の一族でもあるわけですね。

羽賀ヒカル:ずっと近畿圏にいて、祈りを捧げたり祭祀をしていた。

石上神宮のあたりにいて、十種神宝の神宝を持って祈りを捧げていた素晴らしい一族であったと。


小名木善行:そこへ変な頭のツルンとした変なおっさんがきて、「こっちの方が大事だぞ、こっちの方が儲かるぞ~」と言い始めたと。

それに対して「ふざけんじゃねぞこの野郎」って話になってきて。

なんと物部守屋は、仏教のお寺に行ってどんどん乗り込んでいきました。

お寺の境内の真ん中に床机(しょうぎ:折りたたみ式の椅子)をぱっとおいて、そこにどっかりと座るわけです。

なんだかわからないけど、変なおっさんが境内のど真ん中に急に座り込んで何するんだろうなと思ったら、後からバラバラと部下たちがやってきて。

「そこの寺に火をつけよ」「はいわかりました」と言って、みんなで火をつけて回る訳です。

今はライターかなんかで火をつけようとしますが、当時は一生懸命シュコシュコってやるわけです。

なかなかお寺も燃えないですし、まだ建物が新しいので木が新しく湿気が多いから簡単に燃えてくれないんですよ。

古いお堂だったら、火をつけて簡単に燃えるんですけど、新しい建築物はなかなか燃えないですよね。


ですが一生懸命火をつけて、お寺を燃やしてしまうんです。

物部守屋は「ざまあみやがれ」と燃やしますが、「守屋様、お寺は焼けたんですけど、仏像がまだ残ってます」ということで、建物は燃えたのですが中にご安置してあるでかい仏像の形が残っているんです。

「形が残っている。ならばそれを、川に捨てよ!」っていうことになり、みんなで運んで、川にぼちゃんと捨てたと。

その話を聞いた蘇我入鹿は「大切な仏様が川に捨てられた!者共続け~!」といって、川にワーッと入っていき、仏像を一生懸命拾い上げたという対立もあったりします。


こういった対立がどんどん深くなっていき、お互い「顔を見るのも嫌だ」と言う中で、前の天皇が崩御された時にお葬式があるわけです。

2人とも政府の高官ですから、お葬式には行かなくてはいけません。

お葬式でたまたま会って、お焼香をしなくてはいけないわけですよね。

「蘇我入鹿様、物部が先だろう!お前が先に行くことはないだろう」と言って、いきなり大声を張り上げて、お互いに罵り合って喧嘩するわけです。

感情的になって対立してしまい、大変な状態になるわけです。

今でも政治と政治の対立とかありますよね。

どっかの政党が街頭演説やってると「そんな街頭演説やめろ!」みたいな。

羽賀ヒカル:色々と揉めてる政党は一個しかないです。

小名木善行:そういうことが起こってついに、蘇我氏が物部邸を攻め滅ぼそうじゃないかという話になるわけですね。

ある日、物部邸に向けてワーッと行って「かかれー!」「ワーッ!」と。

物部邸はその段階で攻められると思っていないから、そんなに兵隊さんもいません。

兵隊さんがいないところに、蘇我氏は大軍を揃えてワーッと攻め込んだんです。

信長の本能寺の変と一緒。

ところが、物部守屋は非常に弓がうまかった。


屋敷の中から高い木に自分で登っていき、敵が攻めてくる中で、

「矢を持て!弓を持て!」

と言って、木の上から弓をバンバン射るのです。

雑兵には目もくれず、指揮官クラスの連中のところにビシビシ当てて百発百中なんです。

結局蘇我氏は、3度攻めて3回とも敗退します。

羽賀ヒカル:物部氏は強かったんですね。どうなるんですかこの戦い。

小名木善行:このときに、聖徳太子が「四天王様にお祈りしましょう」と言いました。

四天王というのは、仏教の守護神ですよね。

羽賀ヒカル:聖徳太子はどっち側についているんですか?

