神社チャンネル

神道専門家の羽賀ヒカル監修のもと、新米巫女の橋本ユリが、
神社に関する知識をわかりやすく解説します。

日本人なら知っておきたい神社とお寺の違い

2022年3月29日

あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。

今回のテーマは、神社とお寺の違いです。

橋本ユリ
羽賀さん、最近行ったお寺の中に、小さい祠(ほこら)がたくさんありました。

神様も仏様も一緒におられるのですね。


羽賀ヒカル
明治までは、それが普通だったんですよ。

これを神仏習合(しんぶつしゅうごう)と言ったのです。


神社とお寺の違い


ざっくり言うと、「神社=神道」「お寺=仏教」と考えている方が多いと思います。

仏教は、インドから中国、そして日本と伝わって来ましたが、「神仏習合」(※注1)という言葉があるように、明治維新まで、お寺なのか神社なのかがよく分からない神社がありました。

※注1:神仏習合(しんぶつしゅうごう)
神と仏とを調和させ、同一視する思想で、神道と仏教の同化を示すもの。 奈良時代に起源をもち、神宮寺の建立が行われ、神のための納経があった。


また、今は神社でも、元々はお寺だったところもあり、代表的な神社が香川県の金比羅山宮(こんぴらぐう)です。


祀られてる神様は、元々は仏教の「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」でしたが、今は神道の神様「大物主(おおものぬし)」です。

戸隠神社(とがくしじんじゃ)もお寺的要素が強いと言えますし、神社の中や近辺に、「神宮寺」(※2)と言う、お寺と神社がセットになっている神社も多くありました。

※注2:神宮寺(じんぐうじ)
神仏習合思想に基づき、神社に付随して建てられた仏教寺院や仏堂。


しかし、明治維新の時に、「日本の宗教と国教を、神道で統一するぞ!」ということで、神宮寺は壊され、お寺が神社に変えられたところが多くあります。

つまり、違いは何かというよりも「江戸時代頃まで混合していた神仏が明治維新頃から分けられてしまった」と、私は思っています。

歴史的に、神道と仏教はどのように融合していったのかを、ここからはお話をしたいと思います。

最古の神社


まず、日本で最古の神社はどこかご存知でしょうか。

神道の歴史は縄文時代から始まっているので、精霊信仰など、古くからのものもありますが、今回は最古の社殿という意味です。

どこかと言いますと、あまり知られていませんが、宇治上神社(うじがみじんじゃ)です。


祀られている神様は、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)と言い、実在する人物で応仁天皇の子供です。

応仁天皇は八幡神社の神様なので、宇治上神社は八幡系の神社に当たります。

創建されたのは1060年、今から1000年ほど前です。


実は、それよりもっと古い神社はありました。

例えば、奈良県の三輪大社、九州では幣立神宮(へいたてじんぐう)、または熊野や白山です。

そうした神社は聖地としては非常に歴史が古いのですが、神社の社殿という意味では、宇治上神社が最古と言われています。

最古のお寺


では、お寺はどうでしょうか?

実はお寺の方が神社より古く、最古のものは、世界最古の木造建築物と言っていいです。

そう、日本が誇る法隆寺です。


法隆寺には、様々な仏様が祀られています。

例えば、薬師如来(やくしにょらい)で、病気を治す仏様です。

他にも、法隆寺の創建に深く関わった有名な人物に聖徳太子がいらっしゃいますが、この聖徳太子に顔を似せて作られたと言われているのが、法隆寺の夢殿に祀られている、救世観音(ぐぜかんのん)です。

