仏教とは?教え、歴史、宗派、神道との違いをわかりやすく解説!
羽賀ヒカル
日本人の心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。
よろしくお願いします。
あんちゃ
執筆屋のあんちゃです。
よろしくお願いします。
最近の神社チャンネルの動画で、ちょっと思ったことがあるんですけど、言っていいですか?
羽賀さん、自分で羽生結弦くんに似てるって言ってましたよね。
なんかちょっと許せないなと思って。
羽賀ヒカル
正確に言わせてください!
自分で言ってませんから!
人から言われると言っただけです!
あんちゃ
皆さんは優しいので、似てますねというコメントもあったんですけど。
本当のことを言っていいんじゃないかなと思いました。
羽賀ヒカル
なんですか、それは!
だいぶ、オッサンじゃないかコイツということですか?笑
あんちゃ
まあ、言いたいことはそういうことなんですけどね。笑
目次一覧
神道について理解を深めるためにも日本仏教を知ろう!
羽賀ヒカル
今日のテーマは「スーパー仏教史」です。
あんちゃ
スーパー?
じゃあ、この後「ウルトラ仏教史」もあるんですか?
羽賀ヒカル
ないです。笑
でも、竹内むっちゃん(竹内睦泰)先生がこんな感じでやっていたんですよ。
神社チャンネルではありますが、神道を理解しようと思ったら、きちんと日本仏教を理解していなければいけないということです。
神道と仏教は、表裏一体の関係だと思います。
だから、今回は改めて仏教についてお伝えしていきます。
あんちゃ
はい、お願いします。
明治時代の廃仏毀釈
羽賀ヒカル
まず理解しておくべきこととして、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)があります。
この写真、何かわかりますか?
この絵について、知ったら怖いですよ。
羽賀ヒカル
これは、首が取れた仏像です。
つまり、胴体しかない仏像たちなのです。
あんちゃ
エーーーーーーー!!
この廃仏毀釈の時に壊されたってことですか!
なんでそんなことがあったのですか?
羽賀ヒカル
一つの理由としては、明治政府が権力を握った時に海外を見たら、「キリスト教の国」や「仏教の国」といった、それぞれの国の信仰がハッキリしていたんです。
ほとんどキリスト教の国でしたが。
そして、日本について考えた時に「仏教なの?神道なの?どっちなの?」となったんです。
その時に「日本は神道を信仰する国である」ということになり、全国でお寺が次々に壊されていって、仏像も壊されていったのです。
例えば、伊勢神宮は当然神道ですが、お伊勢さんの周りにもたくさんのお寺がありました。
しかし、明治初期の段階でかなり壊されています。
あんちゃ
へえー・・・なんか過激ですね。
神道と仏教の経済格差?!
羽賀ヒカル
ただ、これには違和感もあります。
明治政府が決めたからと言って、誰も反対しなかったのか?
なぜみんな、これに素直に従ったのか?
それを考える必要があります。
一つ挙げられるのは、お寺さんがかなり恨みを買っていたのではないかという説です。
お寺さんには、檀家さんという制度がありますね。
この檀家さんからお金を巻き上げていたことによって、お寺が儲かりすぎているのではないかという民衆からの恨みがあったのかもしれないのです。
だから、明治政府が「神道一本で行きます」となった時に、すんなりと受け入れられたのではないかということです。
あんちゃ
かなり儲けていたんですか?
