【役行者】霊山のパワーを会得し自在に駆け抜けた山伏のルーツ
こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。
古来、神社がまだ創設される以前は、神秘的で不思議なパワーを持つ場所を、神が鎮まる御神体として崇め、神籬(ひもろぎ)などの祭壇で祀り聖地としてきました。
その聖地からパワーを得るため、山奥深くまで分け入って修行し、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰・修験道を開祖したのが役行者(えんのぎょうじゃ)です。
実は、険しい山の奥地で厳しい修行をする山伏たちは修験道を行っているのです。
役行者は修験道を広めた貢献者でありますが、その生涯は奇想天外で、幼少の頃より才覚を発揮し、多くの逸話や伝説を残しています。
現在でも文芸作品に登場し、その奇抜な人物像が人々を魅了しています。
それでは参りましょう!
目次一覧
役行者とは
役行者は実名ではなく敬称で、他に役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られています。
この呼称は平安期から使用されだしたものです。
この役行者とは何者か、出生と信仰の開眼、山岳信仰をどのように擁立して広めたのかをみていきます。
出生
・本名
姓が役公(えだちのきみ)、名が小角(おづぬ・おづの・おつの)で役小角(えんのおづぬ)が通称
・生没
舒明天皇6年(634年8月10日) 生 - 大宝元年(701年7月16日)昇天
・出生地
大和国葛木上郡茅原(ちはら)の里、本山修験宗大本山・茅原山・金剛寿院
・父
高加茂朝臣(たかかものあそん) 大角(おおづぬ):高鴨神に奉仕、別名:高加茂役君(かものえだちのきみ) 加茂間賀介麻(まかげまろ)
・母
渡都岐比売(とときひめ) 大伴金村に滅ぼされた大臣物部真鳥の娘 別名:白専女(しらとうめ)・刀自女(とらめ)
父方役氏(えんうじ)は、三輪系氏族に属する天津神・国津神の属する氏族。
葛城流加茂氏から出た氏族なので、加茂役君・賀茂役君(かもえんのきみ)と呼ばれ、役民を管掌した一族であったため、「役」の字をもって氏としたとされます。
奇跡の誕生
633年11月1日、母が24歳の時、熊野に参詣した際、天空に金色に輝く金剛杵が静かに降りてきて口に入ったという不思議な夢を見て受胎されます。
誕生の際には産室が蘭の良い香りで満ち、手に一枝の花を握ってお生まれになったとも云われています。
信仰の始まり
役行者3歳のときのこと、幼少より天性聡敏であったため、賀茂氏の子は不動明王の化身であると本縁が明らかになり、7歳のときには、仏耒(ぶつらい)をこころざした、といいます。
仏耒とは「修行により己と仏とが全く一体であることを瞑想・観仏できること」で悟りともいいます。
9歳のときに出家して「役優婆塞(えんのうばそく)」を名乗り、叔父の願行に仏教を学んでその蘊奥(うんおう)を極め、孔雀明王の呪を体得してその秘法を自在に駆使し、人々を救いました。
その秘法とは、孔雀明王を本尊とする真言密教の祈願法のひとつで、あらゆる悪病・毒悪・災害・災厄を取り除くことができます。
17歳のときには日夜修行に励み、すさんでいた人心を救い、19歳のときに母から「大峯縁起」を相伝され、家を出て長期の山獄修行に入ります。
呪術に優れ、神仏調和を唱え、20代の時には、藤原鎌足が脳を病んだ時に、七日間に渡る祈祷で、憑依した狐を落とし、生霊の恨みを鎮め、病を治癒しました。
さらに役行者は、霊山などの修業で得た神秘的な力を駆使して、衆生救済に携わり、秘符を用いて病気を治したと「役行者霊験記」にあります
「諸山縁起」の「役行者の熊野参詣の日記」によると、686年の53歳のとき、熊野参詣で雄山・紀の川・藤代・逆川・塩屋・切目などで中臣祓いや般若心経などによって魔物や穢れを祓って熊野に達し、文武天皇の病気平癒を祈祷しました。
701年、1月に大赦があり、茅原に帰りますが、翌年の6月に箕面山の奥の印にあたる天上ケ岳で入寂したと伝わっています。
享年68歳で、伝記では天昇されたとなっていますが、この天上ケ岳山中にお墓があります。
山岳修行の履歴
役行者は葛城山(金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峯の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築きます。
