日本書紀とは?登場人物や古事記との違いを解説します
こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。
『日本書紀』は、奈良時代の720年に完成した日本最古の歴史書です。天武天皇の命により39年の月日をかけて編纂され、全30巻という膨大な長さになっています。
橋本ユリ
日本の歴史を学ぶにあたって重要視されている日本書紀には、具体的に何が記されており、一体どのような歴史が伝えられているのでしょうか?
古事記との違いも解説しながら、詳しく紹介していきます。
それでは参りましょう!
1.日本書紀とは
日本書紀は正史が記された日本最古の歴史書とされています。現代の奈良県で編纂が始まりました。
内容としては、神様が日本を作り上げる「神代」と、歴代天皇が国をおさめる「天皇記」に分けられます。
古代日本の律令国家が初めて編纂をした歴史書が日本書紀でした。なお、律令国家が編纂した歴史書は6つあり、総称して「六国史(りっこくし)」と呼ばれています。
六国史の一覧は下記の通りです。
- 日本書紀:720年
- 続日本紀:797年
- 日本後紀:840年
- 続日本後紀:869年
- 日本文徳天皇実録:879年
- 日本三代実録:901年
これら六国史は国家が正式に編纂を行った書物であるため、ここに書かれている内容は日本の正史として扱われています。
また、日本書紀自体には成立経緯は記されておらず、2番目に成立した「続日本紀」に日本書紀の成立経緯が記されています。
日本書紀は古代日本において初めて国家をあげて編纂された書物であり、皇室の歴史的な位置づけを行うなど、政治的な要素の濃い書物でした。
書かれた年代
日本書紀は奈良時代の681年に編纂が始まり、720年に完成しました。
年代的には、神が日本を作り上げる神代から、持統天皇(じとうてんのう)が日本を統治した697年までの出来事が記されています。
日本書紀は、2020年に成立してちょうど1,300年を迎えます。それに伴って東京国立博物館では「出雲と大和」という特別展が催されます。
こちらのイベントでは、出雲大社のご神宝や、弥生時代の青銅器、仏像など普段は見ることのできない貴重な文化財が展示されます。
イベントは2020年1月15日から3月8日までの期間で催されます。気になったらぜひ足を運んでみてください。
作者
日本書紀の編纂の始まりは、天武天皇が川島皇子を含む12名に「帝紀」と「上古諸事」の編纂を命じたことだったと言われています。
帝紀と上古諸事は日本の歴代天皇の系譜をまとめた書物です。現存はしておらず、編纂の際に日本書紀や古事記に吸収されたそうです。
このような経緯で日本書紀の編纂は始まりました。日本書紀は誰か一人が作ったものではなく、複数の人の手によって長い年月をかけて編纂されていったのです。
中でも天武天皇の子である「舎人親王(とねりしんのう)」が中心となって日本書紀を作り上げたとされています。
舎人親王は天武天皇5年(676年)に、天武天皇と新田部皇女(にいたべのひめみこ)との間に生まれました。いつから日本書紀の編纂に関わっていたのかは明らかになっていませんが、日本書紀編纂の主宰者だったと伝えられています。
舎人親王は720年の5月に日本書紀を皇室に上奏しました。
その後は知太政官事(ちだいじょうかんじ)に就任し、皇親政治(こうしんせいじ)の樹立のために働き、735年に亡くなりました。
どんな内容?
