神主さんとの本音トーク!龍神総本宮・丹生川上神社 上社
こんにちは、北極神社の新米巫女、橋本ユリです。
突然ですが、あなたは「龍神様」や「水の神様」に興味があって、
丹生川上神社という名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?
じつは、丹生川上神社には上社・中社・下社という3つのお社があるんです。
「えっ、3つもあるの?どこにお参りすればいいの?」って思いますよね。
わたしも最初、3つのお社は仲良く協力し合っているものだとばかり思っていたんです。
ところが、今回、上社の宮司さんに直接お話を伺って、その歴史の複雑さに驚きました。
丹生川上神社は、天武天皇の時代から続く「水の神様」の聖地であり、かつては天皇自らが馬を奉納して祈願したほどの格式高い神社だったのです。
今回は、宮司さんとの本音トークを通じて見えてきた、龍神総本宮・丹生川上神社上社の知られざる物語をお伝えしますね。
目次一覧
ダムに沈んだ神社が高台に蘇るまで
丹生川上神社上社を訪れて、まず驚いたのはその立地でした。
山の高いところにあって、見晴らしが素晴らしいんです。
でも、この場所に神社があるのには、悲しい理由がありました。
羽賀ヒカル
現在のお社は建ててから24年ほど経っていますが、平成10年の3月15日にこちらに遷座されてきた神社なんです。大滝ダムというダムの建設によって、神社自身が沈むことになったんですね。
官幣大社という最高位の神社が、国の事業であるダム建設で水没してしまう。
これは神社界でもたいへんな話題になったそうです。
村の中でも、ダム建設に賛成・反対で親子や親族が分かれて揉めたとのこと。
神社を移すか移さないかでも大問題になり、当時の宮司さんはたいへん悩まれたそうです。
最終的には神社を遷座することを決意し、この高台に移ってきました。
国からの補償を受けて立派な社殿が建てられたのですが、その後の運営は決して順調ではなかったようです。
宮司さんが何代か代わる中で、大切な資金が減っていき、後継者探しも難航したとのこと。
2040年には消滅してしまうかもしれないと言われるほどの過疎地域ですから、「こんなところに来てくれる宮司さんはなかなかいない」という状況だったそうです。
そんな中で現在の持月宮司が着任されたのは、11年前のことでした。
3つの神社が「仲が悪かった」という衝撃の事実
丹生川上神社には上社・中社・下社の3つがあります。
地図で見ると、上中下という順番が地理的な位置とは一致していないんですよね。
わたしは3つのお社が歴史的にずっと仲良くしてきたものだと思っていました。
ところが、宮司さんからお聞きした話は、ちょっと衝撃的でした。
羽賀ヒカル
わたしが初めて認識したこととして、丹生川上神社というのは上社・中社・下社という3つの社があって、ずっと歴史的に見て仲良いものと思っていたんですよね。それが違うんですか?来られてから仲良くなったと聞いて、そうだったんですか?っていうのは衝撃を受けましたね。
どういうことなのか、歴史を紐解いてみましょう。
丹生川上神社の起源は、天武天皇の白鳳4年(675年)にまで遡ります。
神様からの御神託があり、「吉野の山奥の、人の声が聞こえないところに我が宮柱を立てて祀れば、良い雨を降らせて悪い雨は止めましょう」と告げられたそうです。
それ以来、雨が降ってほしいときには黒い馬を、晴れてほしいときには白い馬を奉納して祈願することが定められました。
これは京都の貴船神社と丹生川上神社の2社だけに許された特別なものだったんです。
水の神様として、天皇から直々に祈願される神社だったわけですね。
ところが、応仁の乱という11年間にも及ぶ戦いの後、丹生川上神社の所在がまったくわからなくなってしまいました。
焼き討ちにあったのか、急激に衰退したのか、理由は今もわかっていません。
宮司さんはこんな説も考えておられました。
持月宮司
もう一つ説がありまして、丹生川上神社という存在は何箇所にあったのかもしれないなと思っているんです。水の神様をお祭りするのに社を建ててそこでご祈願する必要があったのかどうか。吉野の川のところで綺麗なところに敷石を敷いて、そこでお祭りごとをしたんじゃないかなと。だから建物というものがもしかしたらなかったんじゃないかなと。
建物がなかったから、戦乱の後に「どこにあったかわからなくなった」というのは、なんだか神秘的ですよね。
明治時代に始まった「どこが本物か」論争
時代は明治になり、国が神社を管理することになりました。
全国約8万社をランク付けして管理することになったのですが、その頂点が「官幣大社」です。
丹生川上神社は天皇自らが馬を奉納した神社ですから、当然最高位にしようということになりました。
「さあ、どこでしょう?」と調査が始まったわけです。
最初に選ばれたのは、現在の下社でした。明治4年のことです。
目の前に丹生川という川が流れていて、ふさわしいと思われたんですね。
ところが、下社の宮司さんが「どうも地理的に、古文書に照らし合わせるとおかしい」とおっしゃいました。
川上村の方の神社の方がふさわしいんじゃないかと。
明治政府が調べたところ、たしかにふさわしいということになり、川上村の神社が「上社」、元の下市町の方が「下社」となりました。
明治時代は2社が存在していたんです。
さらに大正時代に入ると、東吉野村の丹生神社(当時は蟻通神社)の宮司さんと地元出身の学者さんが「うちこそが丹生川上神社だ」と強く主張されました。