金剛蔵王とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王で、権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意味で、仏・菩薩・諸尊・諸天善神・天神地祇全ての力を包括しているということになります。
34歳のときに信託により、翌年熊野から大峯山に入り、百日で金峯山に達し、山上ヶ岳で蔵王権現の示現に出合って法力を得、4月から7月の90日間、山中の三世の諸仏に花を供え、7月中旬に下山し70日で熊野に至りました。
これが順峰・華供峰・逆峰の始まりで、その後64歳まで逆順三十三度の峰入りを行い、弟子にした前鬼(儀学)と後鬼(儀賢)を従い、大峯山中の岩屋に住み、法華経・胎蔵界・金剛界の曼陀羅を持して激しい修行で修験道を確立しました。
修行を行った霊山
近畿
- 金峰山
- 生駒山
- 葛城山
- 笠置山
- 愛宕山
- 伊吹山
関東
- 大山
- 八菅山
- 筑波山
- 二荒山
北陸
- 白山
- 立山
東北
- 出羽三山
- 羽黒山
- 湯殿山
西日本
- 伯耆大山
- 石鎚山
- 彦山
- 阿蘇
- 霧島
開基した寺
茅原寺・金剛寺・吉野寺・地福寺・竹林寺・御室戸寺
役行者霊蹟札所会
役行者が得た蔵王権現・法規菩薩、それを山岳抖藪(さんがくとそう)の実践行を通じて得られた神通力によって、人々を救済してきました。
日本古来の山岳信仰を、役行者などの山林修行者によって、道教・儒教などの外来の宗教が結び付き、次第に組織化・体系化されたのが修験道です。
その精神を1300年の長きに渡って継承している三十六寺社が札所とされています。
霊蹟札所を巡礼することで、役行者の数々の軌跡をお聞きすることができるでしょう。
- 奈良県吉野山:金峯山寺・如意輪寺・竹林院・櫻本坊・喜蔵院・善福寺・大日寺・東南院・吉永神社
- 奈良県他地区:龍泉寺・大峯山寺・菅生寺・吉祥草寺・室生寺・大野寺・霊山寺・松尾寺・朝護孫子寺・千光寺・實山寺
- 和歌山県:高野山巴陵院
- 京都府:醍醐寺・聖護院門跡
- 大阪府:神峯山寺・千手寺・興法寺・天龍院・法楽寺・弘川寺・観心寺・転法輪寺・松尾寺・七實瀧寺
- 滋賀県:伊吹山寺
- 三重県:飯福田寺・世義寺
弘法大師空海との関係
役行者が霊山での厳しい修行で会得した数々の呪術、それによる奇跡は修験道とされ、密教として全国的に広まっていきました。
それは悟りを第一とするものでなく、超自然的能力の獲得をこそ主目的とする雑密(ぞうみつ)でした。
弘法大師空海は若いころに好んで山中歩きを好み、吉野山から生駒山・大峯山・玉置山などを巡って厳しい修行を重ね、そこで修験道に出合います。
中国より戻った弘法大師空海は悟りとは純密(じゅんみつ)で、「自らの心をあるがままに知ることである」とし、真言密教の教えをこう説きます。
- 即身成仏:この身のままで仏になる
- 法身説法:普遍的な真理をそのまま人格化した大日如来の直接の説法
- 三密加持:身体と言葉と心を仏と一体化する
- 如実知自心:あるがままに己の心を知る
紀伊山地は神々が宿る地として崇拝されてきた山地であり、信仰における修行の場として確立されました。
- 吉野山・大峯山=修験道霊場
- 熊野三山=神仏習合霊場
- 高野山=真言密教霊場
これをつなぐ参詣道が生まれ、日本における宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。
弘法大師空海が若いころに出合った修験道もこの三霊場の参詣道での行き来によって、山岳仏教の教えを伝える寺院に真言密教を融合させることができました。
役行者の伝説
役行者を語るうえで、数々の奇跡と奇想天外な行動を外すことはできません。
修行による霊力なのか、大袈裟な逸話なのかは、記された書物から解き明かせませんが、その地に伝説が残り、語られ祀られていることから、絵空事ではないことは確かです。
まずは、伝説の中でよく知られる伊豆島への流刑については、2つの書物に違う内容で記されています。
続日本紀
伊豆島流刑
36歳のとき、役行者は突然伊豆島に流されます。
その当時、葛城山に住み、呪術で里人を救済していたため評判が良かったのですが、師と仰いでいた韓国蓮廣足がその能力を妬みます。
「役行者は鬼神を自在に操り、水を汲んだり薪をとらせているが、もし命令に背くなら、呪術によって身動きが取れないようにしてしまう、得体の知れない魔力を操るものです」