羽賀ヒカル
儲けていたと思いますね。
今もその傾向はあります。
神社といえば、お賽銭で100円・500円・1000円程度ですよね。
でも、お寺さんはお葬式をすることで、構造として、とても儲かりやすいことはあります。
例えば、私の地元の京都では、祇園の町などでお坊さんがかなり飲み歩いている、という話があるんですよ。
ベンツに乗って豪遊をしている方がいる、一晩でかなりの金額を使われるなど・・・。
でも、神主さんでそういう話はあまり聞いたことはないです。
神主さんはあまりお金がないという事情はあると思いますし、ここに格差があるんです。
だから、竹内むっちゃん先生がよくこう言っていました。
「神道は正月一本勝負である!!」と。
神社は正月しか儲からないことを、よくおっしゃっていましたね。
生活の中に残った仏教文化
羽賀ヒカル
こうして明治時代に廃仏毀釈運動がありましたが、今でも日常生活の中には仏教文化がかなり残っています。
例えば、この写真はお葬式ですよね。
お葬式は仏教式です。
神道式もしくはキリスト教式のお葬式は、あまりないですよね。
では、次の写真はお盆ですよね。
これも仏教の習慣ですね。
お盆はもともと「ウランバナ」という仏教の行事です。
インドから伝わり、日本流に変化しました。
だから、盆踊りには、先祖供養という意味があります。
これは鐘ですね。
例えば、除夜の鐘は今もありますよね。
街中を歩いているとお地蔵さんがあります。
これも仏教ですね。
このように、今も仏教文化は色々と残っているのです。
仏教の創始者・お釈迦様
羽賀ヒカル
あんちゃは仏教と聞くと、どんなイメージがありますか?
あんちゃ
うーん、瞑想?
ひたすら一人で悟りを開こう、みたいなイメージがあります。
羽賀ヒカル
そうですよね。
ひたすら一人で悟りを開こうというのが仏教ですね。
では、仏教を始めたのはこの方です。
誰か分かりますか?
そう、お釈迦様ですね。
名前はゴーダマ・シッダールダと言います。
年代はハッキリしていませんが、紀元前7世紀から紀元前5世紀頃の人物と考えられています。
今からだいたい2500年前~2700年程前になります。
あんちゃ
人間だったんですね。
羽賀ヒカル
お釈迦様は人間ですよ!
これはお釈迦様の像なのですが、髪型は天然のパンチパーマです。
驚く方がいるかもしれませんが、お釈迦様は剃髪(ていはつ)ではありませんでした。
間違いなく、天然パーマのおじ様だったんですね。
さて、仏教はお釈迦様から始まりました。
でも実は、お釈迦様以前から仏教思想の原型はあったのです。
お釈迦様の登場で大きな変革期を迎え、本格的に仏教思想が始まり、広がっていきました。
仏教思想は国によって違う
羽賀ヒカル
「仏教」はインドから始まりましたが、日本には漢字で伝わっていて、インドの言葉ではありませんよね。
つまり、仏教思想はインドから中国に伝わって、そこから日本にやってきたという流れになります。
さらに、同じ仏教でもインドと中国と日本の仏教は、ほぼ違う宗教と言って良いほど違うんですよ。
あんちゃ
何が違うんですか?
羽賀ヒカル
風土や人間が違えば、思想も変わってきます。
例えば、インドは砂漠が多く、身分・階級の格差がかなり激しいですよね。
中国も、地域ごとの気候風土があり、人を取り巻く環境が違います。
日本は四季があったり、水や資源が豊かであるので、結果としてインドや中国とは全然違う仏教に育っていったのです。
日本の仏教史
羽賀ヒカル
今度は日本の仏教史です。
大まかにいうと、仏教は聖徳太子の頃の時代に入ってきました。
その時、政権の中枢内部にいたのが、物部氏の人たちでした。
この方たちは、神道を重んじていました。
でも、蘇我氏が来て「これからは仏教だ」と主張し、物部氏=神道、蘇我氏=仏教の間で戦いが起こります。
その結果、仏教を推す蘇我氏が勝ちました。
そして、物部氏は歴史の表舞台から姿を消します。
ただ、神道のベースを作ったのは物部氏なのです。
次に蘇我氏が権力を握り、仏教は奈良時代に民間にも広がっていきました。
きっかけとなったのはやはり、奈良の大仏で有名な東大寺ですね。
その中で、南都六宗が広がっていきます。
当時、大学で学ぶ学問といえば、仏教のことを指していました。
そして今でいう官僚、つまり政治を行う方たちとお坊さんはかなり繋がっていたのです。
あんちゃ
あ、そうなんですね。
けっこう、政治に入り込んでいたと。
羽賀ヒカル
政治に入り込んでいました。
仏教のお坊さんと政治家の間で様々な関わりが、奈良時代の頃から本格的に始まりました。
特に影響力が大きかったのが、平安時代の有名な「空海」と「最澄」です。
平安中期からは浄土教という宗教団体が力を持つなどして広がっていきました。
そして、鎌倉時代に様々な仏教の思想が現われてお寺が作られました。
これらが今もなお、私たちの生活に影響を与えていることが、日本の仏教史の大きな流れとなります。
あんちゃ
おお~分かりやすい。
日本仏教史の最初のキーマン
羽賀ヒカル
それでは、日本仏教のキーマンを見ていきましょう。
これらは誰か分かりますか?