小名木善行
蘇我氏の方に付いています、四天王さんに願掛けをして、

「今宵、物部守屋を倒させてくれたならば、私は四天王をお祀りするお寺を作ります。

何とか我々の願いを叶えてくださいませ」

と言ってお祈りをするわけです。

この時の四天王は「広目天、多聞天、増長天、持国天」です。


お祈りをして4度目に攻め込んだときに、木の上にいる物部守屋に向けて、兵の1人が弓を射るのです。

それまで物部守屋は、矢が飛んできても弓でパチンパチンと払うので一発も当たらなかったのですが、その一矢がズバッと刺さるんです。

物部守屋は木から転落して、そのままお亡くなりになるのです。

これで物部の一族は大将を失って総崩れになりまして、結局中央から追われるという状態になっていきます。

 

聖徳太子は仏教推進派でなかった?!


羽賀ヒカル:なるほど。

その後、聖徳太子は蘇我氏と一緒に政治を行ったと。

小名木善行:聖徳太子は実際に摂政となったときに、最初は仏教交流の詔を出して仏教の寺院やお寺を建てていくし、法隆寺も建てるわけです。


そして、そのお寺には全部証明を与えます。

そうすると仏教の人たちは

「自分たちの信仰を一生懸命やっていれば荘園ももらえるし、飯も食わしてもらえるし、朝廷も認めてくれてる。

ああ安心だな。これで安心して仏教をしっかりと学び広げていくことができるんだな」

というふうに思うようになるわけです。

その段階で、さっきお伝えした敬神の詔をズバッと出した訳です。

羽賀ヒカル:なるほど。

つまり、物部が大事にした神道もしっかり残そうとしたということなんですね。

小名木善行:だから聖徳太子というのは、最終的に大調和を作っていく訳ですよね。


羽賀ヒカル:神道と仏教、当時は儒教や道教的なもの、ユダヤ教もあったかもしれませんが、そういった様々な宗教や思想を調和していこうとした、ということですね。

小名木善行:これに大成功して、日本はいろんな世界中の文化を吸収しながら、それらを全部調和させていくことができるという稀有な民族として、1400年かけて育ってくるということになっていきました。

 

そういう意味で現在は混迷の時代と言われていますが、この混迷の時代にこそ、聖徳太子のご実績を改めて1から学んでいくことは、めちゃめちゃ良いことになるんじゃないかなと思います。

 

今、なぜ「みたましずめ」が必要か?


羽賀ヒカル:ということで、2023年は聖徳太子の教えを深めていく「みたましずめ」という講座をやります。

なぜみたましずめかと言うと、やはり当時の日本人は信仰心に熱かったです。

あらゆる天変地異、災害、トラブルの根底にある意識の根底には、ネガティブな想念があると考えられていたということですね。



聖徳太子も鎮魂の儀式や魂や意識を鎮める祈りを行っております。

神道の祈りの中でも本当に最も重要なものが、みたましずめ、鎮魂です。

冒頭でお伝えしたように、この現代社会の中では知らず知らずのうちに侵略されたり健康を害したり意識の中にネガティブな想念が入り込むといった社会だと思うんです。



昨日も師匠北極老人喋っていて、「地獄であるということにすら気づかないような社会にされている」ということを仰っていました。

だからこそ、日本人の魂、大和魂を蘇らせるためにも、今年はみたましずめの企画を行います。

ということで、皆様のご参加お待ちしております。

本講座は4月からスタートし、ゆにわ塾会員の方には、案内させていただいております。

ゆにわ塾は1ヶ月無料でご入会できます。

小名木先生の十七条憲法の3時間解説セミナーだったり、家を神社化するための知恵をお伝えするグランドセミナーも今月行っております。

これらも、むちゃくちゃ面白いので見ていただけたらと思います。

ということで、どうもありがとうございました。

小名木善行:ありがとうございました。

・神社チャンネルのこちらのYouTubeバージョンもご覧ください。↓


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この記事をまとめた人

ゆうすけ
ゆうすけ
ゆにわ塾歴2年。25歳のフリーターです。毎日、ゆにわの学びを実践するつもりで、仕事や家事と向き合っています。座右の銘は、「大丈夫、なんとかなる!」(笑)

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