このような誹謗中傷を朝廷に告発したため、役行者の魔力を恐れた朝廷は伊豆島に流したのです。
日本霊異紀
一言主神と伊豆島の奇跡
孔雀明王の呪法を取得した役行者は、鬼神たちに「金峯山と葛城山に橋を架けろ」と途方もない無理難題を言いつけます。
困った鬼神たちをみかねた葛城山の一言主神(ひとことぬし)が人に憑りつき、「役行者が文武天皇を抹殺しようとしている」と託宣させます。
文武天皇は役行者を捕縛しようとしますが、不思議な力を発揮し逃げてしまいます。
そこで母を捉えておびき出すと、自ら捕縛されて伊豆島に流されます。
島に流された役行者は、昼はおとなしくしていましたが、夜になると富士山に登って修行し、遂に飛行の術を会得して、あちこちに跳び回り、江の島の裸弁天の影向などを拝します。
インドに出向いて金剛三蔵が建立し塔婆に納めた160の仏舎利を日本に持ちかえり熊野本宮に安置、その後は「大峯縁起」の相伝者にも3粒分けたりなど、役行者は配流されながらも縦横無尽に修行・布教していきます。
これも天皇に讒言した者がいて、今度こそ極刑にされそうになりますが、その後不思議なことが起こります。
都から役行者を殺すために来た使者からその刀を乞い受けて刃を舐めると、なんと冨慈明神の上表文が浮かび上がったのです。
驚いた使者が都に戻って言上し、天裁を仰ぐと翌正月にようやく罪が許されました。
なお、役行者を陥れた一言主神は、役行者の呪術でずっと呪縛されていたそうです。
その他の伝説
・前鬼と後鬼
役行者が生駒山で修行をしていたとき、前鬼と後鬼が修行の邪魔をするので、呪術を使って鬼を捕まえます。
その鬼たちは里人に危害を加える荒神だったため、自由を奪い術を使って大人しくさせると、やがて弟子となり、
役行者の身辺警護役として、その後の山岳修行で活躍するようになりました。
・二上山の大蛇
母から「大峯縁起」を相伝された役行者は、長期の山嶽修行に入って二上山に登り、摂津の箕面の滝本に千日籠ったあと、生駒山の麓「平群の里」で清水が流れる小川を見つけ、その源流を探しに山中に入ります。
すると、轟々と流れ落ちる滝の所で約9m、真っ赤な長い舌を出して今にも襲おうとする大蛇に出くわします。
役行者は岩上に立って右手に鍚杖、左手に数珠を持って孔雀明王の真言を唱え、カッと睨み返しますが、大蛇は一瞬怯んだものの鎌首をもたげて襲い掛かります。
そのとき、素早く鍚杖を振るって脳天に一撃すると、大蛇は白髪の老人に。
「この地は仏の住まう霊地、そなたはここで修行されるがよい」と告げると忽然と姿を消し、後に八尺地蔵が建っていました。
・投入堂
鳥取県三朝町の三徳山は、役行者が706年に開山し、849年に円仁が三仏を安置して三佛寺とされました。
その奥院は山の断崖の窪みに建造された平安時代の懸造り木製堂で、平安密教の数少ない遺構であることから、国宝に指定されています。
ここは役行者が蔵王権現などを祀った仏堂を法力で山に投げ入れたという言い伝えから、「投入堂」とも呼ばれています。
役行者にまつわる伝説では、不思議な力を駆使して、空を跳び、野山を駆け巡り、鬼神を自在に操った人とされていますが、実際にも数々の不可思議な実績を残した偉大な修行者であり、修験道の開眼者として崇められています。
4.役行者に関連する神社
役行者が開山し、信仰のために創設したものはほとんどが寺院です。
密教であるため、神社と関りは多くはないですが、その中で霊山での修行における創設や関わった社があるのでご紹介します。
4-1.吉水神社(吉野山)
奈良吉野、金峯山寺、吉永神社、如意輪寺・後醍醐天皇陵、吉野神宮。旅の終わり後醍醐天皇参り。 pic.twitter.com/QpKGV8cY3r
— ミヤ (@miya_btm) 2018年10月23日
奈良県吉野山に鎮座する吉水神社は、元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役行者が創立した、格式の高い僧坊で、明治時代の神仏分離により、御醍醐天皇の南朝の皇居であるため、吉水神社と改められました。
文治元年には追手を逃れた源義経と静御前が弁慶らとともに隠れ住まわれた地でもあります。
また、秀吉が桜の満開の下、多くの宴を開いたことなどもあり、世界遺産の書院には後醍醐天皇・義経・秀吉の遺品が展示されています。
住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山579
アクセス:JR吉野駅・近鉄吉野駅からロープウェイ経由で吉野山駅 徒歩5分
