日本の歴史から消された古代文献の恐るべき内容
あなたの心に火を灯す、東洋思想及び神道研究家の羽賀ヒカルです。
今回のテーマは「日本の歴史から消された古代文献の恐るべき内容」というお話をさせて頂きます。
橋本ユリ
羽賀さん、古事記よりも古いと言われる古代文献のこと、教えてください。
本物はあるんでしょうか?
本物はあるんでしょうか?
羽賀ヒカル
真偽は確実でなくても、古事記や日本書記に書かれてないことが書かれており、そういう文献が伝承されているのは意味あることです。
書物は国の守り神
本とは、家の守り神と私は思っています。
家の本棚に、どんな本が並んでいるのかを見れば、その人の性格や人となりが分かります。
もっと言うと、本は家の守り神みならず、国の守り神でもあると思います。
国を作っているのは国民です。
国民の気持ちや精神がバラバラになっていくことで国が滅びるきっかけなることもあります。
しかし、精神を統一していくのも思想や物の考え方です。
その思想は文字や言葉、つまり本や書物によって広まっていきます。
したがって、本は国の守り神であるということなのです。
日本最古の書物は古事記ではなかった!?
日本における最古の書物は、古事記もしくは日本書紀です。
厳密に言うと、古事記、日本書紀以前にも書物が存在していました。
それらは封印されたか、あるいは燃やされたと考えています。
漢字以前にも漢字やひらがな以外の文字で書かれている古代文献があり、そこには古事記にはない歴史が記述されていたり、古事記には登場しない神様が登場しているのです。
古事記以前の古代文献として有名なものを列挙します。
・先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)
・ホツマツタエ
・カタカムナ
・竹内文書(たけうちもんじょ)
・宮下文書(みやしたもんじょ)
・九鬼文書(くかみもんじょ)
なぜ私が語る資格があるかと言うと、この古代文献の正当な継承者や第一人者と言われる方たちに会っているからです。
特によくお会いしたのが第73世・武内宿禰(たけのうちすくね)である竹内睦泰(たけうちむつひろ)先生です。
私の先生でもあり、共著で本も出させて頂いています。
お亡くなりになるまで18歳の時から毎年のようにお会いさせて頂きました。
竹内睦泰先生は、正統竹内文書の継承者でした。
しかし、こういう古代文献は学会や大学で偽書扱いされて、まともな研究がされておらず、民間で研究されています。
この偽書という意見に関しても一理あります。
ですが、全部が偽書ではなくて、どのようなルーツで伝わっているのかを考えていかなければならないという立場です。
例えば、古代文献の代表的なものに「先代旧事本紀大成経」というものがあります。
竹内睦泰先生は、旧事紀と仰っていました。
「先代旧事本紀大成経」を作成したのは、聖徳太子です。
1679年に出現したと言われていますが、学会の方では偽書扱いとされています。
しかし、古事記にはない歴史などが記述されており、一つの思想書とも言える良い文献です。
お祈りの方法や儀礼、祭典のあり方についても記述されています。
一般的にも「先代旧事本紀大成経」は販売されており、図書館などにもありますが、全てではありません。
先代旧事本紀大成経の全てを持っている研究者・継承者に見せてもらったことがあります。
キーワードは聖徳太子です。
700年代の初頭に古事記が完成し、この時、権力者である藤原氏の都合のいいように編纂されました。
藤原氏は大陸系か朝鮮半島系の影響を強く受けている人物で、不都合な存在であったのが聖徳太子です。
聖徳太子が作りたかった歴史書・思想書が、先代旧事本紀大成経なのです。
権力者の思想で作られている歴史書
歴史書というものは、ある一つの観点から書かれます。
ヘゲモニー史観という権力者を中心とした思想書なのです。
古事記や日本書紀の場合、やはり当時の権力者である、藤原氏の影響を強く受けています。
しかし、権力者は、歴史を見ていくと変遷しています。