政府が調査した結果、こちらも丹生川上神社にふさわしいということになり、「中社」が加わって3社体制になったのです。
選ばれた順番で言えば、下社が1番、上社が2番、中社が3番。
でも名前は上中下。
これが、複雑な感情を生む原因になりました。
宗教法人登記で決定的になった溝
戦後、GHQの神道指令によって国と神社は切り離されました。
すべての神社が宗教法人として登記することになったのですが、ここで問題が起きました。
上社と下社の宮司さんは「宗教法人丹生川上神社上社」「宗教法人丹生川上神社下社」で登記しました。
ところが、中社の宮司さんだけは「宗教法人丹生川上神社」で登記したんです。
その結果、神社関係の資料で「丹生川上神社」と調べると、中社がパッと出てくるようになってしまいました。
上社と下社の宮司さんからすれば、面白くないですよね。
経緯的には下社が1番、上社が2番なのに、なぜ中社だけが「丹生川上神社」なのかと。
持月宮司
ほとんど話をした様子がない、記録がないんです。3社で一つだけやったことがわたしが分かっているのは、絵はがきを作っていること。写真を撮って、それを3社名で販売授与しているんですよね。そのときは当然3社で話をしただろうと思うんですけど、それ以降ほとんど話をしてこなかった。簡単に言っちゃうと、仲が悪かったということがあったわけですよ。
持月宮司が着任した11年前、中社と下社の宮司さんは話をしていたけれど、上社の宮司さんとはほとんど話をしていなかったそうです。
それが今では3社で協力関係を築けるようになった。
たまたま3社の宮司さんが全員、皇學館大学の出身になったことも関係しているようです。
人と人との縁って、不思議ですよね。
日本で最初に綺麗な水が湧いた場所
丹生川上神社の「丹生(にう)」という名前には、水銀が取れた場所という意味があるそうです。
中社と下社には水銀を採掘した跡が見つかっていますが、上社の元の場所はダムに沈んでしまったため、詳しいことはわかりません。
ただ、付着した銅器がいくつか見つかっているので、何らかの関係はあったのでしょう。
この地域の水について、宮司さんは興味深いお話をしてくださいました。
持月宮司
紀伊の山脈というのは、太平洋の方からずっと隆起してできた地域で、岩盤は非常に硬いらしいんですよね。そこから流れてくる水というのは、かなりいい水が出てきてるらしくて。ある参拝者の方が「宮司さん、全国にいろんなところから綺麗な水が流れてますけど、ここの水が日本で最初に綺麗な水が出てきたんですよ、知ってます?」って言うから、「いや、知りません」って言ったんです。「それはここに龍神さんがいらっしゃるからですよ」って。
日本で最初に綺麗な水が湧いた場所。
そこに龍神様がいらっしゃる。
ダム湖を見下ろすと、川の流れがまるで龍神様が這っているように見えるそうです。
奄美大島のノロ(神様の声を聞く方)も、同じことをおっしゃっていたとのこと。
大和の国が安定するためには、豊かなお米が必要でした。
お米を育てるには水が必要。
だから天皇は水の神様を大切にし、馬を奉納して祈願したのです。
吉野川は、奈良の盆地にとって一番重要な川でした。
その水源に近いこの地は、まさに「水の聖地」だったのでしょう。
神社の世界にも「人間模様」がある
今回のお話を伺って、神社の世界にも人間的なドラマがあるんだなと感じました。
「どこが本物か」という論争。
登記名をめぐる複雑な感情。
大学の派閥。
後継者問題。
神様をお祀りする場所であっても、そこには人間がいて、人間的な悩みや葛藤がある。
それを否定するのではなく、乗り越えていこうとする姿に、むしろ神社への親しみを感じました。
持月宮司は、静岡の神社で12年、その後大きな神社で22年奉仕された後、一度は神主ではない生活をされていました。
お母様の介護のために、スイミングスクールの送迎バスの運転手をしていたそうです。
「水の神様だから、スイミングスクールと縁があったのかもしれませんね」と笑っておられました。
人生って、どこでどう繋がるかわからないものですね。
丹生川上神社上社を訪れる方へ
いかがでしたか?
丹生川上神社上社は、たしかに山奥にあります。
消滅可能性のある村と言われるほどの過疎地域です。
でも、だからこそ、「わざわざ」行く価値があるのではないでしょうか。
天武天皇の時代から続く水の神様の聖地。
日本で最初に綺麗な水が湧いたと言われる場所。
龍神様が這うように流れる川を見下ろす高台。
ダムに沈んでもなお、人々の手で守られ続けてきた神社の物語を知った上で訪れれば、きっと感じるものがあるはずです。
上社・中社・下社、どこにお参りしても構いません。
3社を巡ってみるのも素敵ですね。
大切なのは、その神社の歴史や神様のことを知って、熱い思いを持って行くこと。
それが神様に届く参拝の仕方だと、わたしは思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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この記事をまとめた人

- 神社チャンネルのメインキャラクター。北極神社の新米巫女。2017年、神社参拝セミナーで羽賀ヒカルと出会い、日本人の良さと伝統を伝えていきたい!という思いから、この神社チャンネルサイトが始まりました。(という設定です。)
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