日本書紀は大きく分けて「神話」と「天皇記」の2つに分類されます。日本書紀では神代よりも史実である天皇記を中心として記されています。
橋本ユリ
それぞれの内容について解説をしていきます。
【神話】
神代では神様が誕生する天地開闢から、日本の初代天皇である神武天皇が誕生するところまでが記されています。
物語は、まだこの世に何もなかった時代に神様が誕生したところから始まります。
神世七代(かみのよななよ)の最後の神として誕生したイザナギとイザナミは、天の神々に国生みを命じられ日本を作り上げていきました。イザナギとイザナミが日本で最初に作った島は淡路島だと記述されています。
国生みが終わった後はアマテラス、ツクヨミ、スサノオなど現代の神社でも祀られている有名な神々が誕生していきます。
天の世界と黄泉の世界の間にある地上世界は、葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ばれ、ここでも様々な神々が誕生していきました。スサノオがヤマタノオロチを倒したのも葦原中国での出来事です。
さて、大勢の神々が葦原中国で活躍をしていたころ、天の世界ではタカミムスビという神様が「自分の孫であるニニギに葦原中国をおさめさせたい」と考えていました。
しかし、地上世界は様々な神が好き勝手にしており、とてもおさめられるような状況ではありませんでした。
そこでタカミムスビは、まずは葦原中国を平定させようと思い、八百万の神々を集め「葦原中国に誰を派遣するべきか?」と問います。その後、天の世界から地上世界へ様々な神様が派遣されるのですが、なかなか葦原中国は平定されませんでした。
最終的にはフツヌシとタケミカヅチが地上に降り、葦原中国を平定させました。こうして無事にニニギが地上世界をおさめることになったのです。この一連の物語は「国譲り神話」と呼ばれます。また、ニニギが葦原中国へ天下ったことを「天孫降臨(てんそんこうりん)」といいます。
そして、日本書紀の神話は「神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)=神武天皇」が誕生したところで終了します。神武天皇はニニギの曾孫にあたり、またアマテラスの子孫でもあります。
【天皇記】
神武天皇は日向国(ひゅうがのくに)で誕生しました。日向国は今でいう九州地方のあたりです。
天皇記では神武天皇が国をおさめるところから、第41代天皇である持統天皇の世代までの物語が記されています。
天皇記は、天皇がいかにして国をおさめていたか、皇族につかえる将軍はどのように活躍したかなど、皇族にまつわる物語を中心として描かれています。
有名なところでは、日本の各地で活躍をしたヤマトタケルの逸話・三韓征伐を成し遂げた神功皇后・桃太郎のモデルとなった吉備津彦命・現代で八幡様として祀られている応神天皇などが挙げられます。
面白いお話だと、雄略天皇の時代に昔話「浦島太郎」に関する記載がされています。
内容としては「水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)が釣りをしていると亀が釣れ、たちまち女性の姿に変わった。浦嶋子はその女性を妻に娶り、海中に入って蓬莱山へ赴き仙人たちに会って回った」というものです。
記述内容はこれだけなので非常に短いですが、これが浦島太郎の原作だったのではないかと言われています。
このように様々な物語が記されている日本書紀は、女帝である持統天皇までの史実が綴られています。持統天皇は女性天皇でありながら自ら政策を行い、また夫である天武天皇に様々な助言をしていました。
天武天皇は壬申の乱で勝利したことで天皇に即位しました。壬申の乱は、天智天皇の息子である大友皇子に対し大海人皇子(後の天武天皇)が反乱を起こしたことで始まった戦です。反乱者側が勝利をおさめるのは非常に珍しいことでした。
なお、日本書紀には「持統天皇が大海人皇子と共に壬申の乱を謀った」というような記述がされています。このことから壬申の乱の首謀者は持統天皇だったのではないかという説が上がっています。
天武天皇の治世は13年間続きましたが、686年に病死したために終了しました。そして689年、本来皇位を継ぐはずであった草壁皇子もまた病死してしまったため、皇后が皇位を継ぐことになり持統天皇の治世が始まったのです。
日本書紀は第41代天皇である持統天皇の世代で終わっています。続く第42代天皇・文武天皇(もんむてんのう)からの物語は「続日本紀」へと移行して記述されています。
登場人物
日本書紀には多様な登場人物が出てきます。
橋本ユリ
主要な登場人物を一部紹介させてもらいます。
【神話】
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
→この世で一番初めに生まれた神様。 - 伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)
→日本を作り上げた男女一対の神様。 - 天照大神(あまてらすおおかみ)
→高天の原を統治する天の神様。 - 八岐大蛇(やまたのおろち)