また、ヘゲモニー史観の権力者だけではなく、農民や商人、職人などの生活に焦点を当てたり、地域性もあります。
例えば、古事記では日本最大の聖山である富士山が登場しないことに違和感を感じます。
当時の朝廷が近畿圏にあったので、東日本にある富士山は不都合だったのではないかと考えられます。
九州に関しても不都合だった可能性もあり、古事記は当時権力があった近畿圏を中心に描かれているのです。
そして、古代文献の中で最も有名なものがホツマツタエ・カタカムナです。
ホツマツタエは、1966年に松本善之助が神保町の古本屋で発見されました。
さらに鳥居礼、池田満によって、特に2000年代になってから、ホツマツタエという神話が広まっていきました。
役職名である天照大神
ホツマツタエのポイントとして、富士山のことが描かれています。
最大の特徴は、古事記で女性神として描かれている天照大神が、ホツマツタエでは男性神として描かれていることです。
古事記が天照大神を女性神として描いていたのは、当時の権力者である持統天皇が女性であるからという説があります。
天皇陛下の役割は、地上界における天照大神の代行なのです。
しかし、竹内睦泰先生から「天照大神とは役職名である」と聞いています。
女性神と男性神が両方登場するのは、天照大神が役職名であることを示す一つの証拠なのです。
また、ホツマツタエについて、偽書や江戸時代に改ざんされたという説があります。
私の個人的な見解としては、江戸時代に再編集されたと考えています。
理由は江戸の価値観や考え方が記述されている部分が見られ、これは何らかの秘密や伝承に基づいて書かれていると考えます。
しかし、無意味で役に立たないものではなく、江戸の価値観や考え方が見られることで、偽書と決めつけるべきではないというのが、私の個人的な意見です。
竹内睦泰先生にホツマツタエのことを聞いた際に、全て綺麗な五七調で描かれてることでリズムとメロディーがあり、読み上げていくだけで心が整っていくので、五七調で記述されていることは好きだとおっしゃっていました。
そこに描かれたメッセージ性や教えも古事記に比べて強く、人としての生き方や日本人の精神を非常に良く描いていると思います。
1966年に神保町の古本屋で松本善之助が見つけたホツマツタエは、1992年に滋賀県の日吉神社から違った形で文献が発見されており、滋賀県が一つのキーワードとなっています。
宇宙の法則であるカタカムナ
カタカムナは古代文字で、参照図のようになんとなくカタカナに似ています。
カタカムナ文献の発見者は、楢崎皐月(ならざきこうげつ)です。
発表したのは1966年ですが、実際にカタカムナ文献を発見したのは1940年代後半とされています。
楢崎皐月のカタカムナ文献の正式な継承者は、宇野多美恵(うのたみえ)と言われています。
実際には、カタカムナ文献を継承されている楢崎皐月の弟子は他にも何人かいて、その一人に精神世界では有名な増川いづみ博士がいます。
増川いづみ博士の血筋にあたる方が楢崎皐月のカタカムナ文献の正当な継承者という説もあります。
このカタカムナ文献は歴史書というより、物理法則や科学的法則となります。
個人的な見解では、カタカムナ文字は宇宙人文字のような感じで宇宙人的な知恵が記されていると考えます。
楢崎皐月は1940年代の後半に、兵庫県の六甲山系の金鳥山で平十字(たいらのとうじ)からカタカムナ文献を継承されました。
六甲山・金鳥山というとU F Oの聖地で巨石群があります。
巨石群はU F Oとの繋がりが考えられ、U F Oや宇宙人のもたらす知恵のひとつが「原子力」もしくは「反重力」であり、楢崎皐月はそれに関する研究をしていたので、それを暗号化して記したのが、このカタカムナ文献という説があります。
つまり、カタカムナ文献は楢崎皐月の創作という説です。
しかし、だから価値がないのではなく、ここで記されている法則・規則性の中には天地自然・宇宙の法則があり、研究すべきものがあると思います。
秘伝を守るための秘法とは?