あんちゃ
聖徳太子と・・・どっちかですね。笑
羽賀ヒカル
これは蘇我馬子です。
当時、聖徳太子と組んで政治を動かしていました。
この蘇我氏は、海外から来たのではないかという説があり、実は私もそのように思っています。
彼らは、海外からの仏教思想を使いながら、政治を行っていくと良いと考えていたのです。
そして、能力が高くて、権力もあったことで、聖徳太子と蘇我馬子が組んで政治を行っていました。
奈良~平安時代のお坊さん
羽賀ヒカル
その後 奈良時代には、以下のお坊さんたちが出てきました。
では、この時代には一体何があったのでしょうか?
例えば、この時代も疫病が流行します。
今でこそ、病気で熱が出たりすると「ああ、ウイルス感染したのかな」などと分かりますよね。
でも、医学の知識がなかったら、民間人はどう思うでしょうか?
呪われているのではないか、祟りではないのかなどと考えてしまうのです。
今回、新型コロナウィルスのオミクロン株で体験されている方がいると思いますが、周りが全員バタバタ倒れていくとやはり怖くなります。
それほど疫病が流行した時に、力を持ったのが仏教です。
当時の権力者たちも、疫病で倒れた時に頼るのは、お坊さんたちでした。
「あの人が少し祈ったら、すごく良く治るらしいよ」といった、民間で評判のお坊さんが呼ばれていったのです。
この方は、玄昉(げんぼう)さんです。
この表情を見てどんな印象がしますか?
あんちゃ
なんとも切ない顔をしていますね。
羽賀ヒカル
この方もやはり、皇族の方が病気になったことをきっかけに祈祷を行ったと言われています。
この方は行基(ぎょうき)さんです。
やはり民間の方たちを中心に評判があり、「あの人はすごい人です。祈ったら病気が治るし、湧き水も出てきます。」といった伝説の人物だったようです。
この行基さんに任せて、東大寺の大仏殿に、神様を入れてもらおうという話になりました。
仏像に「開眼供養」をして、神様に静まって頂きました。
最後にこちらが、少し胸元がはだけてセクシーな道鏡(どうきょう)さんです。
昨年2021年、宇佐神宮参拝セミナーの時に、道鏡にまつわる演劇をさせて頂きました。
この方は、女性天皇に気に入られたほど非常に色男であったところから、少し美しいイメージになっています。
このように、奈良時代は、お坊さんや仏教勢力が民間でも力を持ちながら、権力者とも関わるようになっていきました。
それは平安時代まで続きます。
そして、平安時代に活躍したのは、最澄と空海ですね。
あんちゃ
天才のお二人ですよね。
羽賀ヒカル
大天才でしょうね。
最澄と空海は大人物でしたが、やはり「比叡山」と「高野山」というそれぞれの山を開いたことが大きいですね。
それ以前は東大寺中心なので、奈良や都から離れて修行の場をきちんと作ったのは、やはり二人の功績として大きいのです。
これが後の時代に繋がってきます。
その後の時代に現れる有名なお坊さんたちは、比叡山か高野山の出身が多いです。
さらに言うと、ほとんどが比叡山出身です。
そうやって、比叡山・高野山で育ったお坊さんたちが、後の時代に様々な宗教を作っていきました。
その思想が、戦国大名や、政治家に影響を与えるようになったのも、やはり最澄と空海が比叡山・高野山を作ったのが、相当大きかったのです。
私もこの間、比叡山に行ってきました。
比叡山はやはり、修行の場です。
例えば、今でも比叡山でお坊さんの修行をすると、4年間山に入ります。
食事は基本的に精進料理です。
肉を食べない、山を下りない、携帯触らないで、ずっと悟りに向けて修行されています。
でも、昔は12年でした。
あんちゃ
12年!3倍~~!