→老夫婦の8人の娘を毎年一人ずつ喰らう怪物。 - 須佐之男命(すさのおのみこと)
→ヤマタノオロチを成敗した海の神様。 - 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
→葦原中国の平定を命じた天の神様。
【天皇記】
- 神武天皇(じんむてんのう)
→天照大神の血を引く日本の初代天皇。 - 崇神天皇(すじんてんのう)
→四道将軍(しどうしょうぐん)を各地に派遣した。 - 吉備津彦命(きびつひこのみこと)
→桃太郎のモチーフになったとされている人物。四道将軍の一人。 - 景行天皇(けいこうてんのう)
→ヤマトタケルの父。 - 日本武尊(やまとたけるのみこと)
→熊襲征伐や東国征伐を成し遂げた英雄。 - 神功皇后(じんぐうこうごう)
→身重で三韓征伐を成し遂げた女傑。神功皇后紀において「魏志倭人伝」の卑弥呼の記述を引用していることから、神功皇后と卑弥呼が同世代の人物だったことを示唆している。 - 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
→武力によってヤマト王権の力を拡大させた。 - 天武天皇(てんむてんのう)
→日本書紀の編纂を命じた天皇。 - 持統天皇(じとうてんのう)
→天武天皇の皇后。 - 藤原不比等(ふじわらのふひと)
→日本初の律令「大宝律令」の編纂に携わった人物。
他に天皇記では、恐らく誰もが知っているであろう「聖徳太子」が登場します。聖徳太子は第33代天皇である推古天皇の皇太子であり摂政も務めました。
聖徳太子の有名な話では「一度に十人の話を同時に聞けた」というものがあります。他にも、生まれながらにして言葉を話すことができ、十七条憲法を作り上げ、未来を予言したなど、超人的な逸話まで残されています。
歴史家の間では「聖徳太子は架空の人物」という説が濃厚になってきており、やがて日本史の教科書から姿を消すのではないかと言われています。
色々な登場人物を紹介させてもらいましたが、他にもたくさんの神様や人物が登場します。
日本書紀の全文を読むのであれば「日本書紀 全現代語訳」という書籍がおすすめです。上下巻に分かれておりボリューム的には多いですが、日本書紀の全文が分かりやすく現代語訳されています。
日本書紀の入門書としてもおすすめなので、書店で見かけたらぜひお手に取ってみてください。
日本書紀と古事記の違い
日本書紀と古事記は似ているようで実は全く違ったものです。それぞれの特徴は下記の通りです。
『日本書紀』
巻 数:全30巻+系図1巻
主 軸:天皇記
編纂期間:39年
世 代:持統天皇(697年)まで
記述方法:漢文、編年体
『古事記』
巻 数:全3巻
主 軸:神代
編纂期間:4ヶ月
世 代:推古天皇(628年)まで
記述方法:変体漢文、物語形式
日本書紀での神話は全30巻のうちたったの2巻ですが、古事記では3巻のうち1巻が神話にあてられています。
また、日本書紀は当時の東アジアで公用語だった漢文で書かれているのに対し、古事記は変体漢文という日本独自の表記で書かれています。
橋本ユリ
つまり、日本書紀は外国人でも読めるように作られた歴史書だったということになります。
古事記は日本書紀と比べ神話の要素が強く、また、ドラマチックな脚色がされている話も多いです。
例えば古事記では「因幡の白兎」の物語が有名だと思いますが、日本書紀には因幡の白兎の物語は記載されていません。
このことから、日本書紀は世界へ向けて史実に基づいて作られた歴史書であり、古事記は国内の娯楽向けに作られたとされる見方が強いです。
現代においては日本書紀よりも古事記の方が一般的な認知度が高く、マンガ版の古事記やイラスト付きの古事記翻訳本などが出版されています。
神秘的な神様のお話や脚色が施されている古事記の方が物語的に面白く、またストーリーが一本道で構成されているため読みやすさも勝っています。
日本書紀はあくまでも正史の歴史書であり巻数も多いため、一般的には少し読みづらい部分があるようです。
とはいえ日本書紀にも、全文翻訳をした本やイラスト付きの分かりやすい本も多数出版されています。気になったらぜひ読んでみてください。
まとめ
日本書紀は、日本の成り立ちから天皇が国を統治するところまでが記された歴史書です。
神話については漫画やゲームなどでオマージュされていることが多いため、知っている神様の名前や物語が多々あるのではないかと思います。天皇記からは史実に基づいた歴史となってくるので、一般的な認知度は高くないようです。
原文は膨大な長さで、しかも漢文で書かれているため読むのは大変ですが、分かりやすい現代語訳であれば読みやすいと思います。
橋本ユリ
全国各地には日本書紀ゆかりの地や神社がたくさんあります。日本書紀を読んだ上で各地を回ってみるのも面白いかもしれませんね。
この記事をまとめた人
- 神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)
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