竹内文書は高坂和導が竹内文書のことを本にして出されたところから有名になりました。
実はこの有名になった竹内文書は茨城竹内文書と言って竹内巨麿(たけうちきよまろ)から始まる竹内家の歴史書で、竹内睦泰先生は、正統竹内文書の継承者です。
正統竹内文書は応神天皇や仲哀天皇の時代に、天皇の補佐・戦略軍師として動いていた武内宿禰がいました。
この武内宿禰は天皇同様、世襲制でずっと継承されていた武内宿禰という役割が南朝と北朝に分かれて、南朝側に付いたのがこの正当な竹内家です。
一般的な歴史では、室町時代の第3代将軍足利義満の時に南北朝統一と言われていますが、実は統一されていなくて、その後も南朝という組織・秘密結社グループは残り続けました。
そして、その南朝の73世に当たる武内宿禰が竹内睦泰先生です。
茨城の竹内文書が有名になったことは、南朝では嘘だということで問題視されたのです。
そこで本物の竹内文書の一部を公開するために竹内睦泰先生が出版しているのが、正統竹内文書の「古事記の暗号」や「古事記の邪馬台国」などの本です。
これは歴史書というより、口伝継承です。
実際に竹内睦泰先生から聞いた内容をお伝えすると、南朝の中には12人の長老がいて、それぞれの長老家しか知らない歴史が継承されていくので、それを武内宿禰が集めます。
これをケンタッキーフライドチキン方式といい、例えば、ソースの完全なレシピを知っているのは本社の人間だけで、色々な工場にレシピを分散させて、最終的に一つにまとめて完成させるのに近しいところがあります。
これは秘伝や秘密を継承する時に使われる秘法で、別々に作らせておいて、それぞれのところでは情報を掴めないようにします。
それを一箇所に集めて、秘伝を守っていくようにするというシステムが使われているのです。
竹内睦泰先生はそれを口伝で継承していて、初めて表に出したのが正統竹内文書なのです。
古文献が残っている意味
また、宮下文書(別名:富士古文献)について、継承者は北海道の「まほろば」という会社でエリクサーという浄水器を開発されています。
ここの社長の宮下さんが、宮下文書を継承しています。
この文献は富士山を中心とした歴史観で、徐福という秦の始皇帝に仕える伝説の仙人が伝えています。
中国の伝説で徐福の一行が不老長寿の薬を求めて日本に来たという話があり、日本にも至る所に徐福が来たという伝説がありながら、最終的に富士山に向かいました。
つまり、この宮下文書(富士古文献)は、徐福系の一族が伝えている歴史書なのです。
九鬼文書(くかみもんじょ)は九鬼家(くきけ)の歴史観で、場所は熊野になります。
九鬼家は熊野本宮大社の神主の家系で、熊野の神様を中心とした歴史観で描かれています。
つまり、古事記は、近畿圏や関西圏における藤原氏や当時の皇室を中心とする歴史観であり、他にも富士山を中心としたものや九州を中心とする歴史観も存在します。
九州は上記(ウエツフミ)というものがあり、豊国文字という文字で記述されていて1837年に見つかっています。
古事記ではほとんど描かれてないウガヤフキアエズ王朝とその王朝系統の歴史が描かれています。
そこには秘密やミステリーがあり、伝承されているものはなにかの根拠があり、単なる創作ではないと思えるものばかりであることから、古文献が今よりも明らかになり、研究される時代が来ることを期待しています。
橋本ユリ
神様が、古文献を意図して残してくださったようにも思えます。
羽賀ヒカル
本が人を作り、家を作り、国を作る。
残されているものには、何らかの意味やメッセージがあります。
そして、このようなものを見ていくことで、あなたの人生も変わっていき、国も変わっていくのです。
残されているものには、何らかの意味やメッセージがあります。
そして、このようなものを見ていくことで、あなたの人生も変わっていき、国も変わっていくのです。
今回は「日本の歴史から消された古代文献の恐るべき内容」というテーマでお話させて頂きました。
あなたの開運をお祈りしております、羽賀ヒカルでした。
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この記事をまとめた人
- 2人の娘を持つ父親。ゆにわ塾歴3年。ゆにわと出会って、娘との関係が激変しました。神社chの記事を読んでくださる方々が、羽賀さんやゆにわのみなさんの温かみを感じられるような素敵なサイトにしていけたらと思っています。
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