御祭神:御醍醐天皇・楠木正成公・吉水院宗信法印公
ご利益:邪気払い(九字真法) 悪い気を清め祓うことができます。
4-2.天河大弁財天社(吉野)
天河大弁財天社
噂の勢いが良すぎる手水舎(*^^*) pic.twitter.com/O1JMXz385z
— 二代目 波夷羅 (はいら) (@haira_2) 2015年3月31日
役行者が霊山大峯の開山を行い、その折大峯蔵王権現に先立って勘請され、最高峰弥山の鎮守として祀られたのが天河大弁財天のはじまりです。
その後天武天皇のご英断により社が建てられ、吉野総社としての社名も確立されました。
また、弘法大師空海が高野山の開山に先立って、大峯で修行をしたときの最大の行場が天河社でした。
そのため、大師が唐から持ち帰られた密教法具「五テン鈴」など、大師にまつわる遺品が保管されています。
「大峯第一、本朝無双、聖護院、三宝院両御門跡御行所」とあるように、宮家の門跡就任の奉告するための入峯は最も重要大切な行事でした。
峯中の大秘法「柱源神法(はしらのもとのかみののり)」の基づく修法の数々が確立され、「八字文殊法」は門跡参籠修帰依の史実を裏付けるものです。
住所:奈良県吉野郡天川村坪内107
アクセス:近鉄吉野線・下市口駅下車 奈良交通路線バス「中庵住行」乗車→「天河神社前」下車
御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・熊野坐大神・吉野坐大神・南朝四代天皇の御霊・神代天之御中主神より百柱の神
ご利益:芸術運気上昇・金運上昇・開運・勝運・立身出世・商売繁盛・縁結び・学業成就
4-3.日本第一熊野神社(岡山)
※
日本の神社
熊野神社 (くまのじんじゃ)
役小角が紀州本宮を勧請した「日本第一」、室町期の本殿が現存
岡山県倉敷市林684
神社と古事記より https://t.co/pByMKKcEgr
動画はこちら ⇩https://t.co/k5HwFPu13D pic.twitter.com/vW1HdLH0pQ
— ✿「風 Ⅱ」✿ (@kimagasenohaha) 2018年7月22日
役行者は紀州・熊野大峯の山々で修行を重ね、大きな力を会得し、人々を救済してきましたが、その力を妬み恐れた者によって伊豆大島に流されてしまいます。
高弟たちは紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて瀬戸内海に逃れ、児島の柘榴浜に上陸し、701年に福岡の里と呼ばれるこの地に鎮座祭典しました。
740年に聖武天皇が児島一円を本宮の御神領として社殿を建立、孝謙天皇紀には、紀州熊野権現に対して日本第一の称が与えられました。
761年には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整えましたが、明治時代の神仏分離により、現在では宗教法人熊野神社、宗教法人修験道五流尊瀧院と呼ばれています。
住所:岡山県倉敷市林684
アクセス:岡山駅から下電バス興除線(JR児島駅行)→熊野神社入口下車徒歩7分、または倉敷駅から下電バス天城線(JR児島駅行)→熊野神社入口下車徒歩7分
御祭神:伊弉冉尊(イザナミノミコト)・伊弉諾尊(イザナギノミコト)・家都御子神(ケツミコノカミ)・速玉之男神(ハヤタマオノカミ)
ご利益:厄除開運・病気平癒・除災招福・商売繁盛・五穀豊穣・安全祈願・心願成就
4-4.秩父今宮神社(埼玉)
秩父市中町 旧村社 今宮神社(八大龍王宮)参詣、御祭神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 須佐之男命 八大龍王神 宮中八神 役尊神(役小角=役行者) 聖観世音菩薩 弁財天1️⃣🐲龍上観音🐉樹齢 千年を超える大欅、龍神木には空洞があり昔から龍神様の住処といい伝えられているそうです pic.twitter.com/Vpl4YAt0Sa
— あきちゃん@ゆっくり 前向きにஐ*⋆ (@akichan0923) 2017年3月2日
秩父今宮神社は信州諏訪の勢力が西暦100年前後に武甲山の霊泉に水神を祀ったのが始まりで鎮座します。
672年には秩父の勢力は役行者の導きで天武帝に協力したことを期に秩父は発展、役行者は修行に訪れた際、霊泉の傍に観音菩薩の守護神「八大龍王」を合祀し、後に「宮中八神」と習合され「八大龍王宮」「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となりました。