飛鳥寺の方が古いという話もありますが、建築物として見た場合は法隆寺になります。

神道と仏教の出会い


仏教よりも神道の方が古いです。

神道という名前がついたのは後の時代です。

日本古来からの信仰や思想やお祈りの源流で、神奈備(かんなび)信仰や神籬(ひもろぎ)信仰と言われます。

つまり、山や木、岩などを神様として見立てる、そうした自然崇拝の神道は、ずっと昔からありました。

そこへ、仏教が伝来してきました。


仏教伝来は、教科書には500年代と書かれているのですが、もっと前から渡来人がいて、仏教を信仰していました。

仏教は300年代ぐらいには伝わっていたのではないかという説が有力です。


朝廷内部で、仏教を取り入れるかどうかというところで、争いも起こりました。

有名な蘇我氏と物部氏の戦いです。


簡単に言うと、蘇我氏は「仏教を取り入れよう」、物部氏は「いや、神道で行こう」ということです。

そうしたところで戦ったという話があります。

ただ、物部氏が純粋な神道だったのかと言いますと、物部氏のお寺もあり、色々な考えの人がいたようです。

この、蘇我氏と物部氏の戦いは、法隆寺を建てた聖徳太子の時代でした。

つまり、日本仏教が創られる過程の中には、聖徳太子が深く関わっているということです。


聖徳太子と日本仏教のはじまり



聖徳太子は一体何者かで、不思議なところがあります。



神道っぽさもあり、仏教っぽさもあり、儒教っぽさもあります。

もっと調べてみると、ゾロアスター教っぽさもあり、ユダヤ教っぽさもあるのです。

「色々な宗派や、思想を取り入れ、日本的宗教を作ろうとしたのが、聖徳太子ではないか?」という説があります。

日本仏教というものが創られる過程の中で、聖徳太子は間違いなくキーマンでした。

そして特に今回取り挙げたい、聖徳太子以外のキーマンが、弘法大師空海と伝教大師最澄です。

空海と最澄


聖徳太子よりもだいぶ後の平安時代に空海と最澄は活躍しました。

空海は、簡単に言うと、全国各地に諸国行脚しながら、仏教を民間にまで広げて行きました。


「こうやったら病気治るよ」「こうやったら人生いいことあるよ」「悩みから救われるよ」と、全国至る所に空海がいたという伝説も残っています。

また、京都にも東寺を作り、そして高野山を拓き、仏教が民間に広がっていくきっかけを作ったのは、空海の功績が大きいのです。

そして、空海のライバルと言われるのが、同時代に生きた最澄で、この方は教育者です。


「ちゃんと修行していきたい、悟りたい」といった人たち、誰もが修行出来る場として作られたのが、比叡山延暦寺です。

そして、最澄亡き後も、この比叡山延暦寺は仏道修行の場として、多くの僧侶たちが育ちました。

例えるなら、宣伝マンである空海と、教育者である最澄、この方たち二人がいて、「日本仏教」が出来てきました。

日本仏教の開花


そして、空海と最澄のベースの上に、鎌倉時代に入ると、様々な仏教が出来てきます。

鎌倉仏教が全面展開され、花開いていったのです。

一遍の時宗や、親鸞の浄土真宗、また、道元や栄西の禅宗系のもの、様々な「鎌倉の仏教」が生まれました。

そして、お葬式する時には、「私達の家は家浄土真宗です」「私達は浄土宗です」という形で、今も残る日本仏教が出来てきたのです。


今回のポイントは、仏教はインドや中国から伝わってきましたが、インド仏教や中国仏教と、日本仏教は全くの別物であるということです。

日本独自の新興宗教と言っていいくらい違います。

そして、その根底には必ず神道のエッセンスが流れていると、私は考えています。

神道は何かと言うと、まさに日本人の精神や考え方そのものですが、その一つが「色々なものを取り入れていく」ということです。

例えば、日本の料理もそうです。

イタリアンもあり、フランス料理やカレー、ラーメン、コーヒーがあります。

海外から伝わってきたものを日本的に仕上げていくのです。

スポーツや学問もそうです。


海外から伝わった様々なものを取り入れていくことが日本人の精神にあり、世界から伝わってきた様々な宗教が混合され進化したものが、日本仏教です。

結論を言うと、「日本仏教は、根底に神道が流れる日本教」ということです。

神様と仏様の統合


聖徳太子や、空海、最澄、そういった方たちが日本仏教の礎(いしずえ)に関わっていることは間違いないと思います。

その中で、神仏習合の流れが生まれました。

本来、神道と仏教は渾然一体であり、代表的なものが八幡信仰です。


八幡神社に祀られているのは、神社なのに「八幡大菩薩」で、菩薩は仏様です。

つまり、神仏習合の一つの形としての表れです。


橋本ユリ
神道も仏教も日本人は区別してこなかったんですね。


羽賀ヒカル
そうですね、今の日本にも、必要なことは、対立ではなく統合です。

バラバラなもの、ゴチャゴチャなものを統合していくことが大事だと思います。



今回は神仏習合のお話をさせて頂きました。

この記事をご覧になった、あなたの開運をお祈りしております、羽賀ヒカルでした。


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