羽賀ヒカル
悟りを開くための修行の中には、例えば何日も寝てはいけなかったり、寝る時も手すりに掴まって仮眠を取るだけ、そしてお風呂とトイレのみでそれ以外はひたすらお経を唱え続けるといった修行があります。
最終的に、悟っているかどうかを試される試験のようなものがありますが、受けた人全員が合格する訳でもないのです。
また、その試験受けられるのは一度だけで、12年間修行した結果として、その試験に落ちる人がいます。
これは凄いですね。
現在もブラック企業はありますが、この定義で言えば完全にブラックですね。
あんちゃ
ブラック修行~。
でも確かに、比叡山はストイックという気がします。
羽賀ヒカル
いや、高野山もストイックです。
お坊さんたちはすごいですね。
悟りを開くためにそれほど命がけの方たちがいて、悟った方たちが権力者や政治をされる方たちに対して影響力を持っていたのでしょう。
鎌倉仏教のお坊さん
羽賀ヒカル
比叡山・高野山から始まって、鎌倉時代に様々なお坊さんが現れてきます。
どんどん見ていきましょう。
この中で、あんちゃは一番誰がタイプですか?
あんちゃ
ええ~。
あえて言うなら、スリムなこの人。
羽賀ヒカル
この方は、栄西(えいさい)さんで、なんと日本にお茶を持ってきた方です。
つまり、お茶を飲む習慣は栄西さんが広めました。
このように、この方たちが今も私たちに影響を与えていることが多くあるのです。
大まかに見ていきます。
この方は、法然(ほうねん)さんです。
法然さんが開いた宗派を知っていますか?
あんちゃ
え~~、ほ、法相宗?
羽賀ヒカル
違います。浄土宗です。
浄土宗の教えとは何でしょうか?
あんちゃ
え~、分かんないー。
羽賀ヒカル
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)です。
この時、民間にすごく広まったんですよ。
今も同じで、民間に広めようと思ったら、簡単な教えでないといけません。
例えば今でも、トイレ掃除をすれば開運する、ありがとうと言い続けたら良いよなどといった教えがあります。
難しいこと言うと、流行らないのです。
あんちゃ
なるほど。
念仏を唱えるだけはわかりやすい!
羽賀ヒカル
この念仏唱えれば良いよ、しかも南無阿弥陀仏の一本で良いよと言ったのが法然さんです。
この法然さんの思想を受け継いで、さらに改革を進めたのが親鸞(しんらん)さんですね。
有名な浄土真宗は、戦国時代でも一大勢力となって、かなりの影響力を持つようになります。
浄土真宗の方たちが集まって一向一揆を起こし、体制に対する反対運動と繋がってくるのです。
基本ラインはやはり、簡単な教えが広がることなのです。
次に現れたのが、一遍(いっぺん)さんです。
一遍さんは、踊り念仏で、踊ることです。
踊ることによって幸せになり、悟るよと説いたのが一遍さんなのです。
あんちゃ
ダンサーだったのですか?
えー!