1535年、京都の今宮神社から須佐之男命をこの地に勘請したのは疫病が猛威を振るったため、疫病退散を願ったからで、本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となるなど、修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在、神仏習合の一大霊場となりました。
住所:埼玉県秩父市中町16-10
アクセス:秩父鉄道・お花畑駅下車徒歩7分 または西武鉄道・西部秩父駅から徒歩13分
御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・須佐之男命・八大龍王・役尊神・龍上観音
ご利益:災難除け・癌封じ・病気平癒・・厄除け・金運招福・開運招福・商売繁盛・社運隆昌・安全祈願・良縁祈願
4-5.白山神社(石川)
加賀 一ノ宮、白山比咩神社。石川県白山市。本日。霊峰白山を御神体とする古社で、全国3000社存在する白山神社の総本宮。境内は杉や欅に囲まれていて、非常に趣に富んでいる。今晩は獅子吼高原付近に宿泊している。虫の音を聞きながら目を閉じると、幼い頃の懐かしい記憶が蘇った。 #KazukiMiya1nomiya pic.twitter.com/G8g3pAzo5P
— Kazuki 宮 (@KAZUKIbyM) 2019年7月22日
霊峰・白山は二つの信仰が存在し、一つは山の神に感謝を捧げて眺め崇敬する「遥拝」でした。
もう一つが山中に分け入って厳しい修行を積んで宗教的境地を目指す「修験」で、役行者は北陸での修行の場にここを選んだのです。
717年、越前の僧・泰澄が初めて白山に登拝し、翌年に奥宮を祀って以降、全国から修験者があつまる聖地となりました。
御鎮座二千百年を超える白山神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
住所:石川県白山市尾添
アクセス(奥宮):金沢駅から別当出合登山口までバス運行→登山路約6㎞で徒歩3~5時間で山頂付近に到着
御祭神:菊理媛尊(くくりひめのみこと)
ご利益:人生の縁結び・復縁・商売繁盛・家内安全・事業発展・厄除け
4-6.伊豆山神社・役の小角社(熱海)
金峯(きんぼう)神社。
鶴岡市の金峯山に鎮座。旧県社。
大同年間に創建され、後に奈良吉野の金峯神社を勧請。役小角が開基し、蔵王権現を祀ったとも言われます。明治の神仏分離で、大国主ほかを祭神と改める。
山域全体に社殿が点在してますが、羽黒山で疲れたので中の宮だけ参拝。 pic.twitter.com/leHhk2dOVR
— 伊穂明 (@an_ioaki) 2019年8月27日
伊豆山神社は役行者が伊豆島に流されて後、富士山での修行で会得した飛行の術を使い、日金山に飛来し祀られたことから伊豆大神として崇められています。
平安時代後期より、鳥羽上皇をはじめ貴族や民衆に歓進、富士山に一切経を奉納する偉業を成し遂げ、富士登拝が霊峰富士登山の始まりとなりました。
この偉業は、鎌倉・戦国・江戸時代にまで影響を与え、篤く祀られました。
境内に鎮座する足立権現社は、役小角の銅像を祀っていることから役の小角社とも呼ばれています。
厳しい修行で多くの霊山を開山したことから、足腰守りが授与されています。
住所:静岡県熱海市伊豆山70
アクセス:JR熱海駅から伊豆山神社行バスで約7分
御祭神:伊豆山神(役行者)
ご利益:縁結び・良縁祈願・病気平癒・厄除け・商売繁盛・心願成就・安全祈願
5.まとめ
役行者の生涯と山岳信仰の発展と貢献、さらに奇想天外な伝説などもみてきました。
その地に鎮まる神の存在を知ることができ、また近づくことができる者は限られていました。
御神体のもつパワーを会得するためには、山に籠り、己に厳しい課題を呈してさらに深め、人を超越する技を身につけなければなりません。
その力で人々を救済することが宿命となって、役行者はひたすら修行に励みました。
しかし、その神業が畏れられたとき、人の業によって運命が変わろうとしますが、それを乗り越えさらなる頂を目指した志の高さは、誰も止めることができませんでした。
役行者が開いた寺院でその功績の数々をお聞きになってください。
この記事をまとめた人
- 神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)
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