羽賀ヒカル
今でいうところのダンサーですね。
でもやはり、祈りの気持ちで踊ろうと、みんなに踊り念仏を広めていったのです。
踊るのは楽しいし、このような楽しい教えはやはり、広まりやすい教えでしょうね。
一遍さんはおそらく、私は楽しい方だったのだろうと思います。
次は顔のインパクト強い、日蓮(にちれん)さんです。
この方は日蓮宗を開きました。
創価学会や立正佼成会といった今も続いている宗教団体の根本的なものが日蓮宗の教えです。
日蓮さんがいなかったら創価学会はないので、かなり重要な方です。
あんちゃ
かなり続いていますね。
羽賀ヒカル
日蓮さんがすごいのは当時、モンゴルが攻めてきた元寇があった時代の方なのですが、この時日本をどう守るかを思想で残しています。
伝説として、モンゴル軍が攻めてきた時に台風がやってきて帰ったという話がありますね。
日蓮宗の教えは「南無妙法蓮華経(なむみょうほんれんげきょう)を唱える」ことですが、実はあの時に日蓮さんが福岡の海に行って、南無妙法蓮華経と書いた御札を海に投げ入れたのです。
すると、嵐がやってきて、モンゴル軍が帰ったという伝説があります。
このお話は脚色されている可能性がありますが、日本を守るという志があったのは間違いないですね。
この方は道元(どうげん)さんですね。
禅宗と言うと、座禅を組んで、バン!と背中を叩かれるといった修行が有名です。
もう一人が、栄西さんです
先ほどお伝えした、お茶を日本に持ってきた方です。
茶道などは禅宗の影響をすごく受けています。
日常生活を通じて、お茶を淹れたり、料理を作ったり、掃除をするといった修行の考え方はやはり、禅宗でしょう。
この方は明恵(みょうえ)さんで、夢日記をつけていたことで有名です。
夢日記では、夢でお告げやインスピレーションを受けて、それによって未来予測などをしていた方です。
最後は、叡尊(えいそん)さんで、高野山系です。
鎌倉時代は他にもたくさんのお坊さんがいますが、日本史の教科書に載るような代表的な人物は以上です。
なぜ神社チャンネルで仏教を取り上げるのか?
羽賀ヒカル
今回、なぜ神社チャンネルで仏教なのかについてお話します。
ちなみに有名な神主さんはいませんよね?
あんちゃ
確かに。
日本史の教科書には載ってないですね。
羽賀ヒカル
あえて言うなら吉田神社で、ほぼいません。
しかし、仏教であっても、全て根底には神道が流れていると思います。
「日本仏教」と言いましたが、やはり根底に神道があって仏教があるのです。
神道には教えがありません。
「ああすべき」「こうすべき」「ああしたら良い」「こうしたら良い」といった教えが一切ないのです。
やはり、日本人らしいあり方や精神は仏教やお坊さんから学ぶと良いのです。
特にお坊さんの生き様から学ぶことは大事だと思いますね。
なぜなら、彼らは教えを広めるために命がけだからです。
日蓮上人もやはり、殺されそうになりました。
「それでも俺はやる!」と道を貫いたような、かっこいい生き様は、お坊さんから多く学べると思いますね。
また、神社チャンネルでも、こういったお坊さんから、神道や日本人らしい生き方を学び、仏教をより深めていくために、今後講座をする予定です。
特に大事にしたいのが、先に言いました「空海と最澄」ですね。
こちらは、フリーメルマガゆにわや公式LINEゆにわの登録者の方限定のライブなども行っていきますので、是非ご覧になっていただけたらと思います。
あんちゃ
今年は仏教イヤーですね。
羽賀ヒカル
仏教イヤーです!
今回もご覧になって下さって、ありがとうございました。
あんちゃ
ありがとうございました。
・神社チャンネルのこちらのYouTubeバージョンもご覧ください。↓
この記事をまとめた人
- ゆにわ塾歴8年、初期から神社チャンネルのライターをやっています。これからの激動の時代、人は神様と一緒に頑張らなくっちゃ!神様と人をもっと繋いで行きたーい、と願う神社大好きっ子です。
最近の投稿
- 神社参拝2023.08.25スサノオノミコトと龍神のレイライン【埼玉県の産土力】
- 神社参拝2023.08.25ニギハヤヒ天孫降臨の地?河内磐船神社|茂木誠先生と神社めぐり①
- 神社参拝2023.08.10水の神様 ミズハノメノカミを祀る神社|丹生川上神社中社 日下宮司と共に
- 神社参拝2023.06.03【日本国はじまりの場所・飛鳥】飛鳥坐